末治英雄 ③

 俺は「図書館で作業することがあるので」と、末治に不快な思いをさせないよう別れを切り出し、ベンチから立とうとした。


 刹那せつな、「危ないッ」という、緊張感が多分に乗った叫び声が遠くから聞こえてきた。


 叫声の直後。左耳で風を切る恐ろしい轟音ごうおんが聞こえた。はっきりと見えなかったが、視界の隅で何かがけ抜けた。氷のナイフで撫でられたみたいに背筋が寒くなる。高鳴る心音を感じながら、後方から飛んで来たものの正体を確認する。

 

 飛来してきた物の正体は、サッカーボールだった。サッカーボールは均一の高さに刈られた庭木に当たり、通り道に転がっている。


「すいません、大丈夫すっか?」


 短髪の好青年が、慌てた表情で駆け寄ってきた。男は運動に適した軽装をしていて、スポーツマン然としたはきはきとした声と、しなやかな身体付きだった。


「一応、大丈夫です……」


 恐怖は植え付けられたが。


 俺の無事を確認した男は、「ギリギリ当たらなくて本当によかったです。ご迷惑おかけしました」と、軽い謝罪してきた。俺に外傷がなかったのでそこまで負い目を感じていないのか。謝るとすぐにサッカーボールを回収して、仲間が待つ人工芝に戻って行った。


 人生にそう何度もない肝を冷やす経験だった。俺がそんな危険な目に遭っていたのに関わらず、傍らで座っていた美男は、太ももを叩いて愉快そうに笑っていた。


 俺の冷ややかな視線に気づいて、男は笑い声を抑えながら言った。


「いや、すいません……フフッ……。あなたの見開いたマヌケ面が、あまりにも滑稽だったので、つい。それにしても、惜しかったですね」


 惜しいって、何が?


 紳士的な振る舞いから打って変わり、悪戯を成功させた子どものように陽気になっていた。俺の中でこの美青年は、ただの怪しい男から、怪しくて腹立たしい男になった。


「これでわかっていただけましたか? あなたに呪いがかけられていることを」


「ただの偶然じゃないですか」


 男の言葉を断固否定し、再び腰を上げた。これ以上、この男のオカルト話に付き合っていられない。


 しかし、自然に立ち上がれずバランスを崩し、両手と両膝をタイルの地面についた。ちゃんと受け身を取っていたので、地面に接触した痛みはあまりなかった。


 自分の身に何が起きたのか、焦る気持ちを静めて速やかに把握する。ゆっくりと立ち上がり、バランスを崩して倒れた原因を確認した。


 俺は、自身の靴ひもを踏んで倒れたのだ。いつの間にほどけていたのか。さっきまでは結ばれていたはずなのに。


 末治は、無様をさらした俺を見て、またパンパンと太ももを叩いておもしろがっていた。


「サッカーボールが耳元を横切り、靴ひもを踏んで転ぶなんて、フフッ……、すごい不幸な偶然ですね」


 明らかに挑発する末治の物言いだった。


 嫌な予感がしてきた。もしかして、この男のでたらめな話が、受け入れがたい残酷な真実なのではないかと……。


 だが、認めたくない。男の話を受け入れたくないという意地で、言い返そうとした。


「でも、三度目はありませ――」


 パシャ……。


 俺の言葉を遮るように、ビニール袋が顔面にヒットした。もう何て言えばいいのかわからない。


「知っていますか。偶然が重なり続けると、それはもう必然なんですよ」


 男は勝ち誇るように言った。

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