第8話
「お初にお目にかかりますわ。わたくしは、リエット・アンジュ・ド・トゥール。教会より勇者として認定を頂いております。以後、お見知りおきを。ヴィアンド様」
「おお、トゥール伯の。ご息女であるリエット殿ですね? 神の奇跡を宿されたとは聞いておりましたが、まさか、このようなところでお目見えできるとは」
ヴィアンドは目を見開いている。
どうやらヴィアンドはリエットの父親と知り合いらしい。
初対面は初対面でも、まったく繋がりが無いという訳ではない。これは増々厄介な事になったと、クルトンは苦虫を噛み潰したような心境になった。
「父の事を?」
「はい。よく存じております。おつらかったでしょう。魔王軍に領国を……あなたが勇者として神の奇跡を宿されたのは、ある意味、必然の事のような気がします」
ヴィアンドがそう言うと、リエットは頷いた。
「こうしてヴィアンド様と出会えた事も、神の御導きですわね」
「ええ、まったく。祝福されております」
「神に感謝を……」
リエットは跪き、祈りを捧げ始めた。
ヴィアンドもクルトンもそれに倣う。
リエットに続きクルトンも名乗り、軽く自己紹介を済ませた。
世辞を交えながら近辺の世情を話しつつ、ヴィアンドはリエットに有益な情報を与えているようであった。話も一段落を迎えると、ヴィアンドがクルトンを手招きした。
「クルトンとやら、すこしこちらに」
「なんでしょう?」
クルトンが首を傾げると、ヴィアンドは遺体を手で示した。
「返り討ちにしてしまったが、魔王国の手の者とはいえ別段、この者に恨みは無かった。すまぬが、弔ってやりたいのだ。手を貸してもらえるか?」
ヴィアンドは商人の遺体を見ながら、静かにそう言った。
クルトンにとって、明日は我が身とはこのことか。
地に伏し、矢の突き立った遺体は哀れの一言だった。名も知らぬ同僚でも、仕事仲間であったことに間違いはなく、クルトンは冥福を祈った。
ヴィアンドの申し出も有難かった。
「はい、もちろんです。ヴィアンド様」
そう言ってクルトンは馬車からシャベルを取り出した。
「ではわたくしも」
手伝おうと申し出たリエットを、しかしヴィアンドが手で制した。
「いえいえ、リエット殿のお手を煩わせるほどでは。リエット殿はそちらで、この商人の薬箱を調べてみてください。なにか発見があるかもしれません」
ヴィアンドはそう述べて、クルトンと共に墓穴を掘り始める。交代しながら墓穴を掘っている最中も、ヴィアンドは鋭い目でクルトンを見ていた。
「あの、ヴィアンド様。なにか?」
穴を掘る手を止め、クルトンは尋ねた。
ヴィアンドの目つきは鋭いままだ。クルトンを値踏みする様でもあった。
「リエット殿の護衛者だそうだな?」
「ええ。旅の途中で知り合いまして」
「見た所、武芸者ではなさそうだが……」
ヴィアンドの質問に、クルトンは不快感を一切見せずに頷いた。
「駆け出しの若輩者ですが、奇跡の力を少々。湧き水や浄化、癒しなどを」
クルトンはそう答えた。
魔王国では魔術、ソタナフマ連合では奇跡と言う。
本質的には同じものだ。
知識として体系化されている魔王国のそれに比べて、ソタナフマ側は「深淵なる神の御印」あるいは「奇跡は自然とその身に宿るもの」として個人の才能に頼り切っている。秘密主義の教会が秘法と定めており、育成を大規模にやっていないため使い手は少ない。
魔王国との戦いで人族連合が手も足も出なかった理由の一つだ。
ヴィアンドが顔をほころばせている。癒しの奇跡の使い手は、勇者パーティーにおいて貴重だ。怪我をしたときに心強い。辺鄙な場所で病に倒れても、クルトンがいれば何とかなる。
実戦を経験すればするほど、その重要性が身に染みるのだろう。
ヴィアンドは鋭い眼差しから一転、クルトンを歓迎するように目を細めた。
「ほう、癒しの奇跡を。どこで学んだ?」
「学ぶものではありません。すべては神の御導きなのですから」
「そうだな。その通りだ」
ヴィアンドは実に軽やかな口調だったが、クルトンは内心でぞくっとした。
(……間違いない。こいつ、今、ひっかけようとしたな……)
にこやかな笑顔の下で、クルトンは脇が湿るのを感じた。
奇跡の力は学ぶものではなく、神から与えられるもの。
それがソタナフマ連合では常識とされている。ヴィアンドほどの護衛者なら、そんな事はわざわざクルトンに指摘されるまでもない。わざとそう言って来たのだ。
クルトンを疑っていなければ、ヴィアンドがそんな言葉を吐くはずがない。
「それにしても、浄化、湧き水、さらに癒しの奇跡の使い手とは。旅には心強い」
「そんな。あまり期待されても困ります」
「謙遜せずとも」
朗らかなヴィアンドへと、クルトンは笑顔の仮面を心掛けた。
「いえ、まだまだ神への祈りが足らぬ身。さほど強い奇跡の力が使える訳では」
「しかしなにも、旅などせずとも引く手数多だろうに。わざわざ魔王討伐の御供などという、危険な役目に身を投じられるとは。しかも道中で出会った、実力も定かではないような新米勇者に随行するなどとは……頭が下がる思いだ」
やはり、ヴィアンドの言葉の端々に刺が潜んでいる。
クルトンもやられてばかりはいられないと、その言葉尻を捕らえた。
「それをおっしゃるのなら、ヴィアンド様だって、そうではありませんか? 勇者として日の浅い者を、積極的に庇護なさっているではありませんか」
「……ふっ」
クルトンの返しにやられてしまったと、ヴィアンドは手をぱたぱたと動かして続けた。
「そうだったな。許してくれ、くだらない勘ぐりをした」
「いえいえ。ヴィアンド様のような慎重さこそ、見習いたいです」
「そう言ってもらえると、心が助かる」
ヴィアンドとのやり取りもそこそこに、クルトンは穴掘りに注力した。
遺体を担ぎ、クルトンは掘った穴に横たえた。なかなか重く、堅かった。死体は見た目よりも重く感じる、とクルトンは養成学校で習っていたが、体感するのは初めてだった。
死者に祈りを捧げて埋葬が終わると、ヴィアンドが申し出た。
「リエット殿、よろしければ私も御一行に加えて頂けませんか?」
ちらりとヴィアンドが横目にクルトンを見た事を、クルトンは見逃さなかった。
だがリエットはとても嬉しそうな顔をしている。
「まあ、ヴィアンド様が? それは頼もしい。ねぇ? クルトン」
「ええ。ヴィアンド様が居てくだされば、百人力……いいえ、千人力です」
クルトンはそう言いつつも、冷や汗が止まらなかった。
(これは、まずい……)
対策を考えねばと、クルトンは頭が熱を帯びていく。
事態が明らかに、クルトンにとって悪化しているのだ。
(ヴィアンドのこの申し出……まちがいなく、疑われている……)
助っ人がパーティーに加わるはずが、とんでもないのが加わってしまった。
今までのリエットの二人旅では、多少は息つく暇もあったが、もはやない。街道沿いの宿屋に泊まり、ヴィアンドと食卓を囲んでいる時ですら油断ならなかった。
「ほぉ、クルトンの出身はマレニヨクアル地方とは。どの村の?」
パンをナイフで切って口へ運びつつ、ヴィアンドがそう尋ねてくる。
「東ヨクアル村です」
クルトンが答えると、ヴィアンドは思い出すように虚空を見上げた。
「ああ、ヨクアルの……あそこの風車群は実に綺麗だ。季節ごとに帆の色を変える風習があって、それには意味があったはず。たしか……」
「風の精霊を喜ばせて、より良き風を運んでもらうためです」
「そうそう。実にユニークな模様の帆だった」
「村の自慢ですから」
クルトンもヴィアンドも、リエットの手前、口調は柔らかい。
表情も朗らかだった。
「あの村の牛は良い乳をだす。チーズ作りも大変うまい。あの村のチーズは特産品で、マレニヨクアル地方では大人気だからな」
「ええ、パンにあわせると格別ですね。懐かしいなぁ」
クルトンがそう言うと、ヴィアンドの表情からすっと柔らかさが消えた。
「…………ふむ、懐かしい? とすると、おかしいな……」
「え?」
「あの村は寂びれた山村のはず。牛ではなく飼ってるのはヤギだ。ヤギの乳より牛の乳の方が高値がつくというので、商標を誤魔化しているが。それに大人気になるまで売れるほど、山道や橋も整備されてない。……貴様、本当にヨクアルの人間か?」
(――っ!? こ、こいつっ……)
パンをちぎるクルトンの手が、ぴたりと止まった。
だが、クルトンは焦らない。
この程度のこと、密偵の養成学校で訓練済みだ。
ぎらつくヴィアンドの相貌を、クルトンは見つめ返す。
「それは西ヨクアル村の話では? 東ヨクアルは首都に比較的近くて、田舎ではあるけれど、道や橋は馬車が通れるくらいちゃんとしていますよ」
クルトンが答えると、ヴィアンドはゆっくりと頷いた。
「…………正解だ。許してほしい。引っかける様な真似して。魔王国の連中もずるがしこくて、勇者の卵を潰そうと、密偵を仕込んだりしているものだから」
「へぇ、そうなんですか。気をつけないといけませんね」
「ああ。ほんとうに、気をつけないと……」
ヴィアンドは微笑んでいたが眼光は鋭いままだった。さすが幾人もの勇者を守ってきた赤毛の守り神だ。おそらくクルトンに対して何らかの勘が働くのだろう。
まだ確信を持たれてはいないようだが、一筋縄で行きそうにない。
クルトンが内心で滝の汗を流していると、一つの咳払いがヴィアンドを制した。
「クルトンへの言葉の数々。高名な護衛者様とはいえ、いささか無礼が過ぎますわ」
リエットの口振りはやんわりとしていたが、決然とした意志が込められていた。ヴィアンドも奇跡の勇者候補には逆らえないのか、大人しくクルトンへと頭を下げた。
「おっしゃる通りです。非礼を詫びます。もうしわけない」
「それにわたくしはこれでも、神に選ばれし勇者。魔王を打ち倒す奇跡の力をその身に受けたのです。私の人を見る目に、間違いはありませんわ」
リエットは自信に満ちた声音でそう言った。
(いやあんた節穴だよ……)
男を見る目も仲間を見る目もまったく無いよ。ほんと清々しいくらい無いよ。そっちの護衛者さんのほうがよっぽどしっかりしてるよ。
クルトンはそう思ったが、ぐっとこらえた。
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