第20話 人妻は蜜の味? いいえ、血の味です
もう何度目になるかは忘れたが、またまた市長の訪問を受けたのは二十人を超える若い従業員たちの教育でヒューレが悲鳴を上げ始めたころだった。
やっぱりさすがに部下の教育と料理研究の両立は不可能だったようで(そもそも教育する側もまだ十九歳だからなあ)、本格的に料理人をスカウトしなければならないと不本意ながらも市長に相談した直後のことだったから、彼の仕事の速さに期待して迎え入れた。
いつもどおり食堂だ。彼はおれの執務室には入らず、ヒューレが作った家庭料理をつまむのが楽しみのようで待たされても必ず食堂で話たがるんだ。
昼食は既に済んでいる時間なうえ売り物ですらないのにきちんと金を置いて、市長はあまりもののパンとワインを注文してから話を切り出す。
「レムールに泣きつかれたわい」
それは貿易ギルドに所属する商人で、商工会に借金があり、潰れたのをいいことに踏み倒して新しくおれからも借金をしようと都合のいいことを企んだ愚かな男の名だ。
最も血なまぐさかった期間に町を離れていたせいでおれが証文をもっていることを知らなかったらしい。
だから、きっちり証文を叩きつけ、こいつの返済が終わらない限りこの町のいかなる勢力も貴様には一ゼノたりとも貸さん、といってやると、魂が抜けたような顔でとぼとぼ帰って行った。
「あんな身勝手なやつの肩をもつ気か?」
「まさか。これに懲りて真面目に商売せいと説教してやったわ。普段は大人しいくせに商売となるとなぜかギャンブルを好む男じゃからな、いい薬になるじゃろうて」
「それ、商工会からしたらただのカモだろ」
「本人もそれを承知していながらやめられんかったから性質が悪いの」
そういうやつは一生直らないと思う。
「でじゃ、先日頼まれた件」
待ってました、意外と優秀な市長さま!
「ちょうどわしよりツテのありそうな人物から連絡が入ったので、そっちと交渉してもらえるかの?」
「誰だ?」
「領主じゃ」
おお……
「ついに動いたか」
真っ当な市政を再開させるためにと、ルワドが真っ先に再開しようとしたのが領主への納税だった。前領主に見捨てられたときからこの町は税を納めていなかったのだ。
「数十年間滞納した分をすべて払えといってくれるようなやつならやりやすくていいんだが」
「ほんに図太いのう、おぬし」
「あんたにいわれたくないな」
「それでは早速呼ぶぞい」
「は?」
どういうことか問う前にルワドは入り口で待機させていた執事に合図を送り、すぐにその執事が緑の立派な貴族服を着た四十前後の、やたらと背が高いせいでひょろ長く見える男を連れてやってきた。
もしかしなくても領主を外で待たせていたのか……?
やっぱりとんでもねえじいさんだな。前の主人の息子だろうに。
「お初にお目にかかる、ルシエド卿。私はこのトヴァイアスの領主、ギュレット・イーデン・シュルベール・オヴ・トヴァイアス伯爵だ」
初対面の印象は、正直よくなかった。
トヴァイアスの領主といっておきながらわざわざオヴ・トヴァイアスと領地名を名前にくっつけ、しかも爵位まで足しやがった。それは過度の装飾であって、かなり権威的とか高圧的とかいうより、ガキっぽい虚勢といえた。
そのくせ、背が高いせいもあるんだろうが猫背気味で、言葉とは裏腹に表情は硬い。視線が定まらず若干口元が引きつっているのが向かいにいればよくわかる。
こいつ、小物だ。
「初めまして、ルシエド・ウルフィスだ」
だからおれは、力関係をわからせてやるために立ち上がることもせずに返してやった。
すると案の定この頼りなげな領主は狼狽え、ルワドに視線で助けを求めた。
ルワドもルワドでよくわかっているんだろう、なにもいわず椅子を勧めただけで割って入ろうとはしない。
ああ、ま~たこのじいさんに借りを作っちまうなあ……
「で、わざわざのお越しはどういったご用件かな」
「む、そ、それはもちろん、わが領地たるこのバリザードを無法の輩どもの不当なる支配から解放していただいた礼をしに……参ったのだ」
「そうかい、そいつはご苦労なことだが別に礼をいわれる筋合いはない。この町は領主の庇護がなくてもやっていけるんでな」
「し、しかしっ、納税の義務を再び果たすとルワドから聞いたぞっ。それはわが庇護下に入りたいとの意志ではないのかっ?」
「筋違いもいいところだ。それは市長が決めることで、おれはただの一般市民だぞ」
「よ、よしてくれたまえ、ことの経緯も聞いている、貴公こそがこの町の統治者だ。だからこそこうしてルワドに仲介を頼んだのだっ」
「あんた、市長がいなけりゃおれの顔をまともに見ることもできないのか」
こいつは効いた。
歳のわりにガキな領主は顔を真っ赤にして勢いよく立ち上がった。
「ぶぶっ、無礼であろう! いかなるうしろ盾があるか知らぬが、貴公の飼い主は最低限の礼儀も教えなかったのか!」
うん……?
どうも、話が食い違ってるな。
どういうことなんだい、市長さん。
目をやると、市長は素知らぬ顔でワイングラスを傾けた。
なるほど。
煮るなり焼くなりお好きにどうぞってわけね。
あんたも悪党だねえ。
「最低限の礼儀というならおれがあんたに教えるべきだな」
「なにをっ!?」
「弱者は強者に従え!」
バン、とテーブルを叩いてやると、へなちょこ領主は腰を抜かして無様に尻餅をついた。
「それが、おれの知る唯一の礼儀だ」
畳み掛けるなら今がチャンス。
「おれはあんたを必要としないし、あんたにとってもおれは不要な危険物だろう。この町の住民になるからには市の定めた法令には従うが、おれの領域を侵す者はたとえなんであろうと全力で排除する。たかだか伯爵如きが身分を振りかざして土足で踏み入ろうものなら……末路は知ってるよなァ?」
陸揚げされた魚のように口をパクパクさせ、領主は辛うじて頷いて見せた。
「では商談に入ろうか」
「は……?」
「おれはあくまでこの店の店長だ。そしてそんなところになんの気まぐれか領主が訪れた。商売人としては絶好の機会といえる。そうだろう?」
われながらアコギなことをしてるなと自嘲したくなる。こういう面ではきっと商工会のほうがよっぽど穏やかにやっていたことだろう。
しかし、領主というのは無視できない。
無視できない勢力だからこそ、出鼻を挫いて主導権を握らなければ面倒なことになりかねないんだ。
やたらとすり寄ってこられるとおれの政治的影響力が増大してしまうし、敵対されると戦わなければならない。戦えば、こっちは無傷でもクレアの正体が露見してしまうほどには激しい戦闘になるだろう。
それではここに移り住んだ意味がない。
だから、はっきりと力関係をわからせたうえで一定の距離を保たなければならないんだ。
こいつが市長並みにできる人間ならなにも問題はなかったんだが、問題があるとわかっているから市長も一芝居打ったわけで。おれも踊らされてるわけで。
なんでこんな荒れた町にいやがるかねえ。
「そういえば店長どのは、料理人を探しておったな」
こういうことをこういうタイミングでいいやがるから、本当に食えない。完全にこの場の主導権を握られちまってるよ……
「ギュレットさま、この店は必ずバリザードの中心として栄えますぞ。敵対するおつもりがないのであれば、人脈を作っておいてよいのではありませんかな?」
そういうことをおれの前で堂々というんじゃないよ、まったく。
「う、あ、料理、人、か……」
領主は震える膝に気合いを入れてなんとか立ち上がる。
「うむ、よかろう……私は食には目がないのでな、屋敷には一流の料理人を取り揃えてある。店長どのがほしいと申すなら考えてみよう」
なんとも羨ましい性格してるぜ、もう自尊心を取り戻しやがった。
こいつ、ただの傀儡なんじゃないのか? 市長が向こうで現役だったら間違いなく家を乗っ取られてるぞ。
……あ、だからか?
いやいや、まさかな。
「しかしわが自慢の料理人を差し出すとあらばそれなりの対価をいただけねば割に合わぬ」
「ほう、そんなに腕がいいか」
「むろんだ。いずれも王都や各国の大都市で修行した超一流だ。中には魔族もいる」
「魔族? それはすごいな」
こいつの食への執念がすごい。それでよく太らずに済んでいるもんだ。
「ふふん、貴公の舌は知るまい、魔族の独特な味付けによる伝統料理を」
「それは気になるわね!」
おれより早く反応したのは、厨房から今日のおやつをもって出てきたクレアだった。バスケットの中身は蜂蜜香るクッキーらしい。
「その魔族の料理人、ちょうだい」
物じゃないんだから手を差し出すんじゃありません。
その手を叩こうと思ったら、
「美しい……」
領主が妙に熱っぽい息で呟いた。
そして跪き、クレアの手を取る。
「わが妻になっていただきたい」
おれは反射的に殴り飛ばしていた。
なんでだろう。
「ギュレットさま、こちらは店長どのの奥方、クレアどのです」
足元に転がる領主に、引き起こすでもなくのんびりした声で市長はいうから、やっぱりこの二人の力関係もこれが答えなんだろうな。
「ひ・と・づ・ま!? かぁ……ッ!」
倒れたままドカドカと床を叩いて悔しがる領主。
これ、人に見せていい姿か?
「店長どの!」
やつは勢いよく立ち上がって今度はおれの手を掴み上げた。
「料理人の件、お任せ願おう」
「お、おう」
「その代わり、暇があるときは是非ともこの店に立ち寄らせていただきたい!」
「そんなのはあんたの勝手だが」
「ィヤッフーウッ!」
拳を突き上げて踊り始めた……
大丈夫か、この領主……
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