涼国賢妃伝 ~路傍の花でも、花は花~
結城かおる
第1話 鈴玉立志
「……はあ、つまらない」
今朝から数えて十六度目の溜息が、ごく若い女官の唇から逃げた。
彼女は後宮のちょうど真ん中、
「つまらないったら、つまらない」
まるで彼女の愚痴に賛同するように、もしくは餌を催促してのことか、鯉は口をぱくぱくさせる。
「残念でした。お前達が可愛い尾びれを振りつつ媚びを売っても、何にも持ってませんですよう」
意地悪な笑みを浮かべ、女官は手にした小石をぽちゃんと水面に放った。同心円に広がるさざ波の下で、鯉たちが鈍い動きで身をひるがえす。
「ああ、あんた達はいいわねえ、私みたいに宮仕えの苦労も知らず、尾びれをぱたぱたしていれば、池の中が太平無事で……」
「
同輩に咎められたらしい、「鈴玉」と呼ばれた女官はぷっとむくれる。そして、わざとらしく
「余計なお世話よ、
明らかに疑いの眼を向ける香菱に、鈴玉は横目でにらみ返し「ふん」と鼻を鳴らすと、すたすたと自分の持ち場へと戻っていった。
話は鈴玉の入宮前までさかのぼる――。
彼女の父親である
つなぎ目に隙間が出来、木目は割れ、蓋も満足に閉められないような棺のなかに、母は横たわっていた。祭壇には供え物が一つか二つ、所在なげに置かれているばかりである。その前に肩を落としてうずくまる父とは対照的に、一人娘は両の手を固く握りしめ、棺を睨みつけていた。
「……これ、鈴玉や。いつまでも突っ立っていないで、早く母親に拝礼しなさい」
弱々しい駿の叱責も耳に入らぬように、鈴玉は低い声を絞り出した。身にまとっているのは親等の近い者が着る目の粗い麻の喪服、その固い襟がうなじに当たって痛かった。
「知らなかったわ、貧しいってこれほど惨めなものだとは」
「鈴玉」
「お父様はいいわね。鄭家が没落したといっても、まだ多少はましな時代のことを覚えていらっしゃるだろうから。でも私には何もないわ、貧しさの記憶以外は」
「お前……」
「お母様の喪が明けたら、私、王宮に入ります。後宮の女官になるの」
娘の思いがけぬ言葉に父親は仰天した。
「女官って、鈴玉……跳ねっ返りのお前に女官勤めなどできるものか。いやいや、明君の
「お父さまは弱気ね。お母さまの前でこんなことを言うのも申し訳ないけれども、お父さまがもっと気丈でいらしたら、我が家門の没落も食い止められたかもしれないのに」
娘の鋭い舌鋒に反論もできない父は、うつむいて頭を垂れた。
「……といっても、お父様を責めても仕方がないから、私が代わりに家門を立て直すのよ。いえ、きっと立て直してみせる」
後宮に入って女官となり――そう、後宮という場所を利用して権力を持つ。彼女はそう決意したのである。
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