第四章「昇天の流し素麺」
第11話
10
「リエット様。これより先は魔王国の影響力が強くなります。彼の国は多様な人種、幅広い信仰を認めているとはいえ、それでも、そのように神秘教会の祈りをしていては悪目立ちしてしまいます。人目のある所では、控えられた方がよろしいかと」
ヴィアンドがそう言った。
良いアドバイスだと、リエットも頷いている。
「そうですわね。心苦しいですが、ヴィアンド様のおっしゃる通りですわ」
クルトンにとっては苦々しくもあったが、リエットは納得していた。
ここ数日で、魔王城へ向けた旅は、ずいぶんと進んだのだ。
魔王国側の地へと入り、タルタルの引く馬車は実に快調だった。道がよく舗装されているからだ。多少の雨に見舞われた程度では、ぬかるんだりしない。ソタナフマ連合側とは違い、馬車の速度はとても安定していて、なにより速かった。街道が整備されているおかげで、物流が滑らかになり、経済的にも魔王国側は発展しているのだ。
だがクルトンにとっては喜ばしい事ではない。
(非常にまずい……)
川辺での休憩中、クルトンは木陰で通話呪符を取り出した。
クルトンは周囲の様子を慎重に確かめる。リエットはタルタルに水を与え、蹄鉄の具合を確かめ、ブラッシングし、丁寧に顔を拭いてあげている。
馬車近くでヴィアンドは試射をしつつ、弓の調子を整えていた。
これなら問題なさそうだ。そう思いクルトンは呪符による通話を始めた。
『幸いな事に、トゥールの地にノイト大佐が駐留しています。たった一人で戦局すら変えてしまう、正真正銘の魔王軍大佐です。トゥールの地へとリエットを誘いなさい』
指示を仰いだクルトンへと、ローレルはそう答えた。
だが、クルトンははいと頷くことに気が引けた。
「しかしローレル様。旅程では、別のルートを通る事になっていて。もうすぐ分かれ道となる《大橋の町》についてしまいます。いまさら、トゥール領を通るように誘導するのは不自然です。遠回りになると、リエットも知っています」
『では大橋を封鎖しましょう。三日ほどかかります。時を稼ぎなさい、クルトン』
「み、三日ですか? あと二日で町に到着してしまうのですが……」
クルトンがためらうと、ローレルが訝しそうな声音を出した。
『その程度の足止め、あなたなら容易いでしょう?』
「ですが、いまはヴィアンドの目も気になりますし。なによりその、足止めしようにもリエットは……こちらの常識や予想が通じない勇者で。イベリコ中佐を倒せたのもそれが理由っぽいですし、時間稼ぎが通じるかどうか……」
『クルトン、この程度の事で、何を弱気になっているのです?』
「いやその、弱気とかでは無くて、純然な事実として――」
クルトンはなおも言い訳を重ねようとしたが、ローレルはぴしゃりと遮った。
『努力に努力を重ね、養成学校では素晴らしい成績を収め、あなたの卒業論文は魔王様がお読みになったほどだったのです。意志強く、ゆくゆくは幹部の道へ進むと私も期待して、こうして勇者撲滅の任務を与えたというのに……クルトン、真面目にやりなさいっ』
(ち、ちがうもん……一生懸命やってるもん……あの勇者が意味不明なだけだもん……)
ローレル様にたしなめられ、クルトンに返す言葉はなかった。
『とにかくクルトン、何としてでも時間を稼ぎなさい。いいですね?』
「わ、わかりました、ローレル様」
通話を終えてクルトンは腹をくくった。
もはや手段を選んでいられない。
医療に関わる者の端くれとして、なるべく使いたくはない方法だったが、備えはしておいた。用法と用量を違えれば、薬は薬でなくなる。リエットの食事に毒を盛るのだ。
クルトンは薬箱から小瓶を取り出した。
希釈しなければ、たった一滴で二日は寝込んでしまう薬だ。
さらに無味無臭。
致死レベルの毒薬を仕込むと、リエットの奇跡が発動し、飲食を防ぐ可能性が高い。ぎりぎり防御系奇跡を掻い潜る事ができるであろう、軽度の毒なのだ。
(善は急げ。悪はもっと急げ)
クルトンは養成学校で学んだ考えを、実行に移した。
その日の夕食に一滴垂らしたのだ。リエットは毒入りスープをぺろりと平らげ、けろりとしていた。リエットの様子をクルトンが見るかぎり、まったく効いていない。
(……あれ、用法用量を間違えたかな?)
クルトンは急いで小瓶のラベルを確認し、今度はリエットの朝食に三滴たらした。また、効果は無い。昼食には十滴ぶち込んだが、やはりリエットは平然としていた。
クルトンはヤケクソになり、宿屋での夕食に小瓶一本分、どかっと全部入れた。だが、リエットの体調にはちっとも変化が現れない。それどころか、「なんだか、ここ一日ほどで、肩の凝りが取れたようですわ」とリエットは調子が良いとすら言った。
クルトンは頭を抱えた。
(これは……小瓶に入れる薬を間違えた? あるいはラベルの張り間違いか? ……くそっ、なんて初歩的なミスをっ。なんの薬と間違えたんだ?)
リエットの皿に残っていたスープを、クルトンは小指の先にちょいとつけて、鑑定のためにぺろっと舐めてみた。クルトンはその場でぶっ倒れた。
意識がはっきりしてくると、クルトンはベッドの上にいた。
見覚えのある天井と調度品、窓の外の景色。どうやら宿屋のようだった。
「ああ、よかった! クルトン、目が覚めたのですわね」
リエットが目に涙をためて、クルトンのベッドの傍からそう言った。
クルトンの手を握りながらリエットは椅子に腰かけている。どうやらリエットはずっと看病してくれていたらしいと、節々の痛みに顔をしかめながらもクルトンは上体を起こした。
頭がふらついてしまう。
「えっと……リエット様? 私は、いったい……?」
「いけませんっ、急いで身体を起こしては。もっとゆっくり……そう、そうです。もっと身体を労わって、クルトン。三日間も意識を朦朧とさせていたのですよ」
「み、三日も……?」
うなされている時に、なにかまずい事を口走ってはいなかったかと、クルトンは不安になった。しかしリエットの様子をみるに、大丈夫そうだ。
フォンデュの一件を考えるに、リエットは裏切り者に容赦する性格ではない。
クルトンは申し訳ないと頭を下げた。
「す、すみません……リエット様、私のせいで……旅に遅れが……」
「あなたのせいではありませんわ、クルトン」
「で、ですが……」
「わたくしは毒薬に抗する訓練を幼少期より行ってきました。致死薬にも耐えられる身体ですから、油断しましたわ。私を狙う魔王の手先の毒薬に、あなたも巻き込まれてしまったのでしょう。これより先は、別々に食事を取った方が良いですわね」
リエットはそう言って、クルトンの額の汗をぬぐってくれた。
「ほんとうに心配しましたわ、クルトン……」
心の底からほっとしたように呟いたリエット。
その表情を見た瞬間、クルトンの胸がきゅっと締め付けられる様に痛んだ。例えようのない後ろめたさに自分の存在が嫌になり、けれどリエットの微笑みはそんな汚らわしい自分すら包み込んでくれているようで。身体の強張りがじんわりと解れ、かと思ったら、今度は嬉しさと甘酸っぱさに胸が高鳴り、とくとくと満たされてゆく感覚もして――
「あ、あのっ、ちょっと、トイレ! ……ひ、一人で大丈夫です。リエット様は休んで居てください。ずっと看病してくれていたんですよね? 私はもう、大丈夫ですから」
クルトンは慌てて部屋を出て、洗面所へと向かった。
鏡に映った自分の顔は、頬が赤かった。
息も荒かった。
役目も何もかも放り出して、リエットに真実を告白し、願わくば許しを乞いたかった。
胸が、苦しかった…………
「おのれは何をぉ……キュンキュンしとるかぁあああああ!!」
クルトンは頭を鏡にうちつけた。鏡にヒビが入り、額に血がにじむ程だった。
「ふざけんな、おい、オレっ! あ、あいつは、結婚を誓い合った幼馴染のイケメンを寝取られて喜んでるようなドヘンタイだぞ! たった一人で魔王艦隊を撤退に追い込むような異常生物だぞ! 魔王様やローレル様に仇をなし、魔王国を脅かす敵だぞ!! おまっ、それっ、そそっ、そんなヤツにっ、ちょ、ちょ、ちょっと優しくされたくらいで、な、何を胸キュンしてっ!? 毒薬仕込んだことに罪悪感なんか感じちゃったりしてっ……病み上がりの弱った心にまんまとつけ込まれてっ、アホか!? オレはっ」
自分の頬を引っ叩いてクルトンは喝を入れた。
「ひいっ、ひいっ、ふうっ。ふはっ、むはははっ。落ちつけ、オレ。取り乱すな、胸の鼓動。冷静にいこう。こういう時こそ、冷静に行かなくては……」
「ほぅ、冷静にな……」
後ろから声がして、クルトンの心臓は縮み上がった。
病み上がりで警戒心が薄まり、クルトンはあまりに不用心すぎた。
リエットの事で頭が一杯になり、もう一人の事を失念していたのだ。一流の護衛者である弓使い、新米勇者の守護神グラス・ド・ヴィアンドの事を。
(なっ、聞かれた!? こうなれば、コイツの首をかき切って――)
クルトンは割れたガラス鏡の破片を手に持った。
近場にある武器になりそうなものと言えば、それくらいしかなかった。水の鉄拳といったクルトンが使える攻撃魔法は、発動までに時間がかかる。
だが、クルトンの思惑を見透かしたように、ヴィアンドは手で制した。
「無駄だ、クルトン。お前に私は倒せない」
「……くっ」
「病み上がりのその身体では、逃げる事すら叶わない。諦めろ」
ヴィアンドの言葉は真実だった。
この近距離では帯剣するヴィアンドが圧倒的に有利だ。そもそも実力差がある。
ならばっ、とクルトンは覚悟を決めた。
血が流れ出す事もいとわず、鋭利なガラス片を持つ手にクルトンは力を込めたのだ。自らの喉を掻っ捌こうとするクルトンを、しかしヴィアンドが蹴り飛ばした。
倒れかけたクルトンは腕を掴まれ、ヴィアンドにあっけなく組み伏せられてしまう。大きな物音一つ立たない、鮮やかで流れるような手並みだった。
自害する事すら許されない。
あらゆる手を使いクルトンから情報を絞り取るつもりなのだ、ヴィアンドは。
もうこれまでだと、クルトンは目を瞑った。
「リエット抹殺……やはり貴様一人では心許ないな」
「……へ?」
ヴィアンドの口から出たその言葉に、クルトンは耳を疑った。
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