第2話・案内人
――×――×――
旅に必要なものは何かという愚問には。
もちろん可憐な
しかしなかなかどうして。
一人旅も悪くない。
新幹線から降りて列車に乗り継ぎ。
質素な駅弁を箸でつつきつつカタンコトン揺られながら。
窓の外に視線を向ける。
線路の下に海がたゆたい太陽光を攻撃的なまでに反射している。
感動こそしないものの幻想的な光景だった。
無機質なアナウンスがスピーカーから流れ。
そろそろ愛媛県にある某市に辿り着くことを告げる。
駅は閑散としていた。
核は落とされなかったものの。
主要都市を爆撃された関東圏と違い。
四国は比較的戦火から免れている。
故に都会部よりは活気があるのだが。
やはり道行く人の顔には憂いや翳りが窺える。
「お姉ちゃんも逃げてきたの?」
ホームで薄いコーヒーを飲みながら流れる人並みを眺めていると。
私好みの少女が声を掛けてきた。
失礼な言葉を掛けてきた。
「そうだねぇ。お嬢ちゃんも逃げてきたの?」
しかし私も大人。
この子が逃げてきたと言ったのは。
『空襲から逃れる為に四国へ来たの?』
という意味であって。
『自分に合わない環境から逃げてきたの?』
とは言っていないことくらい理解出来る。
方言が出ていないことから。
この土地の人間でないことも。
「うん。お父さんとお母さん死んじゃったから、おじいちゃんちに行くの」
「そっか。大変だったね」
「ううん。旅行出来て楽しい」
「……おばあちゃんは?」
「知らない。会った事がないから」
なるほど。
両親は無関心。祖母は無関係と。
「?」
見つめすぎてしまったのか。
少女は大きな瞳で私を見つめ返した。
オーバーオールが全然似合わない――長い黒髪の少女。
肌は白い。
今まで出会った人類の中で最も白く思える。
純日本人ではないかもしれない。
「それはよかったね。お姉ちゃんも旅行中なんだ」
「さっきは逃げてきたって」
「あれは嘘」
「えー嘘ついたらいけないんだよ」
「あはは。ごめんごめん」
少女は私を諫める為か。
隣に座りグイッと顔を近づけてきた。
花の甘い香りがする。
優しく柔らかい香りだ。
右手がぴくりと動いたが制止した。
「お嬢ちゃん、名前はなんていうの?」
「沙代だよ」
「そっか、沙代ちゃんか。可愛いね」
頭を撫でると沙代ちゃんは。
「えへへっ」
と。汚れない笑みを見せてくれた。
「あっおじいちゃんだ」
ホームの奥から杖をついた老人がこちらへ向かってくる。
そうか。残念だな。
なんだかこの子との出会いは運命めいたものを感じていて。
実はこれから一緒に旅をしてくれるのではと邪推していたのだが。
こうもあっさり迎えがきてしまうとは。
「じゃあね、お姉ちゃん」
「うん、またね――」
手を掴んだ。
「――――――――待って」
少女の細い手を掴んだ。
別段寂しくなったわけではない。
音が聞こえたからだ。
東京でよく聞いた音を聞いた音を。
物体が高速で飛行する音を。
そしてそれを迎撃する為の物体が。高速で飛来する音を。
「――――――――」
遙か上空での爆発音。
少女を抱き寄せ右腕で両目を。
左腕で両耳を塞いだ。
至近距離での轟音。
飛行物体の破片が駅のホームを覆う屋根に直撃したと理解する。
そしてそれは貫通し。
沙代ちゃんの祖父を押しつぶした。
幸いでもなんでもないが。
他に被害者はおらず。
そもそも
大した騒ぎにもならなかった。
瓦礫の崩れる音がやむと砂埃と共に静寂が流れる。
血液と肉と油と諸々が焦げる臭気も立ちこめ始める。
「……沙代ちゃん」
「なに? 今の音何? おじいちゃんは?」
「沙代ちゃんはおじいちゃん、好き?」
「うん。おじいちゃんだけは、好き」
「そっか」
参った。
これでも職業柄。
様々な死に立ち会い。
様々な死に立ち会う人と出会ってきた。
しかし流石にこんな状況。
掛ける言葉が――
「おじいちゃん……いなくなっちゃった」
こんな言葉しか見当たらない。
「えっ? 何で?」
「わからない。でも向こうの方に行っちゃったんだ。探しに行く?」
「うん。だって沙代、おじいちゃんに会いに来たんだもん」
「よし、じゃあお姉ちゃんも一緒に行ってあげる」
「本当? えへへっ」
よもや私は今。
純朴な少女を口車に乗せて誘拐しようとしている?
いや。
両親が死んでも何も思わなかった子が。
祖父の身を案じているということは。
おそらく
唯一心を開いているのが祖父だけなのだとしたら。
彼があの瓦礫の下にいると知るのは。
もう少し大人になる必要があるはずだ。
「それじゃあちょっと歩こうか。あっちは危ないから、こっちから回ろう」
「うん。でも大丈夫かな、おじいちゃん……」
「…………」
人を安らかに向こうへ送る仕事に就いていた。
願いを聞き。親族と連携をし。
心を楽にさせ。
息を引き取れば死に化粧を施し。
あとのことを葬儀屋や寺院に引き継ぐ仕事に。
たったの五年しか勤めることができなかったが。
奇妙な死生観が芽生えている。
死は。ただ普遍的に訪れる現象。
多くの生が喜ばれるように。
多くの死が恐れられるだけ。
だから死に対して何かを思うわけではない。
いつも私の涙腺を刺激するのはその人の生に想いを馳せた時だ。
杖をついてこちらへ向かってくる紗代ちゃんの祖父は。
いくつも抜け落ちた歯を誇らしげに輝かせ笑顔を浮かべていた。
筋力も衰えていたのだろう。震える手を持ち上げ振ろうとしていた。
愛孫に会えた事が嬉しくてたまらなかったに違いない。
良い祖父だったに違いない。
込み上げる涙を堪える技術を。習得していてよかった。
「大丈夫だよ、きっと」
散々迷って。結局嘘を吐いた。
誰も救えない。終局的に沙代ちゃんを傷付ける嘘を吐いた。
人脈も土地勘もないこの地で。
私はこの。出会ったばかりの少女の。先の長い人生の。
ささやかな案内人にならなければなくなったのだ。
誘拐なんぞを働く悪い大人に与えられた責務を果たすとしよう。
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