第三章「凝縮の地下油」
第7話
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クルトンとリエットが、城郭都市フシギトを通り抜けて数週間。
それは、魔王領へと迫った、あるよく晴れた日だった。
魔王城らしき小さな点が、遥か彼方、薄ぼやけた山の頂にぎりぎり見える。クルトンは馬車を止め、読書にいそしむリエットへと話しかけた。
「リエット様、あれが目的の場所、魔王城です」
「まあ、あれが……」
本から顔を上げて、リエットが目を凝らしている。
そのリエットの表情は、なんだか柔らかい。
今日のように天気の良い日ですら、やっと目を凝らして見えるか見えないかという距離ではあるが、直線距離にすれば終わりが見えた分、近くに感じる事だろう。
クルトンはおほんと咳払いし、「そう近くは無いですよ、あそこまでは」と言って続けた。
「直線距離では、すぐ辿り着ける様にも見えますが、険しい山地や要所を魔王軍ががっちりと固めてあります。魔王城周辺の地は、渦を巻く貝のような地形ですので、比較的安全なルートを取る場合、魔王城までの道のりはずっと遠いです。現在地は、いわば緩衝地帯のようなものになりつつありますが、それでも元々は激戦区だった場所ですので」
クルトンが説明すると、リエットは頷いた。
「二国間の間で巧みに生き抜く狡猾な者たちがひしめく大地。そしてなにより、隙あらば魔の手を伸ばそうとする魔王国と、それに抗うソタナフマ連合が水面下で静かに火花を散らせている……という事ですわね」
「はい、リエット様。よくご存知ですね」
「わたくしの生まれ故郷は、これより先にありましたもの」
しっとりとした口調で言うリエットに、クルトンは少し顔をうつむけた。リエットは故郷を追われ、そして勇者となり、逃げてきた道を今、引き返しているのだ。
「……そうでしたね……」
「故郷から離れる時は、急いでいて。それに雨の日が多くて、ここからあんな風に魔王城が見えるなんて、知りませんでしたわ。ありがとう、クルトン」
ゴールが見えたぶん、やる気が出ます。そうリエットは言外に滲ませる。
そしてリエットは、不思議そうにクルトンの顔を見つめた。
「それにしても、クルトンは詳しいのですね。すごく旅慣れている様子ですわ。生まれは確か、ソタナフマ連合の奥地・マレニヨクアルの方だと聞いていましたが……」
リエットの疑問に、クルトンは冷静にうなずいた。
「護衛者として、地理を頭に入れておくのは当然の事です。それに、癒しの奇跡を授かって後、教会の教えに従って、癒しの巡礼などをしておりましたから」
「まあ、そうでしたの」
そう言うリエットは、疑念を抱いた様子もない。
魔王国の手の者と疑われないよう、慎重にクルトンは続けた。
「その巡礼で、幸い、宣教と護衛者をなされていた方と知り合いまして。その方から各地での旅の話を聞き、私も護衛者となって旅をしようかと……その、色んな町や土地を見てみたくて。世界の為に魔王討伐を目指すリエット様と比べてしまうと、不純な動機ですが」
照れるような仕草でクルトンが言うと、リエットは真面目な顔で首を横に振った。
「そんなことはありません。人それぞれ、望みは違うモノ。理由はどうであれ、危険な旅路でもわたくしに力添えしてくれるあなたは、とても純粋で素晴らしいですわ」
こういう事をリエットはごく当たり前のように、微笑みながらさらりと言えてしまう。なにより、聖女か女神を思わせる慈しみに満ちた声音が心地よい。
リエットの性癖さえ知らなければ、クルトンは心奪われて居たかもしれない。
「そ、そういえば……」
リエットに見惚れてしまいそうになった自分を戒めるように、クルトンは話題を変えた。
「リエット様の奇跡の力とは、具体的に、どのようなモノなのですか?」
「私の、奇跡の力、ですか?」
「ええ。とても強力なようですので」
「神の強き加護をその身に宿せる力、と神秘教会の方々にはそう言われましたわ。戦いとなると、勝手に身体が動くのです。わたくしも、自分の奇跡がどういったものかは……」
リエットの返答はふわふわとしている。
それからも馬車での移動の最中、何気なくクルトンは聞いてみたのだが、リエットの返答は要領を得ないものだった。リエットが嘘を言っている訳ではない。
『奇跡』とはそういうものだ。
体系化された魔術ですら、説明や分類がしにくい魔法はある。
(リエットは肉体強化はもちろん、索敵系や回避・防御系の奇跡もかなりの精度・出力で、ほぼ無意識に使っているようだ……さすが勇者といったところか)
クルトンは分析した。
報告書にして上に送る必要がある。
(それに、坑道の魔物を一撃で消し飛ばしたり、イベリコ様の攻撃に平然と耐え抜いて、まるで受けたダメージをカウンターのように打ち返したりしていた。リエットは勇者の中でもおそらく、かなり上位の資質を持っている……)
魔王国の佐官軍人で二つ名を与えられた者は、いずれも自動魔法の使い手だ。攻撃はもちろん、回避や防御、索敵や肉体強化といった事をほぼ反射的に行える。
一騎当千の実力をもつのはそのためだ。
魔王国側では『自動魔法』だが、ソタナフマ側では『神の奇跡』と呼ばれ、つまり勇者とは、それを才能だけで会得する素養の高い者の事を言う。
体系化された魔法と違い、奇跡の力は型にはまらず、時にひどく独創的だ。
「独力での任務遂行は難しいので、助っ人をお願いしたいのです。ローレル様」
数日前、通話呪符でクルトンはこっそり連絡を取っていた。
『……たしかに。佐官を倒すほどの勇者を相手にするには、まだ密偵として経験の浅いあなた一人には、少々荷が重いかもしれませんね』
ローレルを失望させたかもしれないと、クルトンは心苦しかった。けれど、虚勢を張るくらいなら支援を取り付けて、魔王国の利になる事をすべきだ。
「あの、ローレル様。なるべく優秀な人をお願いします」
『わかりました。イベリコ中佐が倒された以上、随一の者を送りましょう。そのまま街道沿いにナゼカの地を目指しなさい。道中で接触させます』
佐官軍人を倒した勇者に関しては、魔王国中央情報局の対応が一変する。本来こういった支援要請を行う場合、クルトンは部長クラスに伺いを立てる。しかしリエットは重要案件として扱われ、局長であるローレルと直接やり取りする事となったのだ。
魔王を倒す《奇跡の勇者》である可能性が高まった以上、当然の事といえる。
『左の薬指に紅草で編んだ指輪をしています。青草で編んだ指輪を作り、それを目印として落ち合いなさい。自然に旅仲間へと引き入れるのが、あなたの役目です』
「はい、ローレル様」
そのようなやり取りを重ねており、クルトンはほっと一安心していた。
(いずれ優秀な仲間が、俺の支援に来てくれる)
そう思うだけで、クルトンは心強かった。
しかしその日、森の近くの道中で出会ったのは、紅草で編んだ指輪をした亡骸と、その亡骸を矢で射抜いたらしき一人の弓使いだった。おそらく、弓使いの女は護衛者だろう。
神秘教会の関係者が持つ、数珠の法具をその身に帯びている。
弓使いは帯剣しており、シンプルだが洗練された旅装をしていた。
クルトンは馬車を止め、口をぽかんと開けてしまう。
(いや……いやいやいや……ローレル様はたしか、随一の者を送るって……倒されてますやん……出会う前から、やられてますやん、随一の者…………)
その光景にクルトンは頬をひきつらせた。
巨大な樹々の森の、すぐ近くを通る街道だ。むき出しの地面で舗装もされていない。人馬が雑草を蹴散らし、道となっているに過ぎない場所だった。
リエットが馬車から身を乗り出し、弓使いを見た。
「あなたが殺められたのですか?」
タルタルの引く馬車から降り、リエットが弓使いに話しかけている。短めの赤毛に健康的な褐色の肌をした、目元に鋭い知性を感じさせる女性だった。
リエットとはまた違うタイプの美人だ。
弓使いの美人はリエットに話しかけられ、静かにうなずいた。
「はい。結果的には、そうなるでしょう」
「……と、いうと?」
「こうして足を射抜いて身動きを封じたのですが、この者、どうも服毒したようで」
「服毒? ……ただ事ではありませんわね」
リエットが目を細めて亡骸を見た。三十後半ほどの男性だ。傍らには薬箱らしき大きな荷物が、背負い梯子に括り付けられたまま置いてあった。
「ええ、ただ事はありません。この者、旅商人の体を装ってはいたが、魔王国の手の者でしょう。この荷を見てください、ソタナフマ連合国では手に入らぬ薬物ばかり」
「なぜこれだけで、魔王国の手の者だと判断を?」
弓使いに対して、クルトンは横手から恐る恐る尋ねた。
「薬が揃いすぎている。この者、国境より薬を売りながら来たと言ったが、おかしい。これほど希少な薬なら、途中の町で多少は売りさばき路銀の足しにしたはず」
弓使いは亡骸の傍らで片膝をつきつつ、続けた。
「なにより、この近辺は近頃盗賊の類が出没すると有名になっている。供に護衛一人つけず、これほど貴重な薬品を一人で持ち運ぶなど、普通の旅商人の腕っぷしでは怖くてできない。加えて、歩きの旅商人の分際でいささか小奇麗すぎる。衣服はほどほどに傷んでこそいるが、詰めが甘い。靴の傷み具合が衣服の傷み具合と、まったく釣り合っていない。その上、替えの靴を持っていない。歩きの旅商人なら靴は最低二足持ち、履き替えながら旅するもの。まるで、連絡を受けてすぐ近くの町から商人の格好をして出て来たようだ」
弓使いの推測は見事なもので、クルトンは頷くより他はない。
「なるほど……言われると、そうですね」
「詳しく取り調べようとすると、後ろから斬りかかってきた。そしてほれ、この密書。一見普通の取引帳のようにも見えるが、所々に不審なマークがある。おそらく暗号文だろう。詳しくは分からないが、以前見た事がある。魔王国側の密偵が使うものだ」
そう言って、弓使いはクルトンに台帳を見せた。何から何までご名答だ。
この護衛者は相当な手練れと見て間違いない。
「誰かを待ち伏せしていたようだが、紅草で編んだ指輪とは……えらく子供じみた指輪をしている。なんらかのまじない、と言ったところか」
弓使いは鋭い目でそう締めくくった。
青草の指輪をこっそりと外して、クルトンは自分のポケットにしまった。早急に処分せねばならない。幸い、リエットにも弓使いにも怪しまれていないようだった。
焦るクルトンとは対照的に、リエットは進み出て会釈した。
「わたくしはリエットと申します。ところで、貴女のお名前は?」
リエットが尋ねると、弓使いは襟元を正した。
「これは失礼。名乗りが遅れました。私はグラス。グラス・ド・ヴィアンドと申します。弓を扱い、教会認定勇者の護衛などを主にしております」
その名に、クルトンは引っかかった。
(グラス・ド・ヴィアンド……ん? まてよ、聞いたことがあるぞ。たしか――)
「まあ、あなたが? あの、ヴィアンド様?」
リエットがヴィアンドの手を取った。
『新米勇者の守護神』『赤毛の守り神』と呼ばれる歴戦の護衛者だ。土地勘や世情に詳しく、人脈も広い。勇者の導き手として名を馳せる護衛者の一人だ。
彼女によって窮地を救われた勇者は数知れない。むしろ彼女自身があまりに強すぎて、彼女の庇護が無くなった途端、それまで頼りっぱなしだった勇者たちは試練を自力で乗り越える事が出来ずに次々と自滅していく、と吟遊詩人に謳われるほど。
(……いや、いやいや……)
体の奥底からさーっと冷えて行くのを、クルトンは感じた。ぽかぽかした陽気に眠気すら感じていた、ほんの少し前の気の緩みなど消し飛んでいた。
(いやいやいやいや……ちょっと待って。こっちの戦力を補強して上手い事やるはずだったのに……なぜに、よりにもよってこんなビッグネームが………?)
不運すぎる。
新米勇者は変態で超人だわ、護衛者はトップクラスの猛者だわ、ろくでもない。
(初任務からなんでこんなハードなんだよ……)
クルトンの絶望など知るはずもなく、リエットはヴィアンドに深々と一礼していた。
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