第30話 常連すぎた客のノスタルジア

 店長はわしのことを、いつも店に遊びにくる暇な道楽老人と思っておるようじゃが、これほどの町の市長という仕事はそう楽なものではない。それもほとんど一から法整備をしなければならないほど荒れておったのじゃから、なにから手をつけるにしても面倒なことこの上ない作業じゃわい。

 もっとも、わしとて前々から考えはあったし、店長が考案した様々な方策もあり、全ギルドが協力的ということもあって当初の想定より遥かに順調な経過を辿ってはおるから、こうして外で昼食をとる程度の暇があるわけじゃが。

 そういうわけで、わしは今日も今日とて血塗れ乙女亭ブラッディー・メイデンのテーブルひとつを占領しに顔を出したというわけじゃ。

 しかし、どうも今日は店長らと雑談に興じる隙はなさそうじゃ。

 無理もない、あのゼルーグを打ち負かすほどの猛者が現れたのじゃからな。

 どうやら店長はそのジョーという男に興味津々のようで、そっちに貼りついてわしがきたことにも気づいておらんようじゃ。

 寂しいのう。


「カイヨウというのは、シャルバニールの向こうのファイネンのことか?」

「大陸ではそう呼ばれているようだが、海陽人には聞き馴染みがないな」

 ゼルーグやリエルも同席しておるから、遺恨を生むような勝負ではなかったのじゃろう、よいことじゃ。

「あの剣を弾く技は海陽の剣術なのですか?」

「まあ、その応用だな。海陽の刀ってのはこっちの剣とは違って……」

 なにやらわしには無縁の話となってしまって聞き耳を立てるのが面倒になってしもうた。

「お待たせしましたー」

 いつものわしの昼食をもってくるのもいつものヒューレではない。彼女も向こうに混じって武芸の話に目を輝かせておるから、わしの相手になってくれるいつもの面子は一人も残っておらん。

 それを察したのか、

「市長さん、寂しそうですね」

 と、昼食を運んできてくれたエリスが声をかけてくれた。いい子じゃ。

「たまにはこういう日もあるわい。ところで、奥方のご機嫌はいかがかの?」

「いつもどおりラブラブですねー」

「そうかそうか」

 奥方はいつもどおりカウンターの端に座って一人ゆっくり甘味を味わっておるが、寝起きが弱いとかでこの時間の彼女を見ただけでは機嫌や調子を窺うことは難しい。

 誰も触れんが、ヴァンパイアなんじゃから当然といえば当然じゃ。

 ……ほんに、愛の力とは偉大じゃのう。


 しばし久しぶりの会話のない昼食を進めておると、店長らの会話に変化があったのでまた聞き耳を立ててしもうた。

「海陽の料理というのはどんなものなんだ?」

 うむうむ、さすが店長。やはり異国の料理が気になって仕方ないか。わしも機会があれば食べてみたいと思っておったところじゃ。

「主食は米だ。あとは漬物に味噌汁、山菜に鳥や魚、鹿や猪が主だな」

「ツケモノにミソシル? 聞いたことのない料理だ。どんなものだ?」

「あー、これを説明するのは面倒なんだよなあ……」

 自国の文化を誤解されたくないからじゃろう、ジョーはしかめっ面で一生懸命言葉を選びながら身振り手振りを交えて説明に奮闘し始めた。

 ちら、とカウンターを見やると、案の定じゃ。奥方も料理の話は無視できんようでチョコレートを飲む手がとまっておる。

「うーん、味噌の作り方がわからないのは残念だが、漬物はすぐにでもできそうだな」

「本当か? 思い出したら食べたくなってきちまったぜ。なんせ国を出て以来ご無沙汰だからなあ」

「発酵食品はうちの料理長が前々から興味をもっててな、キュウリやナスなら簡単に手に入るし、米を輸入してみるのもいいな」

「是非頼みたい!」

「ところで、さっき話に出たショーユっていうのはどういうものなんだ?」

「ああ、醤油は……」

「違うでしょっ!!」

 うむ、さすが奥方。相変わらず堪忍袋の緒が柔い。

「次に訊くべきはスイーツでしょっ!?」

「おまえは……」

 美しい銀髪を振りまいて歩み寄る奥方に店長は顔を覆い、ゼルーグは苦笑い、リエルとヒューレは呆れ顔じゃ。

 いやしかし、わしも甘味は気になるぞい。

 今までたいして食してこなんだが、この店ができてからはもう食後のデザートとして当たり前に食べるようになってしもうたからの。それも他の店より安くて美味いとくれば拒否する理由などない。

 美味いものは美味いんじゃ!

「普通の食事ですら聞いたことのないものばかりなんだから、スイーツだってまだ私が知らないものばかりなんでしょ!? さあ、どんなスイーツがあるの!?」

 奥方の迫力にはさすがの猛者も驚きを隠せんようじゃ。しかしこの町に留まるなら奥方に慣れんとやっていけんぞい。ほっほっほ。

「そ、そうだな、海陽の甘味といえばやはり、餅や団子だろうな」

「モチ!? ダンゴ!?」

「潰した米をこねたものに小豆と砂糖を混ぜた餡子をつけて食べるものだ」

「アンコ!?」

「おまえはちょっと黙ってろ」

 店長は奥方の綺麗な顔を容赦なく押しのけて黙らせてしもうた。

「アズキというのも、海陽独自の食品か?」

「いや、そんなことはないはずだ。シャルバニールなどの大陸東部でも一般的だと師から聞いたぞ」

「ということは、米とアズキさえ仕入れれば海陽のスイーツは作れるんだな?」

「ああ。餡子餅は餡を餅の中に入れるか餅の外を覆うかの二種類あるが、中に入れるほうは餅を焼いてしまえば日持ちするし密閉の役割を果たしてくれるから、東にいたときはよく師と非常食として作っていた」

 ほほう。

 あの男、強面のわりに甘味作りの心得があるか。これは素質ありじゃな。

 むろん、この町で生きてゆく素質じゃよ。

 異国の伝統料理に甘味……これらの知識をもっておる人間ほどこの町では格が上がる。

 当然じゃろう?

 バリザードの真の支配者たるあの夫婦に気に入られるんじゃからの。

 そのうえ腕っ節も立つとくれば、文句のつけようがないわい。

 店長夫妻はなにがなんでもあの男をこの町に引き止めるじゃろうな。

「よし、ちょっとゾフォール商会に頼んでくるか」

 まさにこういうときのためのゾフォールじゃからな。アズキとやらはわしも聞いたことがないし、そういうものを仕入れるならゾフォールほど確かな商人もおらんわい。

 ただ、新天地の開拓に野望を燃やす店長夫妻は、ついにわしに気づかぬまま店を出ていってしもうた……


「おれもそろそろゆくか」

 ややおいてジョーも立ち上がる。

「どこ行くんだ?」

「剣が折れてはあんたらと立ち合いたくても立ち合えんからな、作りにゆくのさ」

「おまえ、剣まで作れるのかよ?」

「次の剣はもっと頑丈にせんとな。ついでに鍛冶屋の小僧も鍛えるから少し時間がかかるが、そのあとでいいならまた立ち合おう」

「おうよ」

「次は私が」

「その次でいいので、私も是非」

 なんだかんだいうても、やはりあの三人は根っからの戦士じゃなあ。せめてヒューレだけでもずっと給仕服を着とってほしいんじゃが。

「怪我の功名とはこのことだな、しばらく楽しめそうだ」

 そうしてそのテーブルはお開きとなり、それぞれ思い思いに散っていった。

 その誰一人とてわしに気づかずじまいとは……

 とほほ……

 あんまりにも通いすぎて、わし、もはやこの店の背景になっとるんかの……?

「市長、プリン食べないんですか?」

 落ち込んでおったら、エリスが心配そうな顔で声をかけてくれたわい。

「いい子じゃな、小遣いをやろう」

「え、ホント? わーい」

 そういえば、久しく孫の顔を見とらんのお。

 せがれもせがれで忙しいようじゃし……

 今度会ったらたっぷり小遣いをやるとするかの、うむ。

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