南場花月 ③


 次の授業開始まで、約一五分。教室の座席がちらほらと埋まっていく。


 さすがに末治も、教室の中までは追いかけて来なかった。俺が教室に入ろうすると、あの美男はため息を吐いて「何も起こらなくて残念です」と、俺を見送った。


 どの席に座ろうかと辺りを見渡す。ホワイトボード近くの席はまだ随分と余裕があったが、後列になるにつれて、人の密集率が高かった。


 何となしに、教室を一望していると、乳白色のニットを着た、淡いチョコレート色の髪の女を見つけた。先刻、恩義を受けた美女だった。


 名も知らない美女は、人が密集している後方の席で、男女に囲まれ談笑していた。彼女を取り巻く者たちは一様に端正な顔立ちをしていて、髪型、服装が共に垢抜けていた。類は友を呼ぶのだろう。が、あの女の容姿は、美形揃いの中でも頭一つ抜けていた。

 

 いかにも、充実したキャンパスライフを送っている若者の集まりといった光景。俺には全く縁がない。


 ただ、実のところ、俺はあの容姿端麗な女のことを全く知らないわけではなかった。大学に入学して授業が始まった頃に、俺はあの女と出会っていた。


 彼女と出会ったのは、大学生協で教科書を大量購入した春のことだった。俺は三十メートルほど伸びた長蛇ちょうだの列に並び、必要な教材を買い揃えに来ていた。


 長い待ち時間を経て、支払い済まし、あとは持ち帰るだけだった。


 だが、俺より少し背丈の高い人とぶつかり、教科書が入った袋を落としてしまった。本は床に散らばり、周りから冷たい目線、おまけに俺と当たったやつは謝罪の一つもなく立ち去った。慣れない環境にいるストレスからか、待たされている苛立ちからか、周りの人間は誰も助けてくれなかった。


 あの女を除いて。


 あの女は教科書を買う列から抜け出して、俺と一緒に落とした物を拾ってくれた。他人の目を気にせず、周りに流されることなく、順番を抜かされていることに構わず。俺を助けてくれた。


 彼女の協力もあって手早く本の回収ができると、俺の前から黙って立ち去ろうとした。俺が礼を言うと、彼女は照れくさそうに破顔し、長蛇の列を並び直しに行った。


 本人はとうの昔に忘れているだろうが、俺は覚えている。彼女の見た目だけではない、綺麗な内面を。

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