1月 火種
陰鬱な空の色だった。
どんよりと曇った空を見上げ、桂木京子は細く長い息を吐いた。その息は、冬の冷たい空気に触れ、白く煙る。
斎場の入り口には、「美園ホーム合同通夜会場」という看板が立っている。
京子は斎場の裏口から外に出て、スマフォで電話をかけていた。
「――うん、私は大丈夫。ケガは軽いから……マスコミがね、病院にも殺到して大変だったの。私もコメント求められて。そのときの映像が流れたみたい」
話しながら、ガラス戸に映った自分の姿に、ふと目を留めた。
細く小柄な体に、喪服用のツーピース姿。ここ数日泣いて過ごしていたため、まぶたは腫れ、目も充血している。肩に届く長さのボブヘアは、あちこちはねて乱れている。京子は、思わず髪の毛を手櫛で整えた。その右手に巻いてある包帯が、やけに白くて目立つ。
「――うん、大丈夫、わざわざ来なくても。お母さんも仕事で大変でしょ? お父さんにも来なくていいって言っておいて」
そのとき、「桂木さん」と奥から呼ぶ声がした。
「それじゃ、仕事に戻らないと。また電話するね」
京子は電話を切った。
「ああ、ごめん、電話中だった?」
黒いワンピースに身を包んだ本庄好美が外に出てきた。
「休憩して来たら? お弁当が届いているから」
「はい……あんまり、食欲なくて」
「そうよね、私も」
好美は京子の隣に立ち、タバコを取り出して火をつけた。
「もう、園長たち、遺族から責められ続けて、見てられないわよ。放火だっていうのに、あんた達の管理が行き届いてなかったんじゃないか、ってさ。どうしろっていうのよねえ。夜勤はみんな、入居者のお世話をしていたのに、そのうえパトロールもしろっていうの? そんな余裕、ないってえの」
煙を吐きながら、好美は怒りを含んだ声でまくしたてる。
「ほんとですよね」
京子は適当に受け流した。
好美はこんなときでも不自然なほど顔を白く塗っている。だが、目元の小じわまでは隠しきれない。一重で鼻も低く、いつも口を半開きにしているので、京子は初対面の時に「能面みたいだな」と思ったのだった。
好美に正確な年齢を聞いたことはないが、おそらく40代前半だろう。後ろで1つにまとめた髪には白髪が目立っている。独身だとは伝え聞いているが、「私、まだ二十歳だから」と自虐ネタで入居者から笑いを取っている姿を見て、京子はいつも「イタい人だな」と思っていた。
「桂木さんも大変よね。前の仕事を辞めて、ここに入って半年ぐらいしか経ってないでしょ?」
「ええ」
「これからどうするの? 美園ホームは当分営業できないだろうし。また別の施設で働くつもり?」
「ええ、できれば」
「そうね、桂木さんなら若いから、転職先も簡単に見つかるわよね。大丈夫でしょ」
「はあ」
――若いって言っても、もう32なんですけど。
京子は心の中でつぶやいた。
「ねえ、とよさんなんか、桂木さんを孫のように可愛がってたのにね。まさか、こんなことになるなんて……」
「あの、私やっぱり、ちょっと休んできます」
「そうして。あ、お湯で溶かす味噌汁もついていたから、ポットのお湯がなければ係の人にお湯をもらってね」
京子は、ハイ、とあいまいな笑みで返しつつ、
――こんなときにも細かいことに気が利きすぎる人って、なんかうざいな。
と、内心思っていた。
控え室に入ると、テレビがつけっぱなしになっていた。ワイドショーでは5日前の老人ホームの放火事件を繰り返し報道している。
すすで真っ黒になった美園ホームの外観が映し出され、テロップには『悲惨! 奥多摩老人ホーム放火 死者17名、重傷者21名』と書いてある。
そこに、急に京子の姿が大写しになる――数時間前、通夜会場に入るときに、待ち構えていたマスコミにマイクとカメラを向けられたのだった。
「今日は合同通夜ですよね。遺族の方々とは、どのような話をされたんですか」
マイクを向けたのは、化粧を厚塗りにして香水の匂いをプンプンさせている、中年女性だった。神妙な顔つきをしているが、眼はギラギラと光っていたので、京子は思わず眉をひそめた。無言で頭を下げ、足早に立ち去ったのだ。
「こんな映像流して、どうするんだろ」
京子はスイッチを切り、ため息をつきながらテーブルに突っ伏した。この5日間、まともに眠っていない。眠ろうとすると、あの火事の光景が脳裏に蘇り、考えまいと思うほど、より鮮やかに炎が渦巻くのだった。
そのとき、「すみません」と声をかけられた。
「ハイ」
顔を上げると、喪服姿の男が入口に立っていた。
「お茶かなんか、もらえます? 家内が気分悪くなってしまって」
「ハイ、すぐに入れます」
男はそのまま入り口に立ち、京子がお茶を入れる様子をじっと見つめている。
「ホームで一度お会いしたこと、ありますよね」
男に言われて、京子は改めて男の顔を見た。50代前半に見える男は、やせぎすで白髪まじりの髪を丁寧にセットし、メガネの奥には神経質そうな細い目が光っている。
「あ、もしかして、とよさんの……」
「ええ、一度ホームでご挨拶しましたよね。うちのお袋から、桂木さんの話は聞いていました。若いのに、よく頑張ってるって話していて」
京子は3ヶ月前のことを思い出した。
佐藤とよが複雑な表情で「息子が会いに来ている」と言ったとき、京子はとよの車椅子を押しながら、「そうですか。何カ月ぶりなんですか?」と無邪気に尋ねた。
「1年ぶりよ」
短く答えたとよの言葉に、京子は何も返せなかった。
談話室でとよと息子は30分ほど話していた。気になって遠くから様子を窺っていると、息子は久しぶりの面会にニコリともせず、無表情にとよと話していた。とよも沈んだ表情で、笑顔がない。
話が終わると、息子は足早に玄関に向かった。とよが後を追おうとしたので、京子は慌てて車椅子を押すために駆け寄る。玄関で、とよは小さな手提げのバッグから封筒を取り出し、息子に差し出した。
「これ、まゆちゃんに渡して。結婚するなら、何かと物入りだろうから」
息子は顔をしかめ、
「いいよ。そんなカネもらっても意味ないから。ここに入所するときに親父の遺産は使い果たしちゃったし、毎月の支払いは年金でなんとかやってもらうしかないんだから。余計なことにカネ使わないでよ」
と受け取ろうとしなかった。
その後、息子は振り返りもせずに車に乗り込み、去って行ったのである。
車を見送るとよの手は、封筒を握りしめながら震えていた。小さな丸い背中がますます丸くなっていた。
息子はとよが住んでいた家を処分するという話をしに来たのだと、後で聞いた。とよと亡くなった夫が住んでいた家は、とよがホームに入ってから誰も住んでいない。長期間空き家にしておくと家がますます傷むので、早い段階で売ってしまいたいという相談だった。
「相談って言ってもね、『もう売るところも見つけたから』って言ってたから、ただの報告ね。ホームに入る前に、処分できるものはしておいたからいいんだけど、思い出の品もあるからねえ……」
とよは寂しそうに語っていた。
「それは、さすがに取っておくんじゃないですか?」
京子が聞くと、とよは頭を振った。
「今の家は狭いから、置いておける場所がないって。せめて、結婚するときにお父さんからもらった鏡台だけでも取っておいてって言ったんだけど、『あんな古い鏡台、取っておいてどうするんだよ』って言われて……きっと、捨てちゃうんでしょうね」
ひどい息子さんだな、とその話を聞いて京子は心底とよに同情した。
今、その息子は、爬虫類のような冷たい目で京子を見つめている。
「桂木さんはあの日の夜の当直だったんですよね。まあ、あなたもケガをされて、大変でしたよねえ。ケガをしながらも、人を救おうとしたなんて」
「いえ、そんな」
「でも、うちのおふくろのところには行かなかったんですか。おふくろ、ベッドに寝たまま亡くなったんですよね。他の人はみんなドア付近や廊下に倒れてたのに、うちのおふくろだけが寝たままだったって。まあ、ぐっすり眠ってたのかもしれないけど。おふくろの部屋まで行くのは、無理でしたか?」
「それは……」
京子はどう答えたらいいのか分からず、黙り込んでしまった。
「まあ、いいんですけれど。生き残った人は、これから別のホームを探さなきゃいけないだろうし、入院している人は治療代がかかるし。それを考えたら、亡くなってくれたほうがよかったって、うちの家内とも話してるんですよ。不幸中の幸いだったって」
「……」
――まあ、いいんですけれどって、何? 亡くなってくれたほうがよかったって? はああ?
京子の顔色が変わったのを見て、息子は「ちょっと、しゃべりすぎたかな。疲れてるもんで」と目をそらした。
「まあ、あなたも大変ですよね。頑張ってください」
息子は軽く会釈をして去って行った。
渡しそびれた湯飲みを見つめながら、
――やっぱり、とよさんのあの時の決断は、正しかったんだ。
と、京子は唇をかみしめた。
「とよさん、火事です!」
京子がとよの部屋に飛び込んだとき、とよは静かにベッドから起き上がった。
「京子ちゃん、来てくれたの」
「早く、早くしないと、煙が2階まで来ているんです。3階にも、すぐに来るかも」
京子が車椅子をベッドの横につけようとしたとき、「いいのよ」と、とよは制した。
「私はいいから。他の人を助けてあげて」
京子はポカンとして、とよの顔を見つめた。
「えっ、でも、他の人を助けてからじゃ、戻って来るまでに時間がかかるし」
「いいの、戻って来なくて。そっとしておいて」
「そっとしておくって?」
「私はいいの。ここで死ぬから」
とよは再びベッドに横たわり、布団を肩まで上げた。
「やだ、何言っているんですか。火事ですよ、逃げなきゃダメですよ」
京子は混乱しながら、とよの布団をはぎとろうとした。とよはすごい力で、布団をとられまいと引っ張る。とても年寄りとは思えない力だ。
――もしかして、痴呆が始まったとか? こんな時に?
京子は布団を引っ張るのをやめ、部屋の外に駆け出た。
「誰かっ、手伝ってくださいっ、とよさんが、起きようとしないんですっ」
だが、京子の声は廊下に響き渡る悲鳴や怒号などで、むなしくかき消された。杖をつきながらヨロヨロと逃げていく入居者もいるが、とても手助けを頼めない。
京子は再び部屋に戻り、今度は強引にとよを起こそうと、体の下に腕を差し入れた。
「やめてっ」
突き飛ばされ、京子はバランスを崩した。車椅子に足を取られ、「あっ、あっ」と声をあげながら、車椅子ごと床に転がった。
右腕を強打して、あまりの痛さに起き上がれない。
「京子ちゃん、大丈夫? 大丈夫?」
とよのオロオロした声が聞こえる。とよは、ベッドから心配そうにこちらを見ている。
「ごめんね、京子ちゃん、ごめんね。」
そのとき、どこかでガラスの割れる音がした。
――マズい。逃げないと。
京子は腕をさすりながら立ち上がる。
「京子ちゃん、もう行って。早く逃げなきゃ」
「だから、とよさんも」
「私はいいから。私、ここで死にたいの」
とよはきっぱりした口調で言った。とよの目には強い光が宿り、正気なのだと分かった。
「どうして、そんな」
「だって、私には帰るところがないんだもの」
とよの目から涙が零れ落ちた。
「私の家は売っちゃうって言ったでしょ? でも、あの子の家には行きたくないの。あの家に行ったら、絶対に嫌がられるから。あの子の嫁は、本当に冷たい人で、絶対にうまくやっていけない。あの子だって……」
とよは嗚咽をもらした。あの子とは息子のことだろう。
京子は黙ってとよの泣き顔を見ているしかなかった。説得しようにも、かける言葉がない。
部屋が煙たくなってきた。もう、迷っている暇はない。
とよは涙を拭うと、やや落ち着いた様子で、
「もう私は、お父さんのところに行くから。これでやっと死ねる。やっと死ねる」
とかすれた声で言った。
京子は左手でとよの手を握った。とよも握り返す。
「ありがとうね。京子ちゃんに会えて、よかったわ」
「とよさん……」
近くの部屋から悲鳴が聞こえた。
「さあ、行って」
とよは、かすかに微笑む。京子は頷いて、ドアに向かった。
「ありがとうね、京子ちゃん、ありがとう」
最後に振り向くと、とよは小さく手を振っていた。
廊下に出ると、すでに煙が充満している。京子はとっさに膝をつき、袖で口を覆った。そのとき、右手から血が流れ出て、袖口を染めていることに気づいた。転倒したときに切ったのだろう。
――逃げなきゃ。
京子は煙が流れていく廊下を、無我夢中で這い進んだ。
それが、とよとの別れだった。
外に出て、炎に包まれた建物を見上げながら、京子は「本当にこれでよかったのかな」「でも、とよさんがそう決めたんだから」と、何度も自問自答した。
ケガをした入居者に付き添いながら病院に行き、京子自身も手当を受けているときに、ふと「生きたまま焼かれるのって、ものすごく苦しいんじゃ」と思い至った。スマフォで、火事で亡くなるときの状況を調べて、身体が焼かれる前に一酸化炭素中毒で意識を失うことが多いのだと知り、少し安堵した。
それでも、とよを置き去りにしたことには変わりはない。
日が経つにつれ、京子はとよを強引にでも連れ出すべきではなかったのかという後悔の念を抱くようになっていた。
小田急線の藤沢行きの急行が、新宿駅で発車時刻を待っていた。
車内は混雑しているほどではないが、席は既に埋め尽くされ、立っている乗客がチラホラいる。
杖をつきながら、一人の老爺が乗り込んできた。老爺は優先席に座っている乗客をギョロリと睨み、目を閉じている若い女の前に立った。
老爺は、いきなり女のすねを杖で叩いた。
女は、驚いて目を開ける。
「ここは優先席だろうが、なんで座ってるんだっ」
車内に響き渡るような声で、老爺は一喝した。
女は眠っていたのか、何が起きたのか理解できないようで、辺りをキョロキョロと見回している。
「目の前に年寄りが立っているのに、なんで譲らないんだっ」
老爺は、なおも怒鳴りつける。
ややあって、女は
「気分が悪くて、座ってたんですけど……」
と、弱々しい声で反論した。
「はあ? 出かけるぐらいの元気があるんだろ?」
「いえ、これ」
女は、カバンにつけているキーホルダーを示した。
「なんだ、それは」
「マタニティーマークです」
「は? なんだ、それ」
「だから、妊娠初期で具合が悪いから」
「妊娠は病気か? 違うだろうがっ」
老爺は目を見開き、額に青筋を立てながら怒鳴りちらす。
「お腹に赤ちゃんがいるんだから、いいじゃないですか」
見かねて、隣に座っていた老婆が助け舟を出す。
「あんたには関係ないっ。ここは高齢者が座る席なんだから、お前はどっか行けっ」
老爺の勢いに押されるように女は立ち上がり、青ざめた顔で電車から降りた。
「まったく、近頃の若者は、すぐに座りたがって。俺が若いころは、電車ではずっと立ってたよ。それが礼儀ってもんなんだ。優先席は高齢者が座るものだって、親が教えなかったのかねえ」
老爺は大声でまくしたてながら、席に座る。隣の老婆は顔をしかめて立ち上がり、電車から降りてしまった。
ややあってドアが閉まり、電車はゆるやかに走り出す。
優先席に座っている人たちは、老爺と目を合わせないように本を読んだり、目を閉じたりしている。
「あのジジイ、最低」
「頭おかしいよ」
離れたところに座っている女子学生がひそひそ声で話している。
女子学生の隣で、老爺を睨みつけている男がいた。男はスマフォを取り出し、すばやくLINEでメッセージを打つ。
クジョブルー
小田急線で、害虫発見。
優先席に座っていた妊婦さんを杖で叩いて、妊娠は病気か?どけって怒鳴ってた。
この害虫、クジョすべき?
数分後、メッセージが届く。
クジョレッド
クジョ、ゴー!
男は黒い毛糸の帽子をリュックから取り出して目深にかぶり、皮手袋をはめた。
老爺は代々木上原に着くと立ち上がり、杖をつきながらホームに下りた。男は老爺を追うようにホームに降り立った。
老爺は意外としっかりした足取りでエレベーターまで歩いていく。男は2、3メートルほどの距離をとりながら、後ろをついていった。
エレベーターの扉が開き、老爺は乗り込む。男も乗り込み、すばやく背を向ける。扉が閉まり、エレベーターはゆっくりと動き始めた。
「若いもんは階段を使え」
一瞬、誰に言っているのか分からなかった。
「これは高齢者が使うんだ。階段を使え」
杖で足をこづかれて、初めて男は自分に向かって言っているのだと気付いた。驚いて振り向くと、老爺が眉をしかめてこちらを見ている。
「ああ!?」
頭の中で、何かがプツンと切れた音がした。男はダウンコートのポケットに忍ばせてあるものを握りしめる。
老爺は男の剣幕に驚いたのか、気まずそうに体の向きを変えた。
「こいつ、やっぱり1ネンキンだ」
男がつぶやいたとき、エレベーターは改札階に着いた。誰も乗り込んでこない。
扉が開き、老爺がエレベーターを降りようとしたとき、男は老爺の肩を叩いた。何事かと振り向いた老爺の胸に、ポケットから取り出したものを目いっぱい突き立てた。それは、アイスピックだった。
「うっ……」
老爺の息が、男の額にかかる。
目を見開いている老爺に向かって、男は「フッ」と歪んだ笑みを見せた。
閉まりかけた扉に挟まれかけながら、男はエレベーターを飛び出す。扉が閉まる瞬間、「だ・誰か……」と助けを求める老爺の声が聞こえた。
男は足早に改札を出て、駅から離れた。
歩きながら、LINEでメッセージを打つ。
クジョブルー
代々木上原のエレベーターで、害虫を退治しました。
ブンブンうるさい、カナブン系の害虫です。
オレも杖でつつかれた。死ね。ホント、死ね。
道具はアイスピック。1ネンキンよろしくです。
「――まったく、世も末だな」
武山隆太郎は、お茶をすすりながら苦々しくつぶやいた。
テレビのニュースやワイドショーでは、繰り返し老人ホームの放火事件について報道している。
「うちは親父もおふくろも早くに亡くなっているから、老人ホームに入れる心配なんてしなくてよかったけど。安らかに死を迎えようと入ったホームで焼き殺されるなんて、残された家族もショックだろうなあ」
「ええ、本当に。隣の田中さんも、うちのホームは大丈夫かって心配してたわよ。田中さんのところはお父さんをホームに入れてるんでしょ。お父さんが3年前からボケはじめて。旦那さんの両親はまだ元気なんだけど、もしそっちの両親もボケたらどうなるんだって、この間話していて。旦那さんの両親は二人とも教師で、かなり厳しい性格みたいでね」
「ごちそうさま」
妻の久美子の話を遮るように、隆太郎は席を立った。久美子は話を始めると、時間も気にせずに延々としゃべり続ける。若いころはそんな久美子の明るさが好きだったが、今では騒音にしか聞こえずうんざりする。
隆太郎は洗面所に入った。メガネをはずし、歯磨きをした後、顔を冷たい水でザバザバと洗い、タオルで拭く。
背後に人の気配を感じて振り向くと、息子の透が立っていた。髪はボサボサ、目はうつろで焦点が合っていない。色あせたTシャツからはたるんだ腹がのぞき、着古した青いジャージはずり落ち、パンツが見えている。体重は100キロを超えているのではないか。
「なんだ、朝早くから、珍しいな」
隆太郎が声をかけても、透は無言で洗面所の横にあるトイレに入った。
隆太郎はヘアトニックをつけ、髪を整えながら、透が出てくるのを待つべきかどうか迷っていた。数秒で透は出てきたので、「一昨日の面接、どうだったんだ?」と聞いた。
透は隆太郎と目を合わせず、何も答えずに二階の自分の部屋へと戻りかけた。
「結果ぐらい報告しろって。俺が紹介してやった会社なんだぞ?」
思わず隆太郎が声を荒げると、透は一瞬立ち止まったが、振り向きもせず階段を重い足取りでのぼっていった。
「どうしたの?」
久美子が顔を覗かせた。
「透がいたんだよ」
「あら、こんな早くから珍しい……そうそう、二階のトイレは詰まってたんだっけ。修理呼ばなきゃ」
「そんなんはどうでもいいよ」
隆太郎は苛立った。
「あいつに一昨日の面接はどうだったって聞いても、何も言わないんだよ」
「ああ、あれはダメだったの。電車に乗る前に気分悪くなって、帰ってきちゃったのよ」
「え? そんな話、聞いてないぞ」
「あなた、忙しそうだったから、話すきっかけがなくて」
「何言ってんだよ。知り合いに頼み込んで、面接してもらうことになってたんだぞ。すぐに俺に報告するべきだろうが」
「だって、仕事中は連絡するなって言うから」
「昼休みにでも電話すればいいだろ? それぐらい、自分の頭で考えろよっ」
久美子はあきらかにムッとした。
このやりとりは、透にも聞こえているだろう。構わない、自分のしたことでどれだけ親に迷惑をかけているのか、知るべきだと隆太郎はわざと声を大きくした。
「こっちから、先方には断りの電話はしておいたから、問題はないってば」
「お前が電話したのか?」
「そうよ。透がするわけないじゃない」
「もしかして、面接にもついていったんじゃ」
「しょうがないでしょ、透が電車に乗るのは久しぶりだったんだから。でも、会社の中にまで入ろうとは思わないわよ。外で待ってるつもりで」
「当たり前だっ。母親連れで面接に行ったりしたら、恥さらしじゃないか。勘弁してくれよ、もお」
「駅で引き返してきたんだから、恥なんてかかせてないじゃない」
「いや、そういう問題じゃなくて。分かんないかなあ?」
隆太郎はため息をついた。
久美子は顔を真っ赤にして、「いつも、そういう人をバカにした言い方をするんだからっ」と隆太郎をなじる。
「もともと事務の仕事なんて、あの子には向いてないし。いいじゃない、この話がダメになっても」
「向いてる、向いてないなんて、働いてみなきゃ分かんないんだっ」
隆太郎はますます声を荒げた。
「どんな仕事だろうと、仕事を選べるような立場にないだろう? とにかく外に出すのが目的なんだから、コンビニのレジ打ちだっていいんだよ」
「あの子には接客は無理よ」
「お前がそうやって甘やかすから、透は7年間も引きこもっているんだよ。俺もいつまでも働いていられるわけじゃないんだから。自立してもらわないと、老後はどうなるんだ? 俺らの年金を頼りに引きこもってたら、一家で首くくらなくちゃいけなくなるぞ」
「そんなの、まだ先の話じゃないの。それに、あんまり厳しくして暴力でも振るわれたら困るじゃないの。この前も、引きこもりの少年が親を殺したって、ニュースで言ってたでしょ。テレビの専門家も、子供をあまり追い詰めるようなことを言っちゃダメだって」
「もういいっ」
吐き捨てるように言うと、隆太郎はタオルを床に投げ捨てて、自分の部屋へと向かった。
珍しくもない、もう何年も繰り返されている武山家の日常の1コマである。
警察の現場検証に立ち会うため、京子は美園ホームに来ていた。
ホームの中は立ち入り禁止になり、あちこちに黄色いテープが張り巡らされている。まるでドラマのようだな、と京子は思った。
白い外壁はすっかりすすけて、多くの部屋の窓ガラスが割れている。まだ焦げ臭いニオイが漂い、京子は鬱々とした気分で建物を見上げていた。
――とよさんがいた部屋は、あそこかな。
「京子ちゃん、こっち」
園長の山本元に呼ばれた。元は、普段は陽気で冗談ばかり飛ばしているが、今は目はうつろで充血し、クマがくっきりとできている。
――無理もないな。
放火事件が起きた翌日には記者会見でカメラの前で頭を下げ、連日マスコミから「管理体制が甘かったのでは」「遺族への補償は」と追及されている。逃げ道を確保していなかったのではないかと、本社には警察の捜査が入っていると聞いた。
遺族のなかには、遺体にすがって泣き伏す者もいたし、すぐにお金の話を持ち出す者もいた。元はそのすべてに対応し、憔悴しきっているのだ。
元の隣に立っていた50代前半ぐらいの男が、タバコを携帯灰皿でもみ消した。
白髪まじりのその男は、「どうも、警部の森山幸輔です」と名乗った。顔は浅黒く、恰幅もよく、いかにも「警部」という感じである。鋭い光を放つ眼差しにすべてを見透かされそうで、京子はドギマギした。
「あなたもあの日の夜、宿直担当だったんですか」
「ハイ、私はA棟のBフロアの担当でした」
「A棟のBフロアというと」
「この建物の、2階です」
元が建物を指差しながら答えた。
「ああ、なるほど」
「渡り廊下でつながっているのがB棟で、各棟は3つに分けて、それぞれ」
「ああ、そういう話は後でいいですから」
元の話を幸輔は途中で遮り、京子に向き直った。
「火災が起きた夜11時30分ごろ、あなたはどこにいたんですか」
「私は真鍋さんの部屋にいました」
「真鍋さんって? どこの部屋の人ですか?」
「あの辺です」
京子が指差すと、「ああ、火元からは遠い部屋ですな」と幸輔はつぶやくように言った。
「巡回をした時に、真鍋さんが排便をしてパジャマにはみだしてるのに気付いて。体を拭いて、おむつを替えて、シーツとパジャマを取り替えてたんです」
「それ、あなた一人でやってたんですか?」
「ハイ」
幸輔は意外そうな顔をして、京子の顔をしばらく見つめた。
「――いや、失礼。あなたのように若い女性が、そんな汚い仕事を嫌がらずにしている姿が想像できなくて。そうですか。お一人でねえ、偉いですなあ」
京子はどう答えたらいいのか分からず、あいまいな笑みを返した。
「京子ちゃんは、入社してまだ半年なんですけど、まじめだし、みんなから信頼されてるんですよ」
元の話を、幸輔は「ああ、そうですか」と聞き流した。
「その真鍋さんの部屋に11時半ごろいたと。そのときに何か物音を聞いたりは」
「聞きました。何かが割れる音」
「ああ、トイレの窓が割られた音ですね。それで」
「誰かがコップか何かを割ったのかなと思って、それなら危ないから後で見に行こうと思ったんです」
「で、火事だと気づいたのは」
「しばらくして、何か焦げるような匂いがしているな、と思って。見て来ようと思ったときに火災報知器が鳴って」
「それで?」
「一瞬、何が起きたか分からなかったんですけど、火事だって誰かが叫んで、逃げなきゃと思って。真鍋さんと一緒に部屋を出たら、下から上がってきた人が、玄関が燃えてるって言ったんで、エレベーターで下りることにしたんです」
「エレベーターは廊下の端にあるんでしたな」
「南側の端です」
元がすかさず答えた。
「で、真鍋さんと一緒に逃げたと」
「いえ、真鍋さんだけ先に行ってもらって、ほかの人たちを誘導したんです。車椅子でないと移動できない人もいるので、車椅子に乗せたり」
「ほお、自分も危ないのに、入居者を優先して助けたんですか。素晴らしい。何人くらい助けたんですか?」
「正確には覚えてなくて……5、6人だったと思います。もっと助けたくても、煙がすごくなってきて」
「そうですか」
幸輔は施設の間取り図を広げた。
「今回逃げ遅れて亡くなった人のほとんどが北側の部屋でしたな」
「ええ、非常階段が北側にあるんで」
元が説明する。
「一番近い非常階段から逃げようと思ったら、そこでも火の手があがってて、中央の階段からも煙がのぼってきて、まさに八方塞ですなあ」
「本当に、どれだけ苦しくて、怖い思いをしたのかと思うと……」
元が声を詰まらせた。
「あなたは北側の部屋の人の誘導もしたんですか」
「いえ、煙がすごくて近寄れなくて」
「そうでしょうなあ。で、南側の部屋の人たちを誘導して、1階へ逃げたと」
「ハイ」
「それで、事務所の窓から逃げたんですね」
「ハイ」
「逃げている最中に、何か不審な人やものを見ませんでしたか」
「さあ……逃げるのに精いっぱいで、何も気づきませんでした」
「そうですか」
そのとき部下が呼びに来たので、「ちょっと失礼」と会釈して幸輔は去っていった。
元も呼ばれて、京子は一人になった。
とよのことを聞かれず、京子はホッとしていた。とよは眠っていて逃げられなかったのだと、誰もが思っているのだろう。
――たぶん、それでいいんだ。あの夜のことは、誰にも言わないほうがいい、きっと、ずっと。
胸焼け
今日も一人、亡くなったみたいですね。代表さん、18ネンキンですか。さすがです!
クジョイエロー
俺も今日、電車を待っていたときに割り込んできたババアに、激しく殺意を抱いた。
みんな並んで待ってるのに、平気で一番前に入って、優先席に突進。
駅で降りたときに、後をつけて階段から突き落とそうとしたんだけど、うまくタイミングを図れず。
くそっ。ネンキン逃した。
クジョグリーン
それぐらいの害虫をクジョするのは、さすがにやりすぎかと。
クジョイエロー
そんなこと言ったら、老人ホームを襲うのはどうなのよ。
いい老人も大勢いるし、みんな害虫ではないでしょ。
胸焼け
いいんですよ。
日本には老人は腐るほどいるんだから、判断に迷ったらクジョしましょう。
ちゃんとネンキンはお支払いしますよ。
現場検証のあった日の夜、京子がアパートに戻ると、恋人の遠峯大吾が来ていた。
「来てたんだ」
京子は弾んだ声を上げた。
「ケガはその後、どうよ」
大吾は玄関脇のキッチンで、ミネストローネを煮ていた。
「来週には抜糸できるみたい。夜、眠っているときにズキズキ痛むことがあるけど」
「痛み止めは?」
「なんか、薬に頼るのが嫌で、飲んでない」
「それだと寝不足にならないか? 嫌でもしばらくは飲んでいたほうがいいよ」
大吾はテキパキとテーブルの上にスプーンやフォークを並べた。
「ありがとう。大吾も仕事で疲れてるのに」
「いや、今日のランチはお客さんが少なかったから、そうでもない」
2つ年下の大吾とは趣味のウィンドサーフィンで知り合い、つきあうようになってから5年になる。大吾は都内のイタリアンレストランでシェフの一人として働き、いつか自分の店を持ちたいと考えている。独立するまでは結婚も待って欲しいと、つきあいだして3年が過ぎたころに言われた。たまに二人で外食しながら、「こんな店にできたらいいね」「料理なら、俺のほうが自信ある」などと話し合うのが、何よりも幸せな一時だった。
夕飯は具だくさんのミネストローネとサーモンのホイル焼き、温野菜サラダにパンというメニューだった。
「これなら食べれそう?」
「うん、大丈夫」
放火事件の後、京子はすっかり食欲が落ちてしまった。心配した大吾は、ほぼ毎日京子のアパートに様子を見に来てくれる。京子は青梅のアパートに住み、大吾は荻窪に住んでいるので、仕事をしながら通うのは大変なはずである。それでも愚痴ひとつこぼさない大吾の優しさが、今の京子にとって救いでもあった。
ミネストローネを食べると、すっかり冷え切っていた体が内側からじんわりと温まるのを感じた。
「おいしい」
「まだあるから、いくらでも食べてよ」
大吾もミネストローネを一口食べ、「うん、絶品」と嬉しそうな表情になった。
「現場検証、どうだった?」
「んー、質問されても、私は逃げるのに必死だったから覚えてないんだよね。あんまり役に立たなかったみたい」
「まあ、そんなもんだよな」
「警部さんに聞かれて答えられなかったら、なんだか悪いことしてるような気がして、ドキドキした」
「なんだよ、それ。考えすぎ」
大吾は軽く笑った。
京子は食べながら、あることを考えていた。
――やっぱり、とよさんのこと、大吾に話してみようかな。
胸にしまっておいたほうがいいと思いつつも、一人で抱え込める自信もない。大吾には今まで何でも話してきた。
「あのね、大吾」
食べ終わり、大吾の入れてくれたハーブティーを飲んでいるとき、京子は話を切り出した。
「あの夜ね」
「あれ、電話がかかって来てんじゃない?」
大吾に教えられて、スマフォのバイブでバッグが振動しているのに気づいた。スマフォを取り出すと、大学時代の同級生である明海の名が表示されている。
「もしもし」
電話に出ると、「元気ぃ? ケガは大丈夫?」と明海の朗らかな声が聞こえてきた。
「うん、来週には抜糸だって」
「本当? よかったねえ」
しばらく京子の体調を気遣った後、明海はふいに、「あのね、ユーチューブでね」と声を潜めた。
「うん」
「京子が出ているの、知ってた?」
「は? 私が!?」
驚いて思わず甲高い声を出してしまった。
「京子、マスコミの人からインタビュー受けてたでしょ、その動画を誰かが投稿したみたいなんだよね。美人すぎる介護士って」
「えっ、何?」
「美人すぎる介護士」
京子は絶句した。
――何? 何が起きてるの?
インタビューといっても、テレビで流れていたのは、ほんの数十秒である。
「そんなの……投稿してどうすんだろ。私、有名人でもないのに」
「それがね、巨大掲示板で京子が話題になっているみたい。あんなかわいい子が介護しているなんて、オレも面倒見てもらいたいって。京子、美人だからね。私も会社で『あの子は学生時代の友達』って言ったらさ、彼氏いないのか、合コンしたいって何人かの男の人に言われた」
「……」
京子は完全に言葉を失っていた。
「一応、動画のこと、伝えておこうかと思って。そうそう、時間があるなら合コンやらない?」
「いや、だって、大吾がいるのに」
「そうだよね、ごめん、変なこと言って。聞き流して」
電話を切ると、キッチンで後片付けをしている大吾に「ねえ、私がネットに出てるんだって」と声をかけた。
「何、それ。どういうこと?」
「さあ」
京子はスマフォでユーチューブを開いてみた。すると、確かに自分がインタビューに答えている動画があった。斎場に出入りしていたときの動画だった。
「やだ、何これ」
時間にしたら数十秒だが、京子の顔は大写しにされ、ハッキリと確認できる。テロップには『美園ホーム職員 桂木京子さん』と名前まで出ている。
「美園ホームで当日夜、夜勤だった桂木さんは、炎の中に残り、入居者を命がけで助け出した」というテロップが入っている。
「最後まで残って皆さんを助けてたんですよね。怖くなかったんですか?」
女性のレポーターが京子にマイクを向けた。確か若くてキャンキャンした声で話すレポーターだったのは、京子も覚えている。
「いえ、もう、助け出すのに精いっぱいで、余裕がなくて……」
「亡くなられた方もいらして、かなりショックだったんではないですか?」
「……」
京子は何も答えられなくて、俯いた。
「今のお気持は?」
「……」
「その手の包帯、救出した時に怪我されたんですか?」
「ええ、まあ……」
「そうですか、体を張って皆さんを守られたんですね」
「……」
京子の頬に一筋の涙が伝い、慌てて手で拭っている。
「そうですよね、ショックですよね」
そこで動画は終わった。
――こんな動画が、ネットで流れているなんて。
アクセス数を見ると、10万を超えていた。
「どうしたの?」
大吾が後片付けを終えて、隣に座った。京子は「ねえ、これ見てよ」とその動画を見せた。
「えっ、何これ。誰かが投稿したの?」
「そうみたい。気持ち悪い、こんなところで繰り返し流されるなんて。巨大掲示板でも私のことが話題になっているんだって」
「ええっ?」
大吾は、自分のスマフォで巨大掲示板サイトを開けた。明海から教わった「板」を開けると、「美園ホームの女の子について語るスレ」というタイトルを見つけた。開いてみると、すでに300件近くコメントが寄せられている。
『あんな子が介護しているホームなら、俺も入りたい』
『ジジババの下の世話もしているのかな(笑)』
『俺も下の世話をしてもらいたいっす。京子たーん』
読み進むうちに、京子は背筋が冷たくなるのを感じた。まともに読めないような、卑猥な言葉も次々と出てくる。
「ひでえな、こりゃ」
大吾も顔をしかめる。
「どうしよう、気持ち悪い」
「でも、ほっておくしかないだろ」
「消してもらうこととかできないのかな」
「うーん、プライバシーの侵害ってことで消してもらえるかもしれないけど、弁護士とかに相談しなきゃいけないんじゃないの? それはカネかかるでしょ。こんなのほっておけば、そのうち誰も書かなくなるよ」
「そうかなあ」
「人の噂も七十五日とかって言うじゃん」
「そうだけど」
「まともに反応しないほうがいいよ」
京子は頷くしかなかった。
「お風呂どうする? シャワーだけにする?」
大吾は立ち上がり、ふと、「そういえば、さっき、何か話しかけてなかった?」と尋ねた。
とよのことを話す気はすっかり失せていたので、京子は「なんだっけ、忘れちゃった」と適当にごまかした。
次々と予期せぬことが起こり、心身ともに疲れ果てている。今は風呂で温まり、ゆっくりと休みたいと、京子はスマフォをしまった。
その日、隆太郎が自宅近くのバス停で降りると、近くの公園にパトカーや救急車が止まっているのが見えた。近所の人や通りがかった人が数十人、公園を取り囲むように集まっている。
人垣から覗き込むと、担架に乗せられた人が公園から運ばれてくる。その顔にまですっぽりと青いシートをかぶせてあるのを見て、
――あれはすでに死んでいるんじゃないか。
と、隆太郎は思った。
シートに覆われた人は、ピクリとも動かない。
救急車の後ろのドアが開けられ、担架が運び込まれる。
「公衆トイレの裏に倒れていたんだって」
「犬の散歩をしている人が見つけたって」
「昨日からおばあちゃんが家に帰ってこないって、探していた家があるみたい」
「それじゃ、そのおばあちゃん?」
「病気かなんかで倒れたんですか」
「いいえ、刺されていたみたいですよ」
「ええっ!?」
やじうまが口々に話しているのを聞き、隆太郎は何が起きたのか、大体の見当をつけてからその場を離れた。
――静かで環境のいい住宅地だと思って、ここに住むのを決めたのに。まさか、こんな物騒な事件が起きるなんて。久美子に夜遅くなったら外に出ないよう、言わないと。
隆太郎は足早に家に向かった。
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