第2話 とある平均的な来訪者の顛末 後編
おれは日が暮れようとしているこの時間に、荷物を抱えて重い足を引きずって、大ぶりのスイングドアを押して入った。
入り口横に置かれた黒地に赤文字の看板がやけに不気味に見えたが、意外なほど店内の雰囲気は明るく、けっこう繁盛しているようだ。
というか、めちゃくちゃ広い!
百人は入れるんじゃないか? 給仕だけで何人いるんだよ……
「いらっしゃいませ。お食事ですか?」
と、すぐに美人のウェイトレスが声をかけてきた。
いや、本当にけっこうな美人だぞ。背が高くてスラッとしてて、だけど妙に力強い印象があって、キリッとした顔と黒髪のポニーテイルがよく似合ってる。
しかし、給仕服がイマイチだなあ……季節のせいかやけに厚ぼったい生地だし飾り気がまるでない。派手にしろとはいわないが、せめてちょっとした刺繍を入れるくらいはしたほうがいいな。
「どうかなさいましたか?」
「ああ、いや、すまない。貿易ギルドのほうからここの宿を紹介されてきたんだが、部屋は空いてるかな?」
「ご宿泊ですね、はい、空いております。今の時間でしたらご宿泊のみ、夕食と明日の朝食つき、もしくは明日の朝食のみをおつけした三種類のコースをご提供できますが、いかがなされますか?」
「食事つきの場合は定食か?」
「はい。夕食は日替わりの定食、朝食はパンとスープの定番メニューとなっております」
「じゃあ、朝食つきでお願いしようかな」
「かしこまりました。それでは係の者を呼びますので少々お待ちください」
そういって美女は去っていった。
と思ったら、女性客から騒がれてちょっと困った顔でうろうろしていたとんでもない美男子が入れ替わりでやってきた。
おいおい、ここは顔で採用してるのか? 金髪碧眼の美男子なんて、生まれて初めて見たぞ。
「お待たせしました、お部屋へご案内します」
しかもハンサムボーイはすっと手を差し出して荷物をもってくれた。
嘘だろ、こんな、やけに大きいとはいえ庶民向けの店で庶民の客相手に荷物もちまでしてくれるのかよ。シェランじゃ聞いたこともないぞ。
おれはあまりのサービスのよさにちょっとドキドキしながら二階の一人部屋にとおされ、軽く施設利用の説明を受けてから、すぐに食堂へ降りた。
いやさ、腹減ってるんだよ。意外に繁盛してたし、やっぱり気になるじゃないか、どんな飯を出してくれるのかって。
降りるとすぐにまたあのハンサムが席に案内してくれた。どうやら女性客を煙たがっているようだ。もったいない。
「ここはなにがお勧めなのかな?」
メニュー表も用意してあるし字も読めるが、あえて尋ねてみた。
「お客さまはシェランのかたでしょうか?」
ハンサムくんはおれの肌の色を見てそう思ったんだろう、正解。シェラン人は生まれたときはそうでもないが、どうしたって日に焼けるから褐色になっちゃうんだよな。
「でしたら北方の料理などはどうでしょう?」
「北方? トランゼかい?」
「トランゼの料理もお出しできますが、パラディオンの羊肉シチューなどいかがでしょうか?」
こいつぁあ驚いた。
まさかトランゼより向こうの国の料理まで出せるとは。
やっぱりかなり力にモノをいわせていい料理人を引っ張ってきてるんだろうな。
「よし、それを頼もう。ああ、だけど酒はこっちのやつがいいな。アラックがあれば最高なんだが……」
アラックというのは主にシェランで飲まれる蒸留酒。もとは糖度の高い果実を発酵させて作っていたが、今は色んな種類がある。特徴はなんといっても、水を混ぜると白く濁ること。おれはキツいアラックを水で割ってグイッとやるのが好きなんだ。
「アラックですか……申し訳ありません、ただ今物流の関係で仕入れが滞っておりまして」
「それじゃあ仕方ないな」
口が裂けても「っつーかそれ、あんたらのせいだろ」とはいえない。
なんて思いながら「じゃあエールを……」といいかけたとき、
「お客さま」
別人から声をかけられた。
「横から失礼。貿易ギルドの紹介と聞きましたが、もしシェランの酒蔵とコネをおもちなら紹介していただけませんか?」
「なくはないが……あんたは?」
「店長のルシエド・ウルフィスです」
ここで悲鳴を上げなかったおれを、どうか誰か、褒めてほしい。
今目の前でおれを見下ろしているこの銀髪の男が、この町の新しい支配者。
ヴァンパイアや魔族なんかの化け物級戦力を従えて町を血の色に染め上げた、悪魔どもの首魁……!
とてもそうは見えないが、逆らったら絶対、殺されるよな……
ていうか、なんで店にいるんだよ!
「ああ、ええっと、その、おれ、あ、私は元ラジェルから分裂したダヤンワール商会の者でして、その、コネがなくは、ないと申しますか……」
ラジェルの名を出すのはまずいと思ったが、どうやら先方は気にしていないようだ。助かった……
「なるほど、でしたらいい酒を紹介していただけそうだ。ダヤンワールは確か、布製品でしたね。交渉は巧くいきましたか?」
え、あんたがそれいうの?
それともこれが本番?
ここで気に入られなきゃ商売できないの?
そういう流れですか?
なんて頭が水割りアラックより真っ白になっていると、他のテーブルで怒鳴り声が上がった。
「んだとてめえ!」
どうやら酔っ払い同士の喧嘩らしい。この店でもそういうのはあるんだな……
しかしお陰で助かった。ハンサムくんはいつの間にかいなくなってるし、悪魔店長も喧嘩をとめに行ってくれた。
「おいおい、喧嘩なら外でやれ」
店長は意外と……かなり穏やかな声でそう諭す。
「しかし旦那、こいつが!」
「いいや、おまえのせいだね!」
もめてるやつらは常連なんだろうか。服装からして冒険者……いや、衛兵か?
「なにが原因だ?」
「こいつがカスタードを床に落としちまって……」
「おまえが押すからだろうが!」
店長は顔を覆った。
そりゃそうだ。大の男二人が、甘味を床に落とした責任のなすりつけ合いをしているんだから、そりゃ馬鹿馬鹿しくもなるわ。そもそもなんでカスタードなんて食ってるんだよ、そんなツラじゃないだろ、あんたら……
「わかったからあまり大声を出すな、あいつに聞こえたら……」
「聞こえたわよ」
と、今度は厨房から……
どえらい美女が現れた!
見たことがない、こんな美女。
長い銀髪を三角巾でまとめてエプロンをつけてる姿がびっくりするほど似合ってないが、顔は抜群にいい!
ああいうのを雪のような肌っていうんだろうな、おれの国じゃまずお目にかかれない美しさだ。絵画でも彫刻でもあんな美女を表現することはできないだろう、人の想像力ってのはどうしたって現実を下地にするもんだから、見たこともない美女なんか表現できるはずがない。
でもおれは見た。
魂をもってかれちまいそうになるほどの、白い美女を!
彼女の作った料理が食えるんなら、ここ、いい店かも……
「甘味を台無しにするやつは……」
あれ?
女神の周囲に真っ赤ななにかが見えるぞ?
なんでだろう、血の色に見える。
「死刑よッ!」
次の瞬間、おれの視界は真っ赤に染まった。
比喩じゃない。
物理的にだ。
指で瞼を拭うと、真っ赤ななにかがべっとりついていた。
それが血だとわかったのは、視線を前に戻したからだ。
女神から溢れ出る真っ赤ななにかが、酔っ払いどもに突き刺さっていた。
「クレア……」
店長が女神の美しい銀色の頭をむんずと掴んだ。
おかしいな、目がやられたか?
店長の手が、獣の手に見えるぞ。
「いい加減、この程度のことで客を殺すな」
「殺してないわ、ちゃんと瀕死よ」
「いいから放してやれ。おれが躾けておくから」
「あなたがそういうなら……今回は見逃してあげるわ」
女神の怒りは収まったらしく、赤い威圧感は消え去った。
どさりと床に落ちて動かない酔っ払い二人……
「お待たせしました、エールと前菜です」
なにごともなかったかのように料理を運んできた美人ウェイトレス……
そして食べ始めるおれ……
味なんか覚えちゃいないよ。
味どころかあの直後から翌朝店を出るまでの記憶が、おれにはなかった。
そういえば朝食食ったっけ?
あれ、なんか急に震えてきたぞ。おかしいな、シェランより北とはいえそう寒くない地域のはずなんだが……
なんでだろう、昨夜のことを思い出すと震えがとまらない。
待てよ、なんか店長と約束したような気がする。
なんだっけ。
酒……?
あれ、おれ昨日酒なんか飲んだっけ……?
おかしいな、仕事は巧くいったはずなのに、なんでこんなにも急いでおれは町を離れているんだろう。
ああ、そうか、早く成果を報告しなくちゃいけないもんな!
そうだよな!
ははははは……
おれが二度とバリザードを訪れなかったのは、いうまでもない……
そうだろう?
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