第35話 そして再会

「久しぶりじゃな、クレア・ドーラよ」

 じいさんがその名を口にした瞬間、おれの脳髄に電撃が走り反射的に立ち上がっていた。もちろん臨戦態勢だ。

「おっとすまぬ、この名は出さぬほうがよかったか」

「そうしてもらえると助かる……あんたいったい、何者だ……?」

 いくらなんでもおかしい。

 確かにクレア・ドーラの名は世界中の誰もが知っていてもおかしくないが、だからといってそれをこのクレアと結びつけるにはかなり無理がある。

 あの伝説はもう何百年も前に更新がとまっていて、まだクレアが生きていると思っている者はいないし、そもそも実在したと信じている者のほうが少ない。現にこの町のやつらだってある程度はこのクレアがヴァンパイアだということを察してはいるが、クレア・ドーラと結びつけて考えているやつがいるという話は聞いたことがない。

 それを、「久しぶり」だ?

 長生きしてるのは見ればわかるが、いくらなんでも「久しぶり」はねえだろ、あんたいくつだよ!

「クレアって、あの……?」

 ユギラも狐につままれたような顔をしてる。そりゃそうだ。

 ところが。

「あー……翁、ちょいと場を変えたほうがよさそうだ」

 なぜかジョーが気まずそうな顔でいった。

「なんじゃ、おぬしも気づいておったのか」

 ……ますますもってわけがわからん!

「店長、邪魔の入らない場所に移ろう」

「あ、ああ……」

 五階のサロン……は、グストーやサロがくる可能性があるな。

「おれの部屋に行こう」

 おれはサロからチョコクリームたっぷりフルーツクレープを受け取ったクレアの腕を引いて自室に向かった。



「で、あんたは何者なんだ? クレアと過去に会ったことがあるようだが?」

 おれは到着すると開口一番に尋ねた。

「私は知らないわ」

 既にクレープを半分にしているクレアの反応は予想どおり。

「この姿では無理もない。これでどうじゃ」

 そういうと、じいさんは仁王立ちのまま気合いを入れた。

 筋肉を膨張させるという意味での行為じゃない。

 非物質的な意味での、気術という意味での気合いだ。

 思っていたとおり……いや、それ以上の密度と迫力で、じいさんの気配は強まっていく。

「勘弁してくれよ……」

 思わず嘆いたおれを笑えるやつなんていないだろう。

 それはまるで、ゼルーグが赤子に思えるほどだったんだ。

 おれより強い?

 そんなもんじゃない。

 次元が違った。

 そもそも、実力の一端を目の当たりにしている今現在でさえ、理解できないんだ。

 これが気術だって?

 冗談じゃない。

 そんなレベルを遥かに超えたなにかだ。

 いや、もしかすると霊力も混じっているのかもしれない。

 この世には魔術・気術・霊術のみっつの術があり、霊術使いはもっとも数が少なくそれゆえに未解明な部分が多い。おれもまともな霊術師に出会ったことは数えるほどしかない。

 ……そうだ。

 その数少ない霊術師の気配に似ているんだ。規模は比べ物にならないけどな。

 もしじいさんが敵意をもって気を高めていれば、おれはきっと身がすくんで絶望しちまったことだろう。それこそ、初めてクレアと出遭ったときのように。

 そう……

 このじいさんが放っている気配は、間違いなくクレア級なんだ。

 冗談じゃねえ……

 ホンマモンのバケモンじゃねえか……


「どうじゃ?」

 じいさんが部屋を吹き飛ばしそうなほどの気配をすっと引っ込めて問うと、クレアの顔はすっかり別物になっていた……

「ええ、確かにいたわね、そういう気配をもった人間が。よく覚えているわ。だって、本気で戦って唯一殺し損ねた相手だもの」

 あああ……

 一番聞きたくなかったセリフ。

 殺し損ねた、だ……?

 殺さなかった、じゃなく、殺し損ねた?

 しかも本気で戦って、それでも殺しきれなかった相手……?

 もう……

 想像もできん……

「でもおかしな話ね。今でも記憶してる強敵は何人かいるし、殺せなかったという意味では間違いなく最強の敵だったのに、記憶と全然違う姿じゃない?」

「そう、肉体はあのときとは異なる。これもあれも、かつての弟子の肉体じゃ」

「ああ~……そういうこと。なるほどね、あなたそういう存在だったの。それじゃ殺せないはずよね」

「悪いがおれにもわかるように説明してくれないか……」

「こいつ、もう死んでるのよ」

「はあ?」

「死という意味を肉体に限定するならばそういうことになるが、より広義での死はいまだわしのもとを訪れてはおらん」

 きっと今のおれを鏡で見たらそれはもう不細工な面をしてることだろう。どういう表情になっているのかまったく自覚がない。

 だからだろう、ジョーが補足してくれた。

「あんたら大陸人にはちと理解しがたいことかもしれんが、海陽やシャルバニールでは霊魂こそが肉体を支配し、肉体が死ねば霊魂は次の人生を求めて生まれ変わると考えられていてな。翁本来の肉体は既に死んでいるが、生まれ変わることを拒否して霊魂のままこの世に留まっているんだ」

「なにやら宗教じみた話だが……つまり、なんだ? このじいさんの本体は霊魂であって、この体は別人のを借りてるってことか?」

「そうだ。おれとユギラも死ねば肉体を譲渡することを条件に弟子入りしてるから、何十年か経てば翁はおれかユギラの姿をしてるだろうな」

 ……信じがたい話だ。

 しかしそうだとすると、クレアが殺せなかったというのは納得がいく。肉体的に死んでるやつを殺すすべなんてそうそうないからな。それこそ霊術の領域だ。

 あ、そうか。

 だからじいさん死んでねえのか。

 つまりじいさん自身が霊術の達人であって、その奥義かなんかを悟っちまったから霊魂だけで生きていられるようになって、クレアは霊術が使えないから殺せなかった、と……

 えっ、霊術って最強じゃね?

 でもそんなのと戦って生きてるクレアってマジでなんなんだよ……!?

「ずいぶん混乱しておるようじゃが、まあいずれわかるじゃろうて。それにしても驚いたわい。まさかあのクレア・ドーラとこんなところで再会するとはのう」

「おれも薄々そうなんじゃねえかとは思ってたが、まさか本当にヴァンパイアだったとは……」

「翁が唯一勝てずじまいだったっていうあの伝説のヴァンパイアなんだろ? 今度こそ決着つけたいんじゃないのかい?」

 こらこら、煽ってくれるなよ……

「むろんわしとしてはそう願いたいところじゃが……」

 おれはむしろお引き取り願いたい。

「魅力的なお誘いね」

 こんな二人が戦ったら、いったいどうなるんだ。

 頼むからおれにとめられないことはやらないでくれるか……

「でもあなた、くるのが半年ばかり遅かったわね」

「どうやらそうらしいの」

 え?

 平和的解決ですか?

「彼と出逢ってまだ半年程度だけど、それでもそれ以前のすべての時間を合わせたって比較にならないくらい、今の私は幸せなの。悪いけど他を当たってちょうだい」

「あはは、翁フラれてやんの」

 笑いごとじゃねえぞ、ユギラ!

 たった今おれたちはこの町ごと、いや、この国ごと命拾いしたんだぞ!

「残念至極……果たしてもう千年生きたとておぬしほどの強者に再び出会えるかどうか……」

「あなたもいい相手を見つけて一緒に死ねばいいのよ」

 いや待て。

 そもそもおまえ死なないだろ。

「生憎、わしが生涯添い遂げる相手は武の道のみと決めておるのでな。こやつが殺してくれぬ限り世に憚るつもりじゃ」

「お気の毒さま」

 そういってクレアは、幸せ満点の顔でクレープを食べきったのだった……

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