2◆異世界ハンバーグ+α
PCが並ぶオフィス内。
他の連中は昼に出ている中、俺はひとり黙々とデバッグ作業を進める。
それが一段落する眼鏡を外し、疲労のたまった目を軽く押さえる。
するとすぐ隣りから声をかけられた。
「先輩先輩」
声の主は職場の後輩で、私服の女子高生のような出で立ちである。
社会人としてはかなりラフな格好だが、接客や取引先に出向かない彼女にはそれが許されている。
「お昼まだッスよね? 一緒にどうッスか?」
そう言って差し出されたレジ袋には、四角い箱状のものが重なっていた。
――よけいなことを
出かけた言葉を意志の力で強引に飲み込む。後輩としては善意に基づいての行動だ。
それを受け入れられないのは俺の問題である。
「あたしが出したバグのせいで、遅くなったんッス。このくらいは償わせてほしいッス」
「気にするなこれが俺の仕事だ」
彼女のプログラミング能力は迅速な反面、その精度は低い。
精度の低さを補ってなお重宝される早さではあるが、それをそのままにして置くわけにはいかない。
故にこうして先輩である俺がフォローに回っているのだ。
「気にするッスよ。だってそのせいで先輩、まだお昼食べられてないじゃないッスか」
その通りであるが、世にはありがた迷惑というものが存在する。
だが、これ以上オフィスで騒ぐのも得策ではない。
昼からもどりはじめた同僚たちがチラチラとこちらを気にしている。
俺は周囲に配慮し、とりあえず休憩室へと向かうことにした。
†
スーパーのロゴの入ったレジ袋から取り出されたのは寿司だった。
透明なプラスチック越しに陳列されるそれらを見て、眉根にシワがよったのを自覚する。
「ほらほら、スーパーの品だからってそんなに邪険にしないで~」
後輩はお茶を運びながら気楽にそう言う。
確かに口にする前に否定するのはよくない……だが、口にすると案の定だった。
「不味い」
きっぱりと評価を吐き出す。
「え~、先輩贅沢ッスよ。これ千円もしたんすよ」
後輩は980円とかかれた価格シールを強調する。
消費税を入れれば確かに1000円を超える品だ。
「貴様は本当に愚かだな。千円だしたから美味いというなら、牛丼は一杯で食べるよりも四杯で食べた方が美味いことになる」
「それは屁理屈ッス」
「そもそもこれは俺にとって寿司なんかじゃない。寿司もどきだ」
プラ容器の裏に張られたシールには添加物名がびっしりと記載されていた。
「こんな混ざり気たっぷりなものを寿司と呼んでたまるかっ」
山葵やガリは痛みやすい生魚で当たらないための工夫であるが、添加物は販売時間を延ばしたい売り手側の都合にすぎない。
無論、味に影響がでない範囲でなら黙殺するが、このスーパーの味はひどすぎる。
いや、これは保存料云々ではなく元の魚の問題なのかもしれない。
俺が憤怒していると、後輩は涙ぐんで訴えた。
「うっ、ひどい……先輩のためを思って買ってきたのに……」
職場において女が泣くほど卑怯な攻撃はない。
だが、幸い休憩室の利用者は他にいない。
「俺のためを思っての行動だというのなら、俺のことを調べてから行動しろ。でないならば、余計なことはするな」
そう叱咤すると、とうとう彼女は「先輩のバカ!」とその場から逃げ出した。
くそっ、社内で女性社員を泣かせたとあっては悪評が立つだろ。
嫌がらせか?
すると案の定、「あ~あ~、泣かせた~」とからかうような声が扉から聞こえる。
眼鏡越しににらみつけると、そこには臨時営業主任がニヤニヤと悪魔のような笑顔で俺を見ていた。
†
「ま~、おまえの事情もわかるけどよ」
隣の椅子に座ると臨時で雇われた営業主任は、その場に残された寿司をつまんで口に放り込んだ。
「だからって、後輩泣かせることはネーだろ」
言いながらも、プラ容器をひっくり返して原材料を確認している。
どうやらこいつもこれには不満があるらしい。
「……なぁ、ショートニングってえあれだよな? まえにファーストフードが不健康な油を使用してるってマスコミにフルボッコされてた」
「そうだな。アメリカじゃ規制されてるらしいが、日本じゃあちらほど使用量が多くないからという理由で規制されてはいない。だからこうしてスーパーでも普通に使ってる」
それが美味いかどうかは個々人の判断にゆだねられることだろう。
揚げ物にヘルシーな油を使用しているとアピールしながら、元々ヘルシーであるはずの寿司に不健康なものを混入させる精神は非常に理解しがたいが。
「もっとも日本じゃフランスパンやケーキ、洋菓子にも多用されているから、いきなり禁止になれば困る連中も多いだろう」
「だからって、さすがにこれはないわ」
「同感だ」
生ゴミと不燃物を分別するのを見ながら同意する。
自分で気をつけていれば通常は問題ないのだが、今回のように善意の第三者の手によって運ばれてくるケースも珍しくはない。
またスーパーでもそれなりのものを用意する店もあるので完全否定まではしない。
「ったく、寿司のどこに油を使うんだよ?」
「ネギトロだろう。先日スーパーで確認したときにみかけたぞ」
「あー、屑部分に油を混ぜたあれか。廃棄部分を美味く食わせようって発想は嫌いじゃないんだが……」
「個人的には避けたいものだ」
「まったくだ」
俺はアレルギー持ちではないが、食品関係で嫌いなものが人よりも多い。
贅沢と言われればそれまでだが、自分で衣食住をまかなう身なのだからそれくらいは自由にして許されるハズだ。
第一、俺が自分で納得できないものを食べたくないというのが許されないのなら、ベジタリアンとて同罪ではないだろうか。
ちなみに農薬などは関係ないらしく、自分で食材を買ってきて調理する分には問題ない。
それはそれで俺の料理スキルが高くないという別の問題が浮かび上がってくるのだが……。
「腹すかせて気が立ってるんだろ、いまから食いに出たらどうだ?」
「出ても結果はそうかわらん」
いっそ携帯食で済ませてしまおうか。
カロリー摂取ならそれで十分だし時間の節約にもなる。
だがその考えを目の前の男がやめるよう忠告した。
「カリカリしてんのも疲れてるからだろ? 修羅場っつってもまだ納品まで時間があんだから、いまのうちに体力つけとけ。でないと最後まで持たないぞ」
そう言って、手元の端末をいじりだすが「まだゲートの気配はネーか……」とつぶやく。
この悪魔顔の男は、俺に異世界への行き方を教えた張本人である。どういう過程を経て異世界への行き方をみつけたのかは謎だ。
「課長には俺の方から言っておいてやる。なんか温かいもん食ってこい」
「だったら一度ウチに戻るとしよう。先日、アカツノに持たされた土産が残っている」
そう言って俺は、寝床が近いのを良いことに一時帰宅することにした。
†
アパートに帰ると、一息ついてから土産にもらった肉を冷蔵庫から取り出す。
アカツノが包んでくれた土産はミンチにした肉を丸めたもの――ハンバーグだった。
「助かるな」
感謝の言葉が漏れる。
実は以前、自宅でも食べられるものをと土産を頼んだことがある。
しかし、一般家庭の火力では、たとえ薄切りにしても異世界肉には上手く火が通らなかったのだ。
更にはなかなかかみきれなかったり、腹を下したりと酷い目にあった。
ミンチにしてしまえば、異世界肉の特性もずいぶん素直になるだろう。
ひきかえに独特の歯ごたえを失うのは惜しい気もするが。
フライパンが温まったのを見計らい、うすく油を引いて肉塊をそこにのせる。
さすがに米を炊くほどの余裕はないので、冷凍庫に保存しておいたものをレンジで解凍してすませることにした。
付け合わせに、水洗いしたジャガイモをラップで包んでレンジへ。
アカツノの付け合わせには見劣りするが贅沢は言えまい。
しばらくすると、蓋とフライパンの隙間から良い匂いがあふれでてくる。
ちょうどその時、アパートのチャイムを鳴らす音が聞こえた。
「誰だこんな時間に?」
俺は火をとめ、余熱を残したフライパンをそのままに玄関へと向かう。
扉の向こうには逃げ出した後輩の姿があった。
「あの、先輩、申し訳ないッス。あたし先輩のことなんにも知らなくて……」
こいつは謝罪のため、わざわざ会社を抜け出してきたのだろうか。
これからも職場で一緒に働く後輩を邪険にはできないが、社会人としてあまりほめられた行為ではない。
まして、今は時間に余裕がない。
「俺こそすまなかったな、なにも知らないおまえにあたるような言い方をして」
その言葉に含むところはなかったのだが、何故か後輩の唇がギュッとかみしめられた。
「あの先輩!」
「なんだ?」
「これ、営業主任からもってけって言われたッス」
後輩は手に持っていた温かな風呂敷包みを差し出す。
それを解き、載せられた蓋をはずすとビックサイズのオムレツが姿を現す。
しかも、妙に凝った柄の皿には見覚えがあった。防御力の高そうなこの皿は間違いなく『灼熱の王座』のものだ。
どういう経路を用いたのか、あの男は異世界からこれを調達したらしい。
「営業主任じゃなくて、『臨時』営業主任な」
そこを強調しつつも皿を受けとる。
すると「きゅるきゅる~」とかわいらしい音が聞こえた。それと共に後輩の顔が赤らむ。
どうやら、結局彼女も食事をしないままだったらしい。
「一緒に食うか?」
「いや、でも……」
「あの腹黒営業の手回しだよ、気にするな」
腹が立つほど敏腕な営業の悪魔顔を思い浮かべながら、俺は彼女を部屋に招き入れた。
†
追加でご飯を解凍すると、焼きあがったばかりのハンバーグと、後輩が運んできたオムレツを包丁で半分に切りわける。
ちょうど良いサイズの皿がなかったので、オムレツはひとつの皿で分け合うことにした。
「「いただきます」」
静かに手を合わせ食事をはじめる。
するとハンバーグを口に運んだ後輩が仰天した。
「
「さあな」
まさか、なにも知らぬ彼女に異世界でドラゴン肉のハンバーグをもらってきた話しても信じてはもらえないだろう。
それに先日食べたドラゴンの肉よりも旨味が複雑だ。
肉はミンチにしただけでなく、他の肉と混ぜ合わせてあるのだろう。
店に出すようなもんじゃないと言ったのは、俺を納得させるための方便か。
「こっちのオムレツもうまっ、どうやったらこんな美味しいの作れるんですか?」
「俺に聞くな」
ふんわりしたオムレツには通常の卵で使ったのではない深いコクがある。
中には挽き肉とタマネギのような野菜を中心にした具材が仕込まれていて更なる旨味を引き出している。
「あっ、そのハンバーグひょっとして彼女さんが?」
「ちがう」
確かに性別的には彼女となるが、後輩が聞いているのは恋人関係というものだろう。
その程度の機微が利かないほど俺は鈍くはない。
だが迂闊な発言をし、アカツノの機嫌を損ねたら俺自身が食材にされかねない。
ここはしっかり否定しておべきだろう。
世の中なにが起こるかわからないということは、異世界料理を堪能している今、つくづく実感している。
「ときどき利用してる料理屋から土産でもらってきた」
「……その人、女性ですか?」
「まぁそうだが……それが料理に関係あるのか?」
「ないッス。けど……」
「けど?」
なんだか酒にでも酔ったようにボーッと俺の方をみている。
材料に変なものは混ざってない。入っていれば間違いなく俺は気づくし、影響だってあるハズだ。
「なんでもないっす」
いつものことだが変なヤツだ。
そういえば……『灼熱の王座』でメシを食ってると、よくこんな顔してるヤツに出くわすな。不思議なものだ。
†
「「ごちそうさまでした」」
食器を水に浸け、洗い物ものは帰ってからにすることにする。
「会社ではすまなかったな。あたるようなマネをして」
腹が膨れて気が落ち着くと、寿司の件がふたたび脳裏に蘇った。
腹の膨れた状態で考えれば、そこまで怒るような話ではないと思える。
いささか悔しいが、臨時営業主任の指摘は合っていたらしい。
「どうも俺の頭には味に関しての正解というものがあるらしくてな」
「正解ッスか?」
「ああ、おそらく過去の記憶と照らし合わせているんだろうな。そこから外れたりイレギュラーなものが混ざってたりすると、やけに気になる」
特に今日は疲れてたせいもあって、いらだちが大きかった。
「化学調味料とかがダメなんッスか?」
「カップ麺を食えるからそういうわけでもないんだろうな。自然志向を重視した食品が美味いとも思わんし。ただ、近年になってスーパーに置かれてる食品の一部が受け付けにくくなっていた。まったく食えないわけでもないが……
「むずかしんッスな」
「すまんな、先輩である俺の方が迷惑かけて」
眉根を寄せる後輩に改めて謝罪する。
「いやいやいやいや、あたしの方こそッス。先輩が食にうるさいっていうのは聞いてたんッスけど……甘かったッス」
それでスーパー品とはいえ、高値の寿司を用意したわけか。
「普段からあんな美味しいもの食べてる先輩に、変なもん食べさせちゃって申し訳なかったッス」
「さすがにあんなうまいもん毎日は食ってないぞ。せいぜい週1か各週くらいだ」
「それにいいもん見せてもらえたから、自分的にはプラスッス」
そう楽しげに告げるが……ハンバーグやオムレツがそんなにいいものか?
確かに異世界素材の料理なんて珍しくはあるが……。
ハンバーグとオムレツのおかげで体力も人間関係も回復できた。
感謝すべきは、美味い土産を持たせてくれたアカツノだな。
――彼女にはなにか礼をしなければならんな。
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