天宮満 ③

「阪城さんは、お弁当にお茶をかけてから食べるのが好きなんでね、フフッ……」


「本気でそう思いますか?」


 俺が昼食を取っていたところに末治が現れると、開口から憎まれ口を叩いてきた。今日も、爽やかなビジネスマン風ので立ちをしていた。


「どんな理不尽に遭っているのか期待していましたが、まさか、袋の中でお茶漬けにするなんて、クスッ……。阪城さんは、僕の期待を裏切りませんね」


「それ、褒めてるんですか? バカにしてるんですか?」


 末治は、俺の前の席に座ってから、終始、殴りたい笑顔が絶えなかった。傍から見れば、友人同士が昼休みを楽しく過ごしている風に見えなくもないが、実際は違う。末治が一方的に、俺をからかって悦に入り、俺は嫌々、仕方なく相手をしていただけだ。


「でも、よかったです。心配していたんですよ、阪城さんのこと」


「心配ですか?」


 この美男にそんな人並みの優しさがあったのか。

「はい、花月さんの怨返しが、二日前の月曜日に終わりましたよね。もし、阪城さんが誰からも恩を受けないと、阪城さんの醜態を見れないじゃないですか。でも、阪城さんが誰かから恩を受けたおかげで、僕の楽しみが消えなくてよかったです。アハハッ」


 お前の心配は杞憂に終わったよ。


 空き教室に来てからショルダーバッグの中をよく探して見ると、財布は見つかった。バッグの底に上手く隠れていたのだ。購買でもう少し時間をかけて探していれば、怨返しの呪いにまた悩むことはなかったのに。


 目の前の美男にまともに応対していると、ストレスが際限なく溜まる。俺はなるべく食事に集中して、不必要な会話を避ける。願わくは、杜撰ずさんな受け答えをする俺に愛想を尽かして、ここから立ち去ってくれると嬉しい。


「ところで阪城さん、今回の怨返しを終わらせる算段はついているのですか?」


「いや、全くです。だいたい、相手の名前も知りませんし」


目処めどはついていないと……」


 おいこら、そこで小さくガッツポーズを取るな。


 末治に指摘されて改めて考えてみると、非常に困った状況に陥っている。恩を返す相手の情報が少なすぎるのだ。


 氏名、年齢ともに不詳。学部の所属も不明で、大学での行動パターンも不確定。


 先程、購買で会ったのが初めて、金髪、無精髭、高身長、粗野な振る舞い、といった特徴しか知らない。それも、ありふれた特徴だった。顔見れば思い出せるが、都合よく再会できるかわからない。


 ……これ、無理じゃね?


 俺は恩を返す前から、心が折れそうになった。毎日、大学の正門で金髪の男を待ち伏せるという最終手段があるが、そんな途方もない苦労をしたくない。どうしたものか。


 出口があるのかさえもわからない迷宮に入ったような気分だ。俺はわらにもすがる思いで末治に尋ねた。


「末治さん、俺の恩返しの相手の名前知っていますか?」


「申し訳ございませんが、存じ上げません」


 淡い期待はあっけなく砕け散った。


「ですが、ヒントを差し上げます。勘違いしないでくださいね。今回の恩返しの相手のことではなく、阪城さんに呪いをかけた、依頼人についてです。先日、阪城さんは花月さんの怨返しの呪いを終わらせたので」


 そういえば、この男は呪いを終わらせるたびに、依頼者のヒントを出すと言っていた。最初のヒントは、この大学に在学しているというあまりに漠然としすぎたものだったが。今からもらえるヒントで依頼者を見つけ出し、根本的な解決が望めるかもしれない。


 一度しぼんだ期待が、再び膨らむ。末治の言葉に耳を傾ける。


「ぜひ、教えてください」


 俺が問うと、末治は淡々と答えた。昨日の夕食の内容を特別な感情を込めず、ただ事実を報告するように。


「僕の依頼人は、過去にいじめを受けていました」


「えっ?」


 予想に反して、重々しい単語が末治の口から告げられた。


「僕の依頼人は、軽い嫌がらせを受けた程度だと笑って言うと思いますが、客観的に見れば、いじめを受けていました」


 いじめ。


 社会問題にもなっているその残酷な行為から、一気に不吉なイメージが広がった。


 俺は過去に、誰かをいじめたことも、それにくみしたこともなかった。だが、それは俺の主観だ。知らず知らずのうちに誰かを傷つけていたのかもしれない。


 俺はウーロン茶を一口飲んで、依頼人のいじめについて掘り下げた。


「誰が、いつ頃、依頼人をいじめていたんですか?」


「さぁ、僕もそこまでは。もしかして、阪城さん何か心当たりがあるのですか?」


「ないです」


 きっぱりと否定した。本当に身に覚えがないのだ。だが、今の俺と、過去の俺は、全然違う。正反対と言ってもいい。他人との交流が多かった頃の俺を思い出すと、もしかしたら、という懸念が浮沈した。


「今日、僕が阪城さんを訪ねたのも、ご褒美のヒントを言いに来ただけです。決して、また怨返しの呪いが始まりましたねと、嫌味を言いにきたわけでは……ククッ……ありませんよ」


 末治の冗談に付き合えるほど、心にゆとりがなかった。


 本当に身に覚えがないが、仮に、俺が無意識に依頼人をいじめていた過去あったとする。だとすれば、依頼人の胸中に怨恨のほむらが燻っていてもおかしくない。奇跡的に大学で俺と遭遇した依頼人は、眠っていた憎しみを再燃させた。そして、怨返しの呪いという形で報復をしてきたという可能性は考えられる。


 末治がどこかに行ってしまう前に、見苦しくも再確認した。


「そのヒントは、本当なんですか?」


 末治は相好を崩してきっぱりと言い切った。


「はい、事実です。噓偽うそいつわりないと誓えます」

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