天宮満 ⑭

 夕刻になると、完全に雨が上がっていた。灰色に濁った雲の隙間から、白く淡い陽光が地上に射し込む。雨が降っていないからか、今朝と比べると、景色の見晴らしが良かった。


 俺は六号館の二階にある、教室の前に立っていた。腕時計を確認すると、四時を少し過ぎた時間だった。まだ講義の時間帯である六号館の廊下は、風に揺られる木々の音が聞こえるくらい寂寞せきばくとしていた。


 大学の講義時間は、通常九十分あり、四限目が終わるのは四時三十分である。ただ、それは大学側が決めた時間配分であって、授業をする先生の裁量で、終了時間が延びることも短くなることもある。


 目の前の教室で教壇に立っているであろう講師は、比較的に授業を早く終わらせる傾向がある。昨年、その授業を取っていた経験があるからわかる。


 さっさと終わってくれ。そう念じていると、教室の中が騒々しくなった。中の様子は視認できないが、授業が終わったことがわかる。


 教室から、金髪の男がドアを開けていの一番に出てきた。黒のパーカーにベージュのパンツを穿いていた金髪の男は、仏頂面で階段にさっさと向かう。


 俺はその見知った顔に声をかけた。


「お疲れ様、天宮」


 俺に名前を呼ばれた天宮は、勢いよく体ごと振り返った。


「うわッ、出た」


 幽霊と対面したような反応だった。俺の体はそんなに透けて見えるのだろうか。


「お前は熱狂的な俺のファンか」


「違うけど」


「冗談だって。でもお前、ストーカーって言われてもおかしくないぞ」


 天宮に返す言葉がない。先日から彼のことを追跡して、観察するという、ストーカーまがいのことをしていたのは事実であるから。


「たまたまここで会った、って感じではなさそうだ。まさか、俺に会いに来たのか?」


「察しが良くて助かる」


 天宮が火曜日の四限目に、この教室で講義を取っていることは知っていた。昨日、彼と終点駅まで一緒に帰っていた時に聞いたから。


「少し付き合ってもらえる?」


「どこまでだ?」


 天宮の質問を受けて安心した。質問があるということは、俺が無茶を言わない限り、誘いを受け入れてくれる意味であったから。昨日の今日で、多少のお願いを聞いてもらえる仲になってよかった。


 簡潔に、行き先だけ言った。


「学校の正門まで」


「何の用だ?」


「行けばわかる」


 つまびらかに説明することを避けた。俺の企図きとを天宮が知った場合、最悪、断られるかもしれないから。俺が彼にさせようとしているのは、精神的な負担がかかり、煩わしいことだから。


 天宮に不安を与えるような言い方だったが、同時に興味をかれる内容でもあったと思う。俺は彼の好奇心に期待して返事を待った。


 天宮はこちらを試すような、あるいは疑うような視線を向けてから、言った。


「まぁ、いいや。わかった、付いて行ってやる。でも、今日バイトあるから長居はできねぇぞ」


「ありがとう」


 同行の許可を得て、天宮と肩を並べる。俺たちは、限りなく物音の立っていなかった校舎を出て正門に向かった。


 たかぶった感情から生まれた、過去の後悔を清算するために。

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