ゆで卵を 茹でた孫

「ゆで卵を、茹でた孫」


わっはっは。また始まったよあいつの駄洒落が。いやいや今更駄洒落って。実際古いし面白くない。どうせなら自分で考えた駄洒落を言えよ。そうそう、そんな皆が知ってるような駄洒落を言われてもな。お前は駄洒落を得意気に言うのさえなければなぁ。


ふふふ、今日もみんなを笑いで湧かせてあげたぞ。途中からほとんどだめだしだったような気がするけど、都合のいい耳にはそんなもの聞こえません。さて、明日はどんな駄洒落を言ってやろうかなあ。


と、思って少し考える。ゆで卵を茹でた孫?おかしい、何だろうこの違和感は。


あ、分かった。ゆで卵を茹でているからだ。


ゆで卵は卵が茹でられて出来る料理だから、ゆで卵と呼ばれているんだ。なのになぜまた卵を茹でているのだろうか。


「生卵を茹でた孫」


これなら全くおかしくないよな。生卵を茹でてゆで卵を作ろうとしているんだから、この行動も納得がいく。


なら、どうしてゆで卵をまた茹でているんだろう?


駄洒落を成立させてるために、こう言われているのは分かる。でも、ゆで卵をさらに茹でるのはおかしくないか? 孫は何も思っていないのか?


孫がおかしいのだろうか、「孫」と言っているのだから、これを言っている人はきっとお爺さんかお婆さんであることはたしかだと思うんだけど…。


もしかしたら、孫が今茹でている卵が、既にゆで卵だということを知らずに茹でている説はどうだろうか。これなら納得がいくし、生卵だと思っていたけどゆで卵だったなんて、お茶目な孫だなあと少しほんわかとした気分にもなる。


いや待てよ、孫が勘違いしていると決めつけるのは早すぎるのではないか。もしかしたらお爺さんお婆さん側が勘違いしているのかもしれない。


「ゆで卵を茹でた孫」というのはあくまで見ている側の人からの主観的な目線であって、茹でている孫目線ではないということだけははっきりとしているはずだ。


それならば、お爺さんお婆さんが勘違いしている説も捨てられない。


孫はちゃんと生卵の状態から湯にかけて、ゆで卵を作ろうとしているのだが、お爺さんとお婆さんが勘違いして、孫がゆで卵を茹でていると思い込んでいるのかもしれない。


たまたまその家には生卵とゆで卵が置いてあって、区別がつかなくなっている可能性だってある。お爺さんとお婆さんが歳をとりすぎて、ぼけてしまっていることだってあるはずだ。


結局のところなぜ孫はゆで卵を茹でているのだろうか。うーん、こればっかりはいくら考えても僕では答えが出ない気がする。考えすぎてなんだか頭も痛くなってきた。


頭も痛いけど小腹もすいてきた。そうだ、ここで一つゆで卵でも食べて落ち着こうかな。


僕のお母さんは卵が好きで、特にゆで卵が好きみたいで、よく作っては食べている。好きすぎで茹でたやつをそのまま冷蔵庫に保管して、いつでも食べられるようにしているくらいだ。


冷蔵庫をあけると、卵がたくさんあった。そういえばお母さんは、冷蔵庫に置く場所がないからと言って、生卵とゆで卵を一緒にしていると言っていたっけ。


「一緒にして、食べるときはどう区別するの?見た目はどっちも一緒じゃん」

「そういう時はね、卵を回転させればいいよよ」


たしかそんな事を言っていたのを思い出した。ええと、どっちだったっけ?僕の記憶が正しければ、回転させてよく回る方が生卵だったはず。お母さんが作ったゆで卵をそのまま食べるのもいいけれど、ここはやはり、孫の気持ちになって最初から卵を茹でてみようと思う。


そうして僕は、よく回る卵を取り出して、小さい鍋に火をかけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る