天宮満 ⑪

 天宮の信用を得るため、彼について知っていることを全て話した。一回生の時、ボランティア部に所属していて、部員から借りたお金を賭け事に注ぎ込み、それがきっかけで仲違なかたがいしたことを。俺個人の事情、怨返しの呪いを省いて正直に打ち明けた。


 歩行者も通行車両も多い踏切の近くまで足を運んだ頃には、天宮に知っていることを全て話せた。踏切が閉まるまで、立ち止まって話をする。


「そうか。別に、俺の陰口を叩いてたわけじゃねぇんだな。まぁ、アイツだけは人のこと悪く言うようなヤツではなかったな」

 

 天宮は過去のことを振り返っていると、何かを思い出したように言った。


「あぁそれと、俺と同い年だろ。敬語とか別に使わなくていいから。君付けもなしで。よそよそしい喋り方はあんまり好きじゃねぇんだ」


 花月の時と同様に、普通に話してくれと注文を受ける。俺の敬語はどこか無理しているように聞こえるのか。それとも、俺と出会う人物は、敬語をあまり好まないのだろうか。


 カンカンと、電車の通過を知らせる踏切の音が鳴り始める。行き交っていた車は停止し、歩行者が一斉に動き出す。少しすると、踏切の音をかき消すように、電車が風を切って走っていく。


 俺たちは、青葉が茂る街路樹と低木ていぼくが並ぶ道を歩いていく。


「勘違いされていたらしゃくだから、これだけは言っとく」


 天宮が言った。


「俺はちゃんと、南場に借りた金を返したからな。周りはあることないこと言ってたが、金を自分で用意してきっちり返した。それで、あの部活を辞めた」


 花月の話を思い出す。返済期日が過ぎても天宮からお金を返されなかったのは、花月自身だったのか。周囲の人間から愛されている彼女だから、天宮をより強く糾弾する原因になったのかもしれない。


 天宮が俺から安易にお金を受け取るのを、避けている理由がわかった気がする。おそらく、部員からお金絡みで責められた過去があったからだ。自身のずぼらな性格を見つめ直し、矯正したのだろう。だから、花月から聞いた天宮の人物像と、現在の彼の人物像が俺の中で噛み合わなかった。


「あの部活を辞めて正解だった。俺にはああいう、集団行動に向いてない」


 天宮は未練がないと言ったが、俺から見てすっきりしているとは言えない顔だった。


 もしかして、何か心残りでもあるのか?


 訊いても別に怒られないだろう。前を見て歩く天宮に言った。


「本当に何の後悔もなく辞めれたの?」


「……何でそんなことを聞く。俺が嘘をついているとでも言うのか?」


「何となくそんな気がして」


 先程、言った覚えのある台詞を言った。


 俺たちの間に、沈黙という壁ができた。俺はこの見えない壁が嫌いだ。自分が、相手の神経を逆なでるようなことを言ったのではないかと、胸が締め付けられるほど不安になるから。


 天宮が力強い目で、俺の方を見てきた。


「お前の何となくは恐ろしいな」


 その返事は、俺の推測が正しかったことを意味していた。


「部活を辞めたことには後悔してない。もともと、強引に勧誘されて、曖昧な気持ちで入部した部活だった。ただ、どうしても気に食わないことがある」


 天宮は胸中に閉じこめていたやるせなさを、ゆっくりと吐き出してくれた。


「俺が南場に金を返すのが遅れて、他のヤツらとひと悶着あった話はしたよな。俺はその時、いろんなヤツからいろんなことを言われた。『お前がいると、雰囲気が悪くなる』とか、『人から金を盗むために来ているのか?』とかな」


 俺は彼の話を、ただ頷いて聞く。思うところがあっても、変に口を挟んで彼の話を尻切れトンボにさせたくなかった。


 当時の怒りを思い出したのか、天宮は巻き舌になって話を続けた。


「何でアイツらにそこまで言われる筋合いがあるんだよ。金の工面が少し遅れるようになっただけだろ。俺は別に南場から金を盗んだわけでもないのに、金を奪った恐喝者扱いにされた。最終的に金は返したのに」


 彼の口ぶりは、まるで冤罪えんざいを着せられた被害者のようであった。自身の過失を棚に上げて、部員たちの不条理な批判を嘆く。


「ボランティア部を抜ける時、それがどうしても気に食わなかった。もちろん、今でもそう思ってる。俺は悪くない。アイツらが俺を悪者に陥れた」


 天宮の言いたいことは何となくわかった。つまるところ、犯罪という犯罪を犯したわけでもないのに、なぜ、お金の窃盗犯という烙印を押されなければならなかったのか。腑に落ちない不名誉に激怒している。


 相当不満が蓄積されていたのか。天宮は自身の正当性を飽きることなく繰り返し言って、溜飲を下げた。時にジェスチャーを交えながら、一年前の不満を訴えてくる。


 いつ終止符が付くかわからない愚痴に付き合っていると、彼に変化が起きた。


「……けど、南場には申し訳ないことをした」


 吐き出すものを吐き出し、心の容量に空きができたのか。怒気の抜けた天宮は、初めて自身の非をしおらしく認めた。


「南場に心ないことを言ってしまった。『お前が簡単に金を貸すから悪い』って。酷い話だろ。南場は、約束の期日までに俺から金を返してもらうどころか、キレていた俺に八つ当たりされたんだ。アイツの悲しそうな顔がどうしても忘れられない。今更すぎるけど、ちゃんとあの時のことを謝りたい。感情的になって怒鳴ったりして申し訳ない、って」


 最後は、天宮の懺悔ざんげで締められた。ずぼらに見える金髪の男の内には、過去に受けた名誉の毀損と、花月を傷つけた罪の意識が心に粘り強く巣くっていた。どうしようもなく行き場のない義憤と後ろめたさを、平気なふりをして抱え込んでいた。


 俺は今の話を聞いて、天宮の認識が百八十度変わったわけではない。威圧的な態度を取られるのは苦手だし、粗暴な振る舞いをされると嫌になる。部員に爪弾きにされたからといって、同情するのも難しい。そもそも、最初に非があったのは彼の方だから。


 はっきり言って、俺は自己中心的なこの男ことを、あまり好きになれない。部活の人間が、この男を蛇蝎のごとく嫌ったように。俺とこの男は、根本的に価値観が異なっている。同じ空間にいるだけで、苦行に感じる。




 じゃあ、見限るのか? この嫌われ者を。




 ……いや、それはできない。




 なぜ? またいつかのように、人の顔色を伺って、虚ろな意思で献身するのか?




 違う、そうじゃない。誰かのためじゃない。自分のためだ。




 俺には怨返しの呪いがある。この男に恩を返さないと、俺に不利益が生じる。その相手が、自分と相性が最悪であっても。


「つまらない話を聞かして悪かったな。こんな話お前にしたところで、何もないのにな」


 全くだ。いくら不満を吐いたところで未来は何も変わらない。


 内心ではそう思いつつ、「いや、そんなことはない」と、気をつかっておく。


 これまでの談話で、俺の取るべき方向性が見え、手段が浮かんだ。お金をかけず、無駄に労力を割くことなく、恩を返せる方法を。他の誰でもない、天宮にだからこそ価値のある恩返しが。早ければ、明日にでも怨返しの呪いを終わらすことできる。


「そういえば、まだお前の名前聞いてなかったな」


「阪城公大」


 俺はフルネームで答えると、天宮が忌々いまいましく俺の苗字を言い返してきた。


「阪城っていうのか……。何かあだ名はとかねぇの?」


「いや、ないけど」


「じゃあ、あだ名をつくってくれ。それか、阪城って名前を改名してくれ」


「そんな無茶な……」


 人の苗字を呼びたくない理由って何だ? 天宮のことはだんだん理解してきたつもりだが、こればかりは理解しがたい。やっぱりこの男とは、仲良くなれそうな気がしない。


 天宮とは、帰路が分かれる終点駅まで一緒の時間を過ごした。俺は彼に心を許したつもりはなかったが、彼はその逆だった。


 連絡先を交換しようと言ってきたり、時間割を教え合ったり、一度は断ったパチンコに誘われたりした。俺の答えは最初に誘われた時と、変わらなかったが。


 話を聞けば、彼も俺と同じ経済学部だったので共通の話題が尽きることはなかった。会話に退屈は感じなかったが、無駄に足を広げて座席に座る彼には、もう少し他の乗客の目を気にして欲しかった。


 電車を降りて改札口の前で天宮と別れてから、ふと気づいた。大学に入ってから誰かと下校したのは、これが初めてではないかと。

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