第51話 聖職商売

 この日、私とシスターとで子供たちの面倒を見ていると、珍しく外部からの来訪者があった。

「あれ、エストさんは留守かあ」

 声と雰囲気から察するに五十代頃の男性だ。

「彼女にご用ですか?」

「いえ、別に彼女にってわけでもないんですがね……」

「私でよければ伺いますが?」

「はあ……」

 どうやら周囲を気にしているらしい。

「よければ懺悔室へどうぞ」

「ほんじゃあちょいと、聞いていただきましょうかね……」



 薄っぺらい間仕切り一枚で隔てた狭い一室の中で腰を落ち着けた男性は、「人に話してどうなるってもんでもないんですがね」と前置いて話し出した。

 その内容は次のようなものだ。


 彼、イオロ・カンプラは布製品を扱うギベール商会に長年勤めており、ここには四年前に嫁入りしてきた若い後妻がいる。若いといっても三六歳になるが主人との年齢差が一三もあり、イオロ氏から見てあまりうまくいっているわけではないらしい。ただ、前妻との子供たちとはうまくやっており、目に見えて家庭内に不和があるというわけでもない。

 はじめイオロ氏はそんなものだろうと気にも留めなかった。

 ところが今年に入ってから、どうにもその後妻の様子が変わってきたと不思議に思っていた折、外で若い男と人目を忍んで会っているところを目撃してしまった。

 男は金物細工を扱う商店兼職人の次男で、彼もまた職人なのだという。

 ただでさえ問題であるのに輪をかけて厄介なのが、この次男エリアス、昔から女関係でトラブルの多い男だということ。ギベール商会とエリアスの家リベラ工房は商売上で古くからつき合いがあり、イオロ氏もエリアスのことは子供のころから知っていた。

 だからこそまずい状況であることがよりわかってしまう。

 もちろんこのことが人に知られれば間違いなく後妻は離縁になるし、ギベール家はリベラ家を糾弾すべく訴訟を起こすだろう。

 そうなったらなったで仕方のないことだが、イオロ氏には心配なことが三つあった。

 ひとつは後妻ブリジットが、近頃は毎日楽しそうだし家庭が明るくなってきているから、不倫による影響とはいえそれで上手く回っているものをぶち壊すのは忍びないということ。

 もうひとつは、訴訟そのものが上手くいくかわからないということ。

 そもそもこの町は古くから法というものがない。

 あるのはただ、弱者は強者に泣き寝入りという現実のみ。

 血塗れ乙女亭ブラッディー・メイデンのかたたちがやってきてからだいぶ変わったとはいえ、法整備はまだ充分とはいえないのが現状だ。法整備どころか治安維持さえ充分でなく、衛兵は数が足りず自警団も今のところなんの力ももってはいない。

 変革に向かって突き進んでいる今もなお、この町の根幹は血塗れ乙女亭の睨みひとつで成り立っているといっていい。

 そんな状態で公正な裁判などできるのかというのがイオロ氏の最も心配するところらしい。

 それについては私も同感だ。

 市長が市議会を統率してよくやっているとはいえ、こちらもまるで手が足りていないと聞く。

 そして最後のひとつは、エリアスの最近の交友関係にある。

 町が開放的になっていくにつれ外から多くの人間が流れ込むようになった。それまでは商工会に怯えるただの女たらしのエリアスだったが、どうやら近頃はがらの悪い冒険者とつるんでいるらしいとのこと。

 もしそいつらまで出てくるようなことになれば、少々血生臭いことになりかねない。

「奥さまもそうなんですが、私はエリアスのことも心配で……」

 というのは、どうやらブリジットはかなりの額をエリアスに貢いでいるらしく、そのことをごろつきどもが知っているなら、エリアスの身こそ最も危ういのではないか、ということだった。


 私はため息をついた。

 もちろん呆れの息だ。

「確かに人に話してどうなるというものでもありませんね」

「ははは、エストさんがいってたとおりのお人だなあ、容赦ないや」

「しかし、なぜこのことをエストさんに話そうと思ったのですか?」

「いやあ、もしごろつきどもが出てくるようなら、ちょいと懲らしめてもらおうかと思いましてね。それに彼女、まあ熱心に布教活動をやっていなさるじゃないですか、それで何度か話をしていて、筋のとおったいい人だなあとね」

「なるほど」

「でもまあ司祭さま、今の話は忘れてください。私も一人で抱え込んでるのが辛かっただけで、もうなるようにしかならないのはわかっていますから」

「そうですね。あなたも知らなかったふりをとおされるのがいいでしょう」

「ええ、そうしますよ。それじゃあ」

 そういってイオロ氏は器に寄付金を置いて帰っていった。



 昼になり、子供たちが訓練に出かけるのを見届けてから私も外に出た。

 僧衣ではなく私服で出歩くのは久しぶりのことだ。帽子を目深に被っていれば私だと気づく者はそういない。

 もちろん気づかれたくないからこのような恰好で外出したのだ。

 行き先はリベラ工房。

 人妻に手を出すドラ息子がどういう男か、直接確かめたくなったのだ。

 二人の関係が真実の愛で結ばれているなどと頭に蛆の湧いたような期待など微塵もしてはいない。金持ちの女が若い男に金を渡しているというだけで関係が薄っぺらいのは明白だ。

 ようはエリアスの性根がどのていど腐っているかが見たいのだ。

 叩いて直るていどならば叩き直さねばなるまい。それ以下であるならば、もはや手の施しようはない。イオロ氏もいったように、放っておくしかないだろう。

 私は職人街の狭い道を歩き、ときどき人に道を尋ねてようやくリベラ工房近くまでやってきた。

 店の奥から金属を叩く音がする。主人と息子二人いずれも職人だというから、誰かは仕事中なのだろう。

 いざ入ろうと思ったら、店からこのあたりには似つかわしくない雰囲気の者が二人出てきた。

 私は咄嗟に歩調を緩めた。

「おい、明日だな」

「ああ、明日エリアスのやつ、必ず例の女に会うぜ」

 すれ違いざま、そんな声が聞こえた。

 予定変更、この冒険者風の男たちを追う。

「帰りの時間はいつも決まってんだろ?」

「ああ、向こうの晩飯の時間までには解散するんだとよ」

「じゃあ、その帰り道だな」

「どうする、工房にはきっと今まで貢がせた分が置いてあるぜ?」

「派手に使ってる風でもねえからな……こええのも今町にはいねえし、やっちまうか?」

「ギベールはともかく、工房ぐらいならアリだろ」

「よし、もう二、三人声かけるか」

「チッ、分け前が減るぜ」

「いうな、確実に手に入れるためだ」

「だな」

 ……目が見えないというのは案外役に立つもので、視覚を失った代わりに他の感覚が自然と鍛えられてしまう。つまり適度な距離を保ったままの尾行でもけっこう聴こえるのだ。

 どうやらイオロ氏とエストさんの善良な人柄に感謝せねばなるまい。それをもって神の導きと呼ぶならそれもいいだろう。

 私はごろつきどものねぐらを確かめると、そのまま教会へ戻った。



 翌日の夜。

 私は前日と同じように変装をして、音を立てず夜道を歩いている。

 行き先はわからない。

 ただ前を歩くごろつきどもをつけているだけなのだから。

 やがて彼らはとまり、すぐにもう二人が別の道から現れた。

「よし、あとは野郎を待つだけだ」

 そんな声が聞こえた。

 では行くとしようか……

「へっへ、好きなだけ女に突き刺してから死ねるんだ、幸せな野郎だぜ」

「これからコイツに突き刺されるとも知らずによう、馬鹿なガキは楽でいいぜ」

「おれも久々にこの剣を……」

「その剣を、どうするつもりだ?」

 私が声をかけると、男たちは慌てた様子でこちらに振り向いた。

「な、なんだてめえは!?」

「見てのとおり怪しい者だ」

「ふざけやがって、聞いてやがったな!」

「おい、先にやっちまうぞ」

 男たちはいちいち頷き合ったのか、一瞬の間を置いて剣を抜いた。

 最初に二人が斬りかかる。

 その刃を、私は掴み取った。

「こっ、こいつ、素手で……!?」

「人を嬲り殺すのがそんなに好きか、下種め」

 少し力を加え、剣を砕いてやる。

 すると砕かれた二人は怯み、もう二人が同じように斬りかかってきた。

 今度は受け止めず隙だらけの体に一発ずつ入れてやると、大の男が無様に吹き飛び路上に胃の中身を吐き散らした。

「金より命が惜しいのなら失せろ。これ以上この町で血を流させはせん」

「くっ、この……!」

「おまえたちの顔、しかと覚えておくぞ。次に見かけたら命はないものと思え」

「くそがッ……!」

 男たちは捨て台詞もそこそこに、夜の闇の向こうへと消えていった。

 その後、念のため近くに身を隠していると浮かれ気分で鼻歌を歌いながら歩いてくる若い男が現れ、大事そうに懐を撫でつつリベラ工房のほうへと去っていった……



 二日後のことである。

 無事にピリムなる少女を救出したエストさんたちが町に戻ってきた。その帰り道、けしからずも行商に追い剥ぎをしている四人組の無法者と出くわし、全員がゼルーグ氏に一刀のもと斬り捨てられたという。

 はてさて、どこの間抜けやら……

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