うおのめ

 朝、いつも通りに目が覚めて、出かける準備をしなくてはならないので布団から体を無理やり起こす。今日も一日頑張るか、なんて思っていたのだが、足の裏にある違和感を覚える。一体なんだこれは。親指の付け根のあたりであろうか、黒い小さな点がある。まあ何か小さな棘でも刺さったのだろう。よくあることだと思い、あまり気にしないことにした。


 あまり気にしないようにしていたのだが、その小さな点は日に日に大きくなっていく。最早小さな点ではなくなっていた。生きているものは成長すると言われているが、この黒い点ももしかしたら成長しているのではないか? そう思ったら、得体の知れないこの奇妙な黒い点にもなぜか愛着が湧いてきた。


 この奇妙な黒い点は、相も変わらず成長を続けている。ある日、黒い点の成長を確かめようと足の裏を見てみると、黒い点が目のようになっているように見えた。まるでさかなの目のようである。はて、これは一体どういうことだろう。黒い点から目になることなんてあり得るのか。そんなこと例にない。空前絶後だ。さすがの私も困惑してしまった。親に相談してみたら大変驚いた様子で、すぐにでも病院へ行こうと言ってきた。親は私が大の病院嫌いだということを知っているはずだ。それでも病院へ行こうと言ってきたのだから、ただごとではないということだけは私でも理解することが出来た。仕方なく病院へ足を運ぶことにした。


 病院に着いて、診察室へ通された。小太りした、いかにも私が院長でございと言わんばかりの風貌な男であった。髪は白髪で、顔には深いしわがたたまれている。仕事に精を出して生きていれば、こんな風になってしまうのかと思った。そんなどうでもいいことを思っていたら、おもむろに目ができている足に触ってきた。私の足の目を見た院長は明らかに動揺していた。どうしたらこんなものが出来るのだと言ってきた。知るか。そんなの私が知りたいくらいだ。院長は、こんなものは前例がないと、驚いたことを素直に白状してきた。なるほど、前例がないのなら仕方がない。もしも私が院長をやっていたとして、こんなヘンテコなものを足に宿した患者が来たら、いくらなんでも狼狽するだろう。なんて言うと思ったか。その手のプロならもう少しどんと構えてればいいのだ。そんな顔をされては私が心配になってしまうだろう。なんてことを思いながら一通り診察を終えた。病院からは、体にあるできものを殺菌するというような軟膏を渡された。全く、こんなもので私の足の目が治ると思っているから腹立たしい。しかし、今は縋るものがこれしかないので、素直に受け取っておくことにした。


 家に帰って、早速塗ってみることにした。僅かな期待しか抱いてなかったから、治らなくても別にいいというような気持ちでもいた。いや、治ることにこしたことはないのだが。


 薬を塗りはじめてから半月が過ぎた。やはり治る気配はない。それどころか、さらに大きくなっているような気がした。さかなの目のようなものは、はっきりとさかなの目になっていて、私の足の裏はさかなの目になっていた。それに初めて気づいた時は、怒りを隠せなかった。全く、なぜ私の足にこんなものができてしまったのだ。さかなの目ならば、本来の魚について然るべきだ。それをなんだ、よりにもよって私の足の裏に棲みつくなんて、勘違いも甚だしい。そんなものを育て上げるために私の足はあるのではない。最初はそう思っていた。しかし、だんだんその足のさかなの目にも興味が湧いてきた。これ以上放っておくとどうなるのだろう。この目はさらに進化をやめないのではないか。そう考えた私は、その日からさかなの目を丁寧に扱ってあげることにした。


 さかなの目を丁寧に扱う日々は未だ継続中だ。親からは、あの時の目のようなものは治ったのかと聞かれていたが、もう治ったと言ってあった。別に隠す必要はないと思うのだが、なんとなく秘密にしておきたかったのだ。成長するさかなの目は、私の中で楽しみになっていたし、誰にも干渉されたくなかった。どこかに行くときは靴下を必ず履いていたし、今は夏だからサンダルでも履いて出歩きたいのだが、そこをぐっと我慢して、靴を履いていた。寝る時も靴下を履いていた。いつ見られてしまうか怖かったから、自分なりの最大限の努力だったのだろう。これまでこんな一つに打ちこむことがあっただろうか、いやない。振り返ってみると、私の人生はこれまでいい加減な人生だったのかもしれない。これといったものがなく、人に左右されながら生きてきた。自分で判断したことなんて一度もなかった。まさか、このさかなの目から振り返ることになろうとは。そういうこともあってか、私はさかなの目に対して、ますます大事にしていかなければならないと思うようになった。


 一年が経とうとしていた。私のさかなの目は、進化してさかなの顔になっていた。目があり、口があり、顔がある。いよいよ私の足はこの世のものではないと思い始めていた頃、さかなの顔を引っ張れることに気付いた。思い切って引っ張ってみた。ぬるんと足から魚が一匹出てきた。ぬるぬるしてとても気持ち悪かった。それを親に魚を釣ってきたと言って渡しておいた。その晩の献立として出された焼き魚を、もちろん私は食べなかったが。少し寂しい気持ちになってしまったのは言うまでもない。

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