第2章 天宮満

天宮満 ①

 花月と連絡先を交換させられた、その日の正午。


 今朝、朝食を抜いていたツケが回り、空腹に耐えられなくなっていた。あまり気は進まなかったが、昼食のピークタイムに購買へと足を運んだ。


 案の定、購買には目障りなほど学生が詰めかけていた。購買の狭い通路を通れば、他の人と体の一部が接触するのは当たり前。商品棚の前には人の壁ができていて、強引に手を伸ばさなければ手に入らない。


 何とか、からあげ弁当とウーロン茶を手にした俺は、五、六人ほど絶え間なく列ができているレジに並んだ。列に並びながら、いつでも会計を済めせるよう、ショルダーバッグから財布を取り出そうとした。


 だが、財布が手に当たる感触はない。


 嘘だろ。


 嫌な汗をかいてバッグの中身を覗くと、財布が見当たらなかった。普段から財布はバッグに入れているので、どこかに置き忘れたという可能性は限りなく低い。見えない角度にあるだけで、必ず中に入っているはずだ。そう願いながら必死に探す。


 俺の前にいた人たちが滞りなくお金を支払っていき、俺の焦りとは関係なく順番が回ってきた。財布はまだ見つかっていない。ヤバイ、どうする……。


「次の方どうぞ」


 ついに、店員から声をかけられた。


 もう少しバッグの中を漁ってみるか。いやでも、後列の人に迷惑がかかる。じゃあ、手に持った商品はどうする? とりあえず、支払い金額の合計だけでも出してもらって……。


 会計にぐずぐずしていると、後列に並んでいた男から「なぁ」と声がかかった。とうとう恐れていた事態になった。


 男の批難に身構える。が、予想外の言葉をかけられた。


「おばちゃん、俺とコイツ、一緒の会計にして」


 後ろに並んでいた金髪の男がそんなことを言ってきた。


 背丈が高く、ガッチリとした体格。睨みつけるように目つきが鋭く、太い無精髭が伸びていた。迷彩柄のパーカーの中に無地の白Tシャツを着ていて、ダメージが入ったジーンズといった、ストリート系の服装である。物怖じしない言い方と横柄な雰囲気から、俺より年嵩としかさの男だと思った。


「ほら、後がつかえている。お前が持ってるもの、早く置け」


「いや、でも……」


「いいから」


 金髪の男に言われるがままに、商品のバーコードを店員に読み取ってもらった。男はそんなに急いでいるのか。だとしたら、申し訳ない。


 金髪の男が持っていたカップ麵と炭酸飲料、それと俺が買おうとした商品の合計金額がレジに表示される。金髪の男は千円札を捨てるように置き、店員から受け取ったお釣りをぞんざいに財布に突っ込んだ。


 俺と金髪の男は別々の袋を受け取り、レジから外れた。通行人の邪魔にならない所まで移動し、金髪の男にお礼を言った


「あの、ありがとうございました。さっき払ってもらったお金を払うんで少し待ってくだ―」


「あぁ、別にいいって」


 男は、俺との会話を面倒くさがるように、俺の言葉を遮ってきた。


 こちらとしては、見知らぬ他人にお金を払ってもらって簡単に引き下がるわけにはいかない。


「そんなわけには――」


「俺はもう財布を直した。もう一回出すのは面倒だ」


「でも――」


「くどい、しつこい、うっとしい」


 何もそこまで言わなくても。


 男はかたくなに俺からお金を受け取ろうとしなかった。俺に背を向け、カップ麺に電気ポットの熱湯を注ぎに行く。


 男にそこまで頑固な態度を取られると、どうしようもない。俺はもう一度お礼を言って、購買を出た。

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