天宮満 ⑮

 道脇に、雨に濡れた低木が連なる校庭を天宮と歩き、人影のない正門に近づいて行く。


 おかしい。待ち合わせをしていた人物が所定の場所にいなかった。先程、彼女から届いたメッセージには、もう到着していると書かれていたのに。


 先方が不慮のトラブルに巻き込まれたのでないかと不安になる。彼女の性格上、目の前に困っている人がいると、自ら首を突っ込んでいきかねないのに。


 スマホを取り出し、彼女に連絡を取ろうとしていた折。正門を出たところで、はきはきした女の声に呼ばれた。


「待っていたよ、公大。それと……天宮君」


 大学名の書かれた塀の前に、淡いチョコレート色の髪をした南場花月が立っていた。


 白いTシャツの上に色鮮やかなブルーのカーディガンを羽織り、足の細さを強調する八分丈の黒いパンツを穿いていた。


 花月は、朗らかな表情で俺たちを迎えてくれた。昼休みから連絡を取っていた彼女がこの場にいて、ひとまず安心する。


 俺の安堵とは対極に、天宮は花月との鉢合わせに戸惑いの色がありありと見せていた。


「どういうことだ、阪城」


 固くなった表情で天宮が俺を見てくる。彼の声に棘はなく、ただ純粋に困惑しているようだった。


「余計なお世話だってのは、わかってる。でも、天宮に花月と会ってもらいたかった」


 俺は自身の想いを、天宮に伝えた。警戒心をき出している野生の動物に、自分は味方だと温情を持って説得するように。彼の心に芽生えた焦りと恐れを、そっと摘み取る。


「何でこんなことをした? 俺が昔、南場に何を言ったか知ってるだろ」


「うん、知ってる。天宮が過去の失言をずっと後悔していたことを、俺は知ってる」


 天宮の瞼がわずかに開く。視界の隅で、彼が強く握り拳を作るのが見えた。


「伝えたいことを伝えられないで、勘違いしたまま疎遠になるのは、辛いよな」


 俺は天宮に恩を返すため、彼の気持ちを理解しようと努めた。何をされた嬉しいか。何を必要としているのか。その末に、導き出した答えがこの現状だ。


 悔やんでも、悔やんでも、過去は変えられない。だけど、やり直せない過去から学ぶことで、未来を良い方向に変えられるはずだ。


 天宮は昨日、俺に一年前の気持ちを吐露してくれた。気持ちに余裕がなかったとはいえ、本心から出たわけじゃない罵倒を吐き、花月を傷つけてしまったことを。そして、それを今でも引きずっていることを。


「俺に謝罪させることが、お前の目的か?」


 天宮は俺の意図を察したかのように言った。


 だが、少し違う。俺は首を横に振って言った。


「無理して謝ってもらいたいわけじゃない。ただ、俺は機会を設けただけ」


「何の機会だよ?」


「自分を許せる機会」


 俺は何も、正しいことをしたかったわけじゃない。


 おせっかいだったかもしれない。的外れだったかもしれない。図々しかったかもしれない。


 それでも――


「差し出がましいと思わなかったのか?」


「それでも、俺だったらこんな機会を作って欲しかったから」


 彼の鋭い目を正視し、実直な想いを打ち明けた。


 天宮は俺から視線を外し、花月を見た。


「南場がこいつに頼んだのか?」


「私は何も頼んでないよ。私は、天宮君に会って欲しいって、公大に言われただけ」


 天宮は再び俺と視線を合わせてくる。


「ここに来る前に、何で南場がいるって言わなかった?」


「だって言ったら、来なかっただろ。余計なお世話だって言って」



「何でもお見通しか」


 天宮の顔が綻びた。その時の彼の雰囲気は、近寄りがたい高圧的なものではなく、親しみやすくて頼りがいのある好青年のものだった。


「少し癪だけど、まぁ、お前の手のひらで踊ってやるよ」


 横柄な物言いではあったが、角が取れたような感じがした。俺の気のせいだろうか。


 天宮は、南場と向かい合う。


「ずっと前から、言いたかったことがある」


「うん……」


 彼女は多くの言葉を語らなかった。ただ、静かに彼が語る言葉を心待ちにしている。


 過去の後悔と、そして許しを請う彼の言葉は、長々とくどかった。何も知らない他人が聞いたら、聞き苦しいとさえ思うかもしれない。言い訳をせず、ただ謝罪だけを繰り返せと批判するかもしれない。


 だけど、俺は思う。彼が不器用な言葉を重ねれば重ねるだけ、彼女に対する負い目がそれだけあったということを。たぶん、静かに聞き入っている彼女も、そのことを理解しているはずだ。


 彼の長口上が終わると、彼女は満面の笑みで応えた。その美しく優しい笑みにつられて、彼もまた安心したように微笑んだ。


 俺は今、これまで生きてい中で最も心地よい和解の場に立ち会っていた。


 ズボンに入れていたスマホが振動した。末治から送られてきたメッセージを見て、俺は肩の荷が下りた。


『あなたは恩を返し終えました』

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