第9話




     8



「次の街は、ナゼカです。フシギトと同じく、王都のようですね。ソタナフマ連合でも、ナゼカアルはもっとも魔王国側にある王国です。二大運河の交差地点にありますから、かなり商業で栄えているはず。我々の旅路では、船を使って渡る事になるでしょう」


 タルタルの手綱を緩めつつ、クルトンはリエットとヴィアンドへそう話した。


 ちなみに、『ソコソコ・タマニ・ナゼカ・フシギト・マレニヨクアル連合国』主要各国の頭文字を取って『ソタナフマ連合国』と言われている。

 アルとは人族の古代言語で『~の大地』という意味だ。


「馬車を乗せられるほど、大きな渡し船があると良いのですが」

「大丈夫です、クルトン」


 リエットがクルトンの言葉に答え、穏やかに続けた。


「タルタルと一緒に川を渡れるなら、馬車は捨てても構いません。船が見つからなければ、渡った先で新たに買いましょう。ねぇ? ヴィアンド様?」


 リエットが話しかけると、荷台で弓の手入れをしていたヴィアンドが頷いた。


「リエット殿。お任せください。ナゼカには懇意にしている商人がおりますので、事情を話せば、新たな馬車を手配してくれるはずです。ナゼカは商業の街ですので、物はあふれています。この馬車を差し出せば、悪い顔はしないでしょう」


 ヴィアンドは断言した。


 ナゼカはナゼカアル王国の首都であり、現在はソタナフマ連合の台所と言われるほどの、商業と流通の中心地だ。魔王国側と国境を接しているという事は、魔王国の侵攻が開始されれば真っ先に被害を受けるという事でもあるが、同時に、魔王国側から貴重な物品を仕入れてソタナフマ連合側へと売りさばける、という事でもある。


 常に破産のリスクはあるものの、儲かって仕方がない地だ。

 クルトンは個人的に楽しみでもあった。


「ナゼカと言えば食の都の別名もあるほどですから、美味しいものが食べられますね」

「ふふっ、クルトンは食いしん坊ですわね」


 頬を緩めるリエットへ、クルトンは胸を反らした。


「そりゃ、美味しいものは大好きですよ。リエット様は?」

「もちろん。大好きですわ」

「色んな国々の食材が集まるので、料理屋さんやお菓子屋さん、屋台なんかが豊富だそうです。旅程を考えるとそう長くは留まれませんが、楽しみですね!」

「ええ」


 リエットとクルトンははしゃいだが、ヴィアンドは顔を曇らせていた。


「ふむ……楽しみに水を差して申し訳ないが、期待はせぬ方がよいかもしれません」

「どうしてですの? ヴィアンド様」

「……いえその、あくまで人づてに聞いた話なのですが、今現在のナゼカは食の都として、あまり芳しくない状態らしい、と……」


 ヴィアンドにそう言われ、リエットとクルトンは顔を見合わせた。


 ナゼカの都は運河で二分割され、両岸の街で一つの都だった。人口が密集しているからか、塔のように背の高い建物が多い。木造家屋が密集した場所もあれば、石造りの建物が集まった場所もある。建築様式も非常に雑多で、異なる文化の交わりが感じられた。


 街中は店員の声が行きかっている。

「らっしゃいらっしゃい! 安くしとくよ、とにかく安くしとくよ!」「最新の研究結果で証明された、魔法の水だよ! 飲めばお肌がすべすべだ!」「話題のお店だよ! みんな美味しいって言ってるよ! 流行に遅れちゃいけない!」「新しい料理だよ! どこが新しいって? とにかく新しいんだ! よっといで!」「とにかく痩せるよ、うちの肉料理は! 牛でさえ一週間で骨と皮になっちまうんだ!」

 ナゼカの繁華街は活気に満ちて居た。


 お客さんで溢れている。街中には至るところに広告が出ており、食の激戦区として日夜しのぎを削っているのだろう。目がチカチカする色合いのデカデカとした広告が街中にあり、凄まじい美辞麗句の数々や、有名人らしき者たちのお墨付きが並んでいた。


 あちらこちらから、食欲をそそる良い匂いが漂ってくる。

 ヴィアンドの言っていたこととは、ずいぶん違うようだ。


 リエットが安心したように、ヴィアンドの顔を見ている。


「あら、食の都の名に恥じぬにぎわいではありませんか、ヴィアンド様」

「むむ……そのようですね。いやはや、申し訳ない。又聞きの話しで悪戯に不安を……」


 赤毛を掻いてヴィアンドは面目ないと笑っていたが、すぐに面目躍如の手並みを発揮した。渡し船の商人と、瞬く間に話しをつけたのだ。


「そんな、とんでもねぇ。こんなことでヴィアンド様から銭を受け取ったなんて知られたら、俺ぁ、ウチのかかぁに殺されちまいますよ」


 商人が頑なに賃金を受け取ろうとしない。


 どうやら渡し賃すら必要ないらしい。赤毛の守り神の名は伊達では無い。

 話しはついたが、渡し船の手配には数日かかるそうだった。


「リエット様、では、今宵の宿を探しましょう」


 クルトンは提案したが、リエットは首を横に振った。


「クルトン、その必要はありませんわ。ナゼカの教会に、父の手紙が届いているとの事ですから、そちらへ向かいましょう。今宵は教会で過ごし、聖堂で祈りを捧げたいのです。ヴィアンド様も、教会での宿泊でかまいませんか?」


 リエットに尋ねられ、ヴィアンドは二つ返事で頷いた。


「もちろん。私は護衛者、リエット殿の御傍におります」

「クルトン、教会へ着いた後は、街へ繰り出して食事をとりましょう」

「はい、リエット様!」


 クルトンは純粋に嬉しかった。


 せっかく食の都に居るというのに、教会の質素で味気ない食事ではもったいない。教会へと向かう道すがら、屋台や行列のある店舗などをクルトンはチェックしておいた。密偵任務の最中だが、楽しみは必要だ。目星をつけ、なるべく多くのお店を回るつもりだったのだ。


 だが、そんなクルトンの思惑は、教会に到着すると消えてしまった。


 教会の敷地にある病院施設が、病人で溢れていたのだ。いたる所から呻き声が聞こえて来る。一目見ただけで、クルトンが手を貸す必要があるなと判断したほどだった。


 患者は老若男女を問わず、さらに、そのほとんどが腹痛であった。癒しの使い手たちは、いずれも疲弊している。おそらく一日二日の事ではないらしい。

 この状態が慢性化しているのだ。


 クルトンは教会関係者へと話しかけた。


「この都の公衆衛生はどうなっているのですか? 見せてください」


 クルトンは頼み、近場の下水施設や公衆便所などを見せてもらった。魔王国に近いからか、最先端の下水設備が導入されている。

 よく手入れされ、しっかり機能していた。


「つまりこれは……食べ物が原因ですね?」


 クルトンが確信をもって尋ねると、教会の者は頷いた。


「……はい……お三人とも、こちらへ」


 人目をはばかる様に聖堂へと場を移し、教会の者がうつむき加減で話し始めた。


「実は、チコウユという老人がナゼカにやってきて、瞬く間に勢力を強めたのです。郵便や広告業を独占し、街中に怪しげな誇大広告を次々と。食品衛生に関する取り決めなども、ほとんど守る事がなくて。ひどい質の食材をナゼカに流通させているんです。役人を買収し、不正を糾弾する者や商売敵を、汚い広告戦略で次々と潰してゆく始末で。街の者の中には、チコウユのやり口に反発した者もいたのですが、手に負えなくて。どうも噂では、かなり腕の立つ魔王軍人らしいと言われていて。みな、恐れているのです……」

「チコウユ……魔王軍人?」


 クルトンはその名を知っていた。

 おそらく『凝縮の地下油』の二つ名を持つ、チコウユ大佐だろう。


(……ひどいな。なんてことだ。無差別に民を……これがチコウユ様のやり方なのか? たしか風聞では、清廉潔白なお人柄だと……あてにはならないな、噂というものは)


 あるいは味方としては高潔でも、敵に対しては違う。

 そういう事なのかもしれない。


 頭では理解できる事柄であっても、クルトンはすんなりと飲み込めなかった。


(だが、チコウユ様は魔王軍の大佐。たった一人で戦局すら変える、と噂される人物。ぶつければ、リエットを潰してくれるかもしれない。しかし、どうやって……)


 そうクルトンが思案していると、傍に居たヴィアンドが口をはさんだ。


「リエット殿。そのチコウユという者、倒しましょう。魔王軍人かもしれぬということ以上に、老若男女を問わず影響を及ぼす食品で汚染するなど、人として許せません」


 クルトンにとっては害だけだと思っていたが、ヴィアンド持ち前の良心がクルトンの思惑を、くしくもサポートする形となっているらしい。


「ええ、ヴィアンド様。けれど、わたくしの本願は魔王討伐です。チコウユと言う輩、成敗されて当然とは思いますが、イベリコの様に目立った武威行動は行っていませんわ。武に対して武を用いるならともかく、そうでないものには、まずは話し合いを――」

「とんでもないです、勇者さま。チコウユはかなりの武闘派で、歯向かう者を魔法の力で脅しております。王が遊説中である事をいいことに、好き勝手を」


 教会の癒し手がそう言った。

 ナゼカの首都にも、フシギトと同じく王が不在らしい。


「チコウユのあまりのやり口に、志ある数名が、チコウユの所業を改める様に諭しにいったのですが……足腰が立たなくされた者もいる始末。話し合いなど、まるで……」

「まぁ、なんてこと……」


 リエットは口に手を当て、眉間にしわを寄せていた。


「その話、私も小耳に挟んだことがあります。リエット殿」

「ヴィアンド様も?」

「ええ。この街の商人には知り合いが多く、彼らが困っている、と。ここは天下の台所。様々な物品が集まる場所で、チコウユのような悪貨を放置しておれば、いずれこの街の商人たちの信頼にも深刻な影響を与えてしまいます。彼らもなんとか自浄しようとしているのでしょうが、現状を見るに、チコウユと言う輩、相当に腕が立つものと……」


 ヴィアンドが思案顔でそう言った。

 冷静な分析だとクルトンが思っていると、ヴィアンドがリエットを見つめた。


「我らが今ここに居る以上、捨て置けません。それに好機、という言い方は相応しくありませんが、リエット殿。困っている商人たちに恩を売っておけば、これから先、魔王国へと入り込む旅の最中でも、様々な支援が得られやすくなるかと」

「……なるほど。商人は商人の義がある、と?」


 リエットの問いかけに、ヴィアンドは頷いている。


「はい。彼らの繋がりは役に立ちます。少々、打算的な思惑ではありますが」

「いいえ、ヴィアンド様。そんな顔をなさらないで。魔王討伐という至難の道。打算無しで成し遂げられるほど甘いとは、わたくしも思っておりませんわ。タルタルと馬車を乗せる船の手配まで、時が必要ですし。チコウユを懲らしめに行きましょう」


 リエットの一言で、行く先は決まった。

 労せず、リエットが虎口へと飛びむのだ。


 これ幸いと、クルトンはほくそ笑んだ。




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