第5話 愛の告白は血の味の口づけ
おれが目を覚ましたのは、聴覚と触覚に違和感を覚えたからだ。それは嫌な感覚というよりむしろ気持ちいいくらいのもので、その発生源を探りに目をやって驚いた。
「……なにをしてる」
全裸のどえらい美女が、そこにいた。
おれに重なるようにへばりつき、腹の傷をぺちゃぺちゃ舐めている。
「あら、案外冷静なのね」
「これでも死ぬほど驚いてる」
人間、本当に信じられないものを目にすると固まるというが、それは本当だな。こいつに遭遇したときもそうだったし、今もそうだ。
別に全裸の美女に抱きつかれているのはいい。むしろ男として嬉しい。ただ、そいつがついさっきまで(どれほど時間が経ったのか不明だがまだ夜は明けていないらしい)殺し合いをしていた伝説の化け物で、ぶった斬られたはずの右腕と下半身がくっついていて、風穴が開いたはずの腹までほとんど痕もなく元通りになっているときたら、いったいどんなリアクションを取ればいいのか、誰か正解を知っているなら教えてくれ。
「なんで裸なんだ」
最初に訊くのがこれだった時点でおれの混乱ぶりを察してほしい。
「あなたが焼いたんじゃない。あれぞまさしく情熱の炎ね」
実力差を考えればむしろ悪あがきの最後っ屁というべき吹けば消える風前の灯火だったと思うが。
「なんでおれは生きてる?」
「私が治したから」
「どうやって」
「私の血を分けたの」
「ヴァンパイアの……血だと……?」
嫌な予感しかしないんだが……
「察しがいいわね」
「待て……待ってくれ……じゃあおれは……」
「私の眷属ね」
なぜ嫌な予感というものは当たるんだろうか。いい予感が当たった例と並べて的中率の差を比較してみたいもんだ。きっと笑うしかないんだろうな。ははは。
……笑ってる場合か!
「元に戻せ」
「嫌よ」
「なんで」
「あなたは私を怒らせた」
「まるで身に覚えがない」
丸裸にしたことを怒っているようには見えないし、そもそも襲ってきたのはこいつのほうだ。
「私を酷く傷つける暴言を吐いたわ」
「それこそまったく覚えがない、気のせいだろう。それより体が動かせないんだが」
「私の血の上で寝ているんだから当然よ。とにかくあなたには責任を取ってもらうことにしたの。娘を傷物にしたってやつね」
「まるで意味が違う」
字面だけを見ればぐうの音も出ないほどの正論だが。
「おれを手下にして暴れる気か?」
「そんなつまらないことはしないわ」
それが真っ赤な嘘だということくらいおれだって知ってる。こいつが昔死人の大軍団を結成して派手に暴れ回った場所はおれの故郷の近くだからな。
「あなたは、私が死ぬまで私を殺し続けなさい」
咄嗟の反応ができなかったのは今日これで三度目か……四度目はもういいな。さすがに気持ち悪い。
「ますますもって意味がわからん」
「いいのよ、それでも。あなたが気に入ったの。私の初めてを奪った男だもの、情くらい湧くじゃない?」
「誤解を招くような言い回しをするな」
これだけの美女が何百年も生きていて処女のはずがない。いや、案外恐れられすぎて清いままか?
「誤解じゃないわ。確かにあなたは私を初めて殺した男よ」
「……生きてるじゃないか」
「細かいことはいいのよ」
全然細かくないし全然よくもない。
「眷属といっても別に支配しようとは思ってないわ。ただあのまま死なせたくなかったから助けただけ。私の血が入ったから今まで以上に強くなったわよ」
「おれもヴァンパイアになったわけじゃないのか?」
「ええ、違うわ。私の血をとおして魔力を送り込み、治癒能力と身体能力を向上させただけ」
「便利だな」
「たぶん誰でもできることじゃないわね」
よっぽどこいつが化け物ってことだな。
「でも、私が死ぬまでは死なせないわよ」
「それが愛の告白なら嬉しい限りなんだがなあ」
「あい……?」
不死身の化け物はきょとんと首をかしげた。
「いや、いい。忘れてくれ」
その顔が卑怯なほど可愛く見えてしまったから目を逸らしたなどと、絶対に悟られたくない。
「ふふふ、そうね、それじゃあこの気持ちのことをこれからは愛と呼ぶことにしましょう」
本当に意味がわからんやつだ。
だいたいなんでおれはいきなり襲われ、勝手に助けられ、勘違いの愛を向けられなきゃならんのだ。美人なのは認めるが……
ああ、認めるさ。ついでにプロポーションも抜群だと認めてやる。だからこそ、そろそろまずいんだ。傷は治ってるし体力もほぼ戻ってる。そんな状態でこれ以上そんな姿のままひっつかれていたら、ほら、男なんだ、わかるだろ?
「とりあえずなにか羽織ってくれないか」
「着る物なんて他にもってないわ」
なんてこったい。それじゃあこのまま動けない状態で……隠せない状態で生殺しってか?
おれの不自然な態度で気づいたのだろう、やつは……クレアはそこに白い指を這わせてまた塞がりかけの傷を舐め始めた。
「そういえば知ってる? 男の精は血液でできているのよ?」
そういった表情が恐ろしく艶めかしかったから、おれのそいつは無様に身震いしやがった。
「う、嘘だ」
「ヴァンパイアがいうんだから本当よ。あなたからは動脈の代わりにここから吸い出してあげましょうか」
「いいや、嘘だ! それは迷信だと国の医者がいっていた!」
枯れ果てるまで搾り取られる自分の姿を想像してぞっとしたからでたらめをいってみた。いや、男としては嬉しい申し出なのかもしれんが少なくともおれはそんな無様を晒して生きていたくはない。まだどこかの動脈に噛みつかれたほうが遥かにましだ! おれはな!
「チッ」
あ、こいつ目を逸らしやがったぞ。本当に嘘だったのか。
相手の嘘を見破るためにこちらも嘘をつくというけっこう危険な話術なんだが、前職も役に立つもんだな。
「でも血はもらうわよ」
「自分の血を与えて助けたくせにそこから吸うのか」
「お腹が減って生きていけないのはヴァンパイアも同じだからね」
そういって、美しき全裸の化け物は無抵抗のおれから勝手に唇を奪いやがった。舌をねじ込み、口内をゆっくり舐め回しながら卑猥な水音を立てて唾液を吸い上げていく……
……あれだ、何度口にしても、血の味ってまずいよな。
「唾液は血液とほぼ同じなの。これは本当よ。人間は愛し合う男女がこうして唇を吸い合うものなんでしょう?」
間違っちゃいない。いないが、おれたちはこれっぽっちも愛し合っちゃいない。
「そういう食事の仕方なら大歓迎だが、やっぱりなにか着てくれ。無事ならおれの荷物にコートが入ってる」
目だけを動かしてあたりを見回し、そこで思い出した。
「できれば仲間も助けてくれないか。生きているなら」
ぴくりとも動かない男女が三人、おれが最後に見た姿のまま倒れていた。われながら薄情なことだとは思うが許してくれ、これでもまだ気が動転しているんだ。
「あんな虫ケラはいらないわ」
「おまえに必要なくともおれには必要なんだ」
クレアは不満げに三人を一瞥して、立ち上がる。
もちろんそのせいで白磁のような儚く美しいクレアの全身がおれの視界を支配した。
「まあ、下僕はいたほうが便利よね」
そういって三人にも血を分け与えに向かってくれた。
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