第6話 吸血鬼の味覚革命
クレアがどいたことで拘束が解けたのか、それとは関係なく彼女の意思でそうしたのかはわからないが、とにかくおれはようやく起き上がることができ、本当に傷も体力も回復していることを確かめると、まず三人の連れが瀕死でもいいから生きているかどうかを確認し、全員の生存にほっとして奇跡的に無事だった荷物を回収に向かった。
その間にクレアはおそらくおれにやったのと同じように自分の血を三人に与え、本当に助けてくれていた。
あいつらが目を覚まして成り行きを知ったらなんていうかな……リエルなんか信仰に反するとかいって自害しかねないんだが……
とめるのがおれの責任か。
ともかく三人の命が無事ならおれの急務は野宿に備えてもってきていた革コートをクレアに羽織らせることだ。
と思ったら向こうからやってきて、二の腕に噛みついた。
不意にやられると痛い。
「ところで、ヴァンパイアに血を吸われたやつは
コートを着せながら問う。
ロウアーは他種族がそのままヴァンパイアになることで、スレイブはヴァンパイア的な特徴をもったアンデッドを指す……と、おれの知識にはある。
「正確ではないわね」
器用に吸血しながらクレアは答えてくれた。目が赤く光ってるのはおれの血が巡ってるからか?
「どっちにせよ血を吸うだけではなにも変化はないわ。変化を与えるならヴァンパイアのほうからそれを与えないとね」
「血か?」
「それも正確ではないけどほぼ正解よ」
腕から口を放し、唇を舌で拭う。その姿もまたやけに妖艶だから困る。
「私の血を与え、その血にヴァンパイア因子を植え込んで発芽させれば眷属のできあがり。殺したあとで因子だけを植え込めばアンデッドのできあがり」
「因子ってのがなんなのかはわからんが、おれにはそいつを植え込んでいないのか?」
「ええ。だから肉体的には人間のままよ。ただ、私と一蓮托生だけど」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味よ。私が死ねばあなたも死ぬ」
「おれが死んだら?」
「私に影響はないけど、死なせないわ。そのために血を与えたんだもの」
「それ、おれもほぼ不死身ってことか?」
「そうね」
「…………」
どう反応していいやら。
大昔から不老不死を求める馬鹿な権力者や金持ちの話があちこちにあるが、それらはすべて破滅という結末を迎えている。おれはそいつを死にに行くことで得たわけだが、だからこそなんともいいがたい。別に不老不死どころか特に長生き願望もなかったんだが……
「ごめんね」
突然クレアの表情が曇った。その赤黒い瞳はおれを見据えているようでいて、どこか遠いところへ思いを馳せているようでもある。
「謝るならいきなり襲いかかってきたことを謝ってくれ。お陰で死にかけた」
「だから助けてあげたじゃない」
「むう」
納得できなかったからそう唸ったが、不満なのはどうやらおれの意思だけではなかったらしい。
「ぐう」
と、腹の虫も抗議の声を上げたのだ。
「すっかり元気になったみたいね」
そういって微笑むクレアが、伝説の化け物である事実を地平線の彼方まで吹っ飛ばしてしまうほど可愛かったからやりにくいったらない。
ヴァンパイアに懐かれ、与り知らぬところで不死身となり、おれのセカンドライフはまったく想定外の方向へと走り出してしまっている。
とはいえ、腹が減っては生きてはいけぬ。ヴァンパイアが血を吸わなければ死んでしまうのと同じように、ヴァンパイアじみてしまったおれも今までどおり食事をしなければ死んでしまうのだろう。いつの間にかおそらくは明け方近い深夜だし、あの変身魔法は体力・魔力の消耗と栄養消費が激しいんだ。
だからおれは荷物の中から非常食をいくつか取り出して瓦礫だらけの床に並べた。
「他の種族って不便よね」
床に並んだヒューレお手製の非常食を見下ろして、クレアは憐みの表情を作る。
「どうしてそんなにいろいろ食べないといけないの?」
「おれには血をすすってるだけで何百年も生きていられるヴァンパイアのほうが不思議だね。それじゃほとんど植物だろ」
「失礼ねっ」
またまたその怪物性に反して可愛らしい顔で膨れたのであろうクレアを、おれは見ずに済んだ。大好物であるフセッタスを頬張るのに夢中だったからだ。
フセッタスとは硬い生地の中にすり潰して砂糖でカッチカチに固めた旬の果実を挟んだ、おれの国では有名なパンだ。砂糖漬けしてあるため栄養価と保存性が高く、甘味としても季節ごとの楽しみがあるため冒険者から一般人、貴族に至るまでこいつが好きだという人間は多い。
「おまえも食ってみるか?」
実をいうとくれてやる気などまったくなく、どうせ拒否するだろうと思っていたからふたつあるうちのひとつを差し出して見せただけだった。
ところが、クレアは無表情でそいつを受け取り、無言で大きな一口を頬張ったから、おれは驚いたというより後悔した。まさか最後のひとつをまともな味覚があるかもわからんヴァンパイアに食われてしまうとは……
しかも、よりにもよってこの野郎、残りの部分をボトリと床に落としやがった!
「おい、なんてことしやがる!」
拾い上げて汚れを払うが、クレアの様子がおかしい。
「どうした?」
無表情でむしゃむしゃ咀嚼する以外、全身が硬直したかのように動かなくなってしまったのだ。
と思ったら、両目から二筋の細い川が流れた。
泣いているのだ、伝説の怪物が。
あまりの美味さに? そんな馬鹿な。
「ふええぇぇ、美味しいぃ……!」
え、マジで?
「なによこれ、なんなのこれ、こんなに美味しいものがこの世にあるなんて、私知らない!」
ぺたん、と座り込んで、おれがもっていた残りを、汚れているのも構わず奪い取ってあっという間に平らげてしまった。
「どうしてこんなに美味しいの!? もっとちょうだい!」
「いや、もうない」
「それは!?」
他に並べていた非常食を指差す。
「それは別の食べ物だ。ハムとかチーズとか……」
「なんでもいいから全部ちょうだいっ!」
「あ、おい……!」
とめる間もなく……いや、とめはした。腕力だけなら余裕で勝てそうな細く柔らかい腕を掴んでわが食料を護ろうとした。
……勝てなかったです、ハイ。
自信なくすなあ……
結局こいつ、ハムはしょっぱいからイヤ、とかいって投げ捨てやがり、チーズをワインと一緒に全部かき込み、仲間の荷物を漁ってヒューレが他にふたつフセッタスをもっていたことが判明すると雄叫びを上げながら泣いて喜び、それも全部食べて心なしか少しだけ膨らんだ腹をさすりながらおれの膝を枕に寝転びましたとさ……
「人間すごい」
「そりゃどーも……」
おれの腹はいまだに抗議活動を続けているが、補給路を断って物資を強奪したこの悪魔には聞こえていないらしい。いいや、きっと無視してるだけだ。おれの腹の前に頭があるのに聞こえてないはずがない。
「血だって充分美味しかったのに、それとは全然違う美味しさ……もっと食べたい」
「吐くぞ」
「じゃあまたあとで」
「おまえ、今まで血液以外口にしたことないのか?」
「あるけど、あのころの人間の食事なんて全然美味しくなかったわ」
それが何百年前のことかおれにはわからんが、まあそうだろうな。百年も経てば食事はおろかあらゆる技術が発達して品質は向上するもんだ。
「あんなに美味しいものがあるなら、もう少し生きてもいいかも」
「まるで死にたがってるような口ぶりだな」
「そうよ」
「またもやわけがわからなくなってきた」
だからおれたちは、仲間が目を覚ますまで互いの過去をたっぷり語り合うのだった……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます