2-2 あたしの名前は
「いただきます」
青年は何かにかじりついた。ぶつりとゴムを噛み切るような音がした後、なんども咀嚼する。口から垂れる赤い液体に気づいて、彼はそれすらも吸い取った。
うめき声のようなものが聞こえるが、彼はそんなこと気にしないと言いたげに、もう一度かぶりついた。そして、その食材は今度は叫び声をあげる。
「なーにやってるんっスか?こんなところで」
突然聞こえてきた女の声。青年はその声が聞こえる方を向くと、そこには一つの影があった。姿はよく見えないが、性別は声でわかった。
「見た感じ猟奇殺人者……な訳ないっスね。こんな昼間の路地裏でやるのは少しおかしいっス……返答によっては、今ここで退治するっスよ」
「うぅう……」
「……んん。多分、あなたディザイアっスよね。確か人間の中で欲を解消してるディザイアは、攻撃しても大丈夫……でしたっけ?」
そう少女は青年に尋ねるが、彼は答えるどころか、どこかに走り出した。少女は彼を追いかけるが、だんだんと距離を離されていく。
ふと気づくと人通りの多い道に出ていた。青年がどこに行ったかは、なんとなくわかるがおそらく追いつけない。
「ひぃーめんどくさいっスねぇ……この方角は、三月町っスか。そういえば美味しいパン屋さんがあるとか聞いたことあるっス……ついでに食べにいくっスかねぇ」
少女はそう行って歩き出した。足取りは軽やかに。せれど、少しだけめんどくさそうに。
◇◇◇◇◇
「おじゃましまーーす!」
ガチャリとドアを開けて千鶴はあかねの家に入る。脱いだ靴は礼儀正しく並べているので、なんやかんなで礼儀はあるのだろうが、少し声を小さくして欲しいなぁとあかねは考えていた。
美冬も家の中に入り、最後にあかねが鍵を閉めて中に入る。あかねの部屋の扉を開けると、すでに千鶴がベッドの中に入り込んでいた。
「あかねちゃんのにおいがするよーーー!!」
「気持ち悪いことするな!やめろ離れろ!」
あかねは叫びながら、千鶴をベッドから引き離そうとする。けれど千鶴はどこからそんなに力を出してるのか聞きたくなるほどの力で張り付いていて離れない。
しかし、しばらくすると諦めたのか千鶴が渋々ベッドから離れる。どこから取り出したかわからないが透明のビニール袋の中に空気を入れていたが、あかねはあえて突っ込まなかった。
「千鶴さん、本当にあかねさんが好きですね」
「もっちろんだよー!あかねちゃんは私のすべてなのだからっ」
ビシィと、千鶴はあかねに指を突き刺すが、あかねはそれを少しだけ照れ臭そうにその指をどかした。
千鶴はそのまま指を美冬に向けて、コツンと額を押す。それをされて美冬は、頭に疑問を浮かべて彼女を見つめる。
「へっへっへーもちろん、美冬ちゃんも私のすべてだよー!」
「全てですか……サンキューベリーマッチョです」
「美冬ちゃん面白い言葉を使うよねー今度詳しく教えてよー!」
そう言って千鶴は美冬に抱きつく。美冬は嫌そうな顔は何もせず、少しだけ口元を緩めながら抱き返した。
あかねはそんな2人を微笑ましく見ていたが、すぐに立ち上がって美冬の肩をちょんちょんと叩く。
「なんですか?あかねさん」
「美冬ちゃん、お菓子作るから少し手伝ってくれないか?千鶴はここでおとなしくしていてくれ」
「わかった!全体の空気を肌で感じつつまつよ!!」
千鶴はそう言って部屋の真ん中で正座して、目を閉じて恍惚そうな表情を浮かべていた。あかねは少しだけ引きつった顔をしながら美冬を連れ出した。
キッチンについた後、あかねは砂糖などを取り出して、クッキーを作る準備を始めた。材料を混ぜ、レンジの中に入れる。
「……で、あかねさん。連れ出した理由、あるんですよね?」
「美冬ちゃんは流石だな……実は言いたいことがあってな」
あかねはそう言って少しだけやつれた笑顔を見せる。それと同時に何かの羽ばたく音が聞こえてきた。
それは、あかねの横に止まり美冬の顔を見る。美冬はとても驚いた顔をして、あかねの横の球体をつかんだ。
「て、天使くん!?なんでここに……」
「まぁ、その……なんだ。こいつは魔法少女になったんだ」
「そういうことだ。美冬ちゃんの代わりに、あたしが魔法少女になったんだ」
「そうなんですか……で、でも」
そんな危険なことをする必要なんて。美冬はそう言葉を続けようとしたが、あかねはそれの前に、美冬の口に人差し指をつける。
美冬は少しだけドキリとした。彼女の指と彼女の目を交互に見たあと、小さくわかりましたと呟いた。
「でも、無理はしないでください。もし無理して倒れたりしたら、ボクは激おこです」
「はっはっは。それは怖いな。まぁ、なんとなるさ。それに結構楽しいぜ?昔から夢でさ、名乗りとかが合法的にできるってのはな」
「名乗り、ですか?」
「おうよ。機会があったら、かっこつけみたいだけどよ、見せてやるさ」
あかねのその言葉と同時に、クッキーの美味しそうなにおいがキッチンに広がる。どうやら焼けたらしく、あかねはオーブンからそれを取り出した。
皿の上に移し、それを美冬に渡す。飲み物を用意するから先に持っていててくれとあかねは彼女にたのんだ。
美冬はコクリと頷いて、クッキーが入った皿を持って歩き出す。それを見たあと、あかねは冷蔵庫からりんごジュースを取り出してコップにつぎ分ける。
「……あかね」
「なんだ、天使くん」
「怖くはないのか?成り行きでそうなったが、今ならまだ契約を取り消せるぞ」
「いや。いいよ。あたしがここでやめたら、あたし以外の誰かがあんな目にあう。それなら、あたしがやればいい。それに怖くはないさ」
天使くんの言葉に応えたあかね。彼女が注いでいるジュースは風も吹いてないのに大きく揺れていた。
ピチャリ。ジュースがコップの中に入らずゆっくりとシミのように液体が広がっていく。あかねは笑いながら、その液体を拭き取った。
「あかね……お前本当は」
「あかねさーん!!来てください!!千鶴さんがなんかやばいことしてやばいですっ!!」
「おう!……ところで、なんだ?天使くん」
「……いや、何もない。早く行って来い。俺はここら辺で待ってるからな」
あかねにそういうと、彼女はもちろんと言いたげにジュースをお盆に乗せて歩き出す。コップの中身は不自然すぎるほど穏やかに、全く揺れてなかった。
「……どうにかならないか。か。たとえどうにかならなくても俺にはどうしようも出来んというのにな」
天使くんは自重気味に呟いたあと、ふわりと羽ばたきながら、キッチンと机の上にコトンと座った。側から見たら人形に見えるため、美冬たちが帰るまでここにいようかと考えた。
このまま、何事もなければいいのだが。天使くんはそうぼそりと呟いて目を瞑ったのだった。
◇◇◇◇◇
ここはどこだろう。
何かがぼーっと頭の中をクルクルと回る。だんだんとそのことだけしか考えられなくなり、やがてそれの正体がわかる。
そうだ。お腹が空いてるんだ。ただそれだけの簡単な感情を、なぜ忘れていたんだろう。不思議だな。そんなことを考えていた。
その時ふと気付いた。目の前に、何かが転がっている。見たことあるなと考えると同時に、突然の空腹に襲われる。
目の前にあるのは食べられるのだろうか?そんなことを考えながら、ゆっくりとそれに近づいた。そして、口を大きく開けて言葉をこぼした。
いただきます。
◇◇◇◇◇
「ふふーん」
鼻歌を歌いながら、美冬は外を歩いていた。お菓子を食べた後、千鶴は少しして帰り、その後すぐに春樹からバイトが早めに終わったと連絡があったので、美冬は今家に帰っている。
手にはあかねが渡してくれたクッキーが入った袋。袋に入れてモールで口を閉めてるだけの簡単なラッピングだが、味は何でも変わらない。
あかねが作るお菓子はどれも一級品だと、美冬たちは思っている。もし、彼女の店ができたら、毎回通ってしまいそうだ。
日は少しだけ傾き始め、だんだんと赤い日差しが辺りを包み始める。それはとても綺麗であったが、どこか儚くみえて、美冬は少しだけ溜息を吐く。
「……?」
その時、近くの壁に大きな穴があるのが見えた。こんなところに穴の通り道があったかなと、美冬は考えながらその中をのぞいて見る。
中は特に何もなく、ただの空洞が広がっていた。少しだけ気になった美冬は、その中に足を一歩踏み入れた。
(危なくなったら……すぐにトンズラすればいいのです)
そんなことを考えて美冬は少しずつ進む。チラチラと後ろを振り返りながら、歩いていく。赤い日差しが、だんだんと見えなくなっていくが、その足は止まらない。
しばらく進むと、目の前に大きな扉があるのが見えた。この先に何かあるのだろうかと、美冬は内心まるで宝箱を開ける時のようにドキドキとワクワクが入り混じっていた。
ギィィ……と、扉は重い音を出すが、美冬の力でもすんなり開けれることができた。中を覗き見る前に、美冬の鼻の中に香ばしい匂いが入ってきた、
首を傾げつつ、美冬はその中に一歩踏み入った。しばらく進んでいくと、小さな机がポツンと置いてあるのに気づく。いや、小さくはないのだが、部屋自体が広すぎて、机が小さく見えてしまっていた。
その机には焼きたてのトースト。バター。そして目玉焼きと、まるで誰かの朝食のようなものが置いてあった。美冬はスンスンと、鼻を動かして、先ほどの匂いの正体はこれだということに気づく。
まさかここは誰かの家だったのかな。そんなことを考えたら、もしかして所謂不法侵入になってしまってるのでは?そんな言葉が頭をよぎり、美冬はゆっくりとここから出て行こうとする。
「おや、もう帰るのですか?」
突然少年の声が聞こえてきた。美冬は慌ててその声が聞こえてきた方を見ると、そこには一つの人影があった。声を聞かないと男か女かわからないその少年は、こちらにゆっくりと歩いてきた。
綺麗な黒いスーツにシルクハットはまるで手品師のような風貌であり、右目にモノクルをつけていた。それは、幼い顔には不釣り合いだった。
そんな彼は紫のボロボロなマントをはためかせながら、美冬に近づく。美冬は少しだけ恐ろしさを感じつつも、逃げるという考えが頭に浮かばなかった。
「あっえっと……その……」
「あぁ。謝らなくていいですよ。そもそもここは僕の家じゃありませんから。あ、そうそう。僕の名前はエレンホスです。よろしくお願いします」
「あ。ボ、ボクは小峠美冬です。よ、よろしゅーです……」
エレンホスは美冬の名前を聞いて、優しく笑う。名前からして外人なのだろう。だからか、優美な雰囲気は人間のようには見えなかった。
美冬はおどおどしつつ、彼のことをじっと見る。少年はその視線に気づいて、にこりと笑い返してきた。その時、美冬は異様に胸がどきりとする。
「さて。そろそろ食事にしましょうか」
「食事……?いや、ボクは結構でーーー」
「さぁ、ご飯ですよ」
「えっ」
エレンホスの言葉に美冬が聞き返そうとした時、突然机が揺れ始める。美冬は驚き、その机から距離をとった。
すると、その机が突然消える。まるで、そこだけ切り取られてしまったかのようだった。
その時、音が聞こえてきたため天井を見上げると、そこには何かがいた。それには背鰭のようなものが生えてあら、天井を優雅に泳いでいた。
暫く美冬はその動きに見惚れていた。が、すぐに異常なことだということに気づいて、入ってきた扉に向かって走り出す。
しかし、そんな彼女をあざ笑うかのようにいつのまにか優雅に泳いでいたそれは、彼女の前に突然現れて、大きな口を開けていたのであった。
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