末治英雄 ④

「これでいいですか?」


 俺が末治に冷えた缶コーヒーを手渡して訊くと、満足そうに「はい、大丈夫です」と応えた。


 俺と末治は場所を移して、食堂に近接した自動販売機に来ていた。連休明けで食堂も中庭もいつもより学生が少なかったが、それでもそれなりの賑わいを見せていた。


 不承不承ふしょうぶしょうではあるが、昼休みの喧騒に足を運んだ。末治の言う呪いとやらに耳を貸してしまったからである。厳密に言うなら、耳を貸さざるを得なかった。


 末治の言う呪いが、あながち、でたらめではない可能性が浮上したからだ。飛んで来たビニール袋を顔面に受けた後も、誰かに仕組まれたように不幸が続いた。


「飲み物をおごったくらいで、本当に呪いが解けるんですか?」


「僕の望みを叶えていただいたので、大丈夫です。阪城さんは何か飲まないのですか?」


「食堂でご飯を食べる時、水がタダで飲めるんで大丈夫です」


「節約家ですね。それにしても、阪城さんのズボンに鳥のフンが落ちた時は笑えましたね、アハハッ」


 被害者は笑えねぇよ。


 すれ違う他の学生から白い目で見られ、ジーンズに付いた汚れをトイレで取るのにどれだけ苦労したか。


「まだ、信じ切れていないところもあるんですが、呪いって何なんですか?」


「鳥のフン……フフッ……本当に憐れ……」


 いつまで人の不幸を笑うのだろう。憤りを通り越して呆れてしまう。


 末治は込み上げる笑いを落ち着かせ、コーヒーを一口飲む。やっと会話ができる状態になった。


「阪城さんにかかっている呪いは『怨返おんがえし』という呪いです」


「『怨返し』?」


怨念おんねんおんに、返すと書いて怨返しです。先程も少しその話に触れましたが、これから手短に説明していきます」


 怨返し。


 恩意を返すのではなく、怨恨を返す。その言葉は聞くからに厄介そうだった。


「先程のおもしろい――ではなく、不幸な出来事に阪城さんが遭い、薄々どういった呪いなのか見当がついているのではないですか?」


「まぁ、なんとなくは。人から受けた恩を返さないと、痛い目に遭うってことですよね」


「まさに、おっしゃる通りです」


 末治はやわらかい表情で頷きながら言った。


「人から受けた恩を返すまで、災厄が降り続けるというのが怨返しの呪いです。阪城さんはこんな経験ありませんか? 人助けの見返りがなかった時の虚しさ、哀しさ」


「……さぁ」


「見返りは要らないと言いつつも、人の本心は何かしらの恩恵を欲しているものですよ。そうではないと、不公平ですからね」


「その不公平を無くすための呪いが、怨返しというわけですか?」


「はい。不公平は不満を生み、それが溜まれば理不尽な怨みが芽生えます」


 だから末治は、俺に食べ物を与え、コーヒーをおごらせたのか。俺が栄養食品を食べて恩を感じ、その恩を飲み物をという形で返させるために。末治が、行為自体に意味があると言ったのは、恩を着せられるものであればどんな手段でもよかったのだ。


 ではこの呪い、俺の大学生活にとってほぼ無害なのではないか?


「末治さん、ちょっといいですか?」


「ちょっとと言わず、何でも聞いてください」


「人から恩を受けて、その恩を返すまで不幸な目に遭ってしまう。それが俺にかけられた呪いですよね?」


「えぇ、その通りです」


「じゃあ人から恩を受けないと、呪いの効果は表れないですよね。極端なことを言えば、人付き合いがなければ意味ないですよね?」


「えぇ」


 期待通りの肯定だった。人と接する頻度が極端に少ない俺にとって、人から恩を受ける機会などそんなにない。とどのつまり、この怨返しという呪いは、俺にしてみれば大きな障害ではなかった。呪いのことを念頭に置いて過ごせば、呪いがかかる前と何も変わらない。


 しかし、安堵したのも束の間、末治がから意味深な言葉を告げられる。


「それができればの話ですが」


 こちらの思考を見透かし、不安を増長させるよう意地悪に微笑む。悪意に満ちた表情を見て、心なしか男の声色に温度がなくなったような気がした。


 さすがにこの男でも、俺の孤立無援のキャンパスライフまで思い通りにできないだろうが『まさか』の三文字が頭によぎる。この男の底知れない影響力を垣間かいま見た。

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