第5話




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 二人のはずが四人になり、四人診ていれば八人と二匹がやってきた。


「癒しの奇跡の使い手が居る」


 という噂が広まったらしく、クルトンがいる宿屋は大盛況となった。


 来るのは貧乏人ばかりだが、それでもまったくの手ぶらでは来ない。色々と物品をもってくる。そう言った物品を宿屋に流し、宿代をまけてもらう約束だ。宿屋の主人の手首の痛みを取り、女将さんのあかぎれを治して予防法を教えると、喜んで承知してくれた。


 リエットもなんだかんだで、クルトンの手伝いをしてくれた。言い出しっぺの衛兵さんにも責任を取ってもらい、受付けをしてもらった。


 クルトンは慣れた手つきで、ぱっぱと病人をさばいて行く。治せるものは治し、癒せるものは癒し、無理なモノは無理と言いつつも、癒しの奇跡で痛みはある程度とっておいた。


「根本的な治療はちゃんとしたお医者様や、教会認定の癒しの使い手さんに診てもらってくださいね」とクルトンは言っておいたが、それでも名医のように感謝された。


 夜も更けて来ると来客もぱたりと止み、クルトンはやっと一息つけた。


「この街にも、お医者様はおられるんですよね?」


 クルトンはそう聞かずにはいられない。

 医者に事欠く片田舎ならともかく、大事故や集団食中毒でも発生しない限り、そこそこの大きさの街でここまで人が押し寄せることは珍しい。


「居る事には居るんですが、今用事で、出払っちまってるんです」


 言い出しっぺの下っ端衛兵がそう答え、続けた。


「教会の方の癒しの使い手様は、もう三日くらい寝てないそうで。クルトンさまが来てくださって、ほんとうに助かりました。これも神様の御導き、ってやつかもしれやせん」

「……しかし、まだ在庫があるから良いのでしょうけれど、早く海のあれを何とかしないと、医薬品の類がまずい事になるのでは?」

「へぇ、そりゃ、そうなんですが……戦うなと、上からお達しがありまして」


 下っ端衛兵は俯きながらそう答えた。

 クルトンは不思議に思えた。


「でもあの海は、あなた方の海なんでしょう?」

「フシギトの決まりでして。『争うくらいなら、剣を持つな。話し合えば分かり合える』ってのが。平和こそ、何よりも一番大切なものでありやすし……」


 少々弱腰にも思える衛兵の態度だが、クルトンはピンときた。


 そういえば、検問所の衛兵も鎧や捕り物棒こそ持っていても、剣や槍の類は身に付けていなかった。クルトンが昼間にリエットと歩き回った時も、街の鍛冶屋も包丁や鎧職人ばかり。リエットが街中で帯剣を許されているのも、おそらく勇者という特例だからなのだろう。


「しかし、平和とは剣のあるなしなのでしょうか? 意志のあるなしではないのですか? 剣を使わぬ事ではなく、剣を持たぬことが、ほんとうの平和なのでしょうか?」


 クルトンがそう尋ねると、衛兵はやや苦しげな顔をした。

 押し黙ってしまう衛兵の肩を持つように、リエットが小さな咳ばらいを一つした。


「クルトン。この地の事は、この地の者が決める事ですわ。あなたではなく」

「……はい。差し出がましい事を申しました。ご無礼を」


 リエットの一言で、クルトンは自分が少し感情的になっていた事に気付いた。


(密偵の分際で、自分は何を思っているのか……)


 と、頭を下げながらクルトンは己の単純さが忌々しく思えた。

 この街にはこの街の事情がある。こういった複雑で長い歴史をもつ物事は、自らの経験や知見が簡単にあてはまるモノでもなく、単純明快なものでもない。


 ただ、弱きものが強きものに成すすべなく脅され、しかもそれを、弱き者が強かさもなく受け入れようとしている――一矢すら報いようとはせずに。

 そう言った事に、じくじくと痛むような苦しさをクルトンは感じたのだ。


「そいじゃ、クルトン様、勇者様。今夜はどうも、ありがとやんした」


 衛兵が礼を述べて宿を去り、自室へ戻ろうとするリエットにクルトンは声をかけた。


「リエット様、この街の現状をなんとかする訳には、いきませんか?」

「この地の者が望むならともかく、そういう訳にはいきませんわ。わたくしの力を使えば、それは火種が燃え上がる事を意味します。我々の一存でそういった火を扱う事は、この地の者へ悪戯に負荷をかける行為でしかありません」


 どうやらリエットはフシギトの問題を素通りするつもりのようだ。


「しかし……」とクルトンは食い下がったが、リエットは頭を振った。


「クルトン。戦うにしろ、戦わぬにしろ、強い覚悟が必要なのです。戦い方も千差万別ですわ。我々はそういったものを尊重せねばなりません」


 リエットの不戦の決意は、どうやら動かしがたいようだ。

 クルトンはそう感じ、心の中で舌打ちした。


(魔王艦隊とリエットがぶつかってくれればと、そう考えていたが……無理か……)


 はてさてどうするかとクルトンは思案しながら、雑魚部屋の一角で毛布に包まった。なにか策を練ろうとするも、予想外に疲れがたまっていたらしく、すぐに寝入ってしまった。


 翌日、クルトンはリエットと共に保存食の買い出しへと出かけた。


 昨夜の患者に港の倉庫で働いている者がおり、うまく話をつけてくれたようで、傷物の魚の乾物を安く譲ってくれることになっていたのだ。

 港に着くと、リエットが首を傾げた。


「あら、クルトン。あれは、なんでしょうか?」


 リエットの視線を辿るまでもなく、騒ぎはクルトンの耳にも届いていた。

 倉庫の前に人だかりが出来ている。


 どうもケンカらしい。


 クルトンが近づいてみると、普通の喧嘩ではなかった。


 見物人の輪の中心で、魔王艦隊の船乗りらしき数名の男たちに、小さな女の子が挑みかかっていた。女の子は棒きれを振り回して船乗りを懲らしめようとしていたが、重い棒きれに振り回されて、べちゃっと転んでしまう。膝を擦りむき、それでも自分よりずっと身体も大きく数も多い船乗り達へと、女の子は棒きれを構えなおして挑みかかろうとしていた。


 そんな小さな女の子目掛けて、魔王艦隊の船乗りたちが囃し立てている。


「どうしたんだ、お嬢ちゃん! 勇者さまなんだろう?」

「ほらほら、それじゃぁ悪い悪い俺達を倒せないぜぇ? 船もずっとあのまんまだ」

「や、やめないか君たち! そんな小さな子供相手に! 大人だろう!?」


 見て居られない。と、見物人の中から誰ともなく声が上がった。

 すると、魔王艦隊の船乗りたちが血相を変えた。


「あんだぁ? このお嬢ちゃんはガキじゃねぇ! むしろ立派だぜ!」


 口調と表情をがらりと変え、魔王艦隊の船乗りは鋭く噛み付いた。


「はなから戦おうって気のねぇお前ら大人より、自分の街から出てけって棒きれ一つで俺達に喧嘩を吹っ掛けてきたこのお嬢ちゃんの方が、よっぽど大人ってもんだ!!」


 船乗りが啖呵を切ると、見物人は気まずそうに目を逸らした。

 現物人のその様子を見て、船乗り達の目は軽蔑の色に染まった。


「けっ。けったくその悪い街だぜ。……おいてめぇら、遊びは終わりだ!」

「おうよ、船に戻ろう。くだらねぇ」

「まともなケンカ一つ出来やしねぇんだから!」


 そう吐き捨てると、魔王艦隊の船乗りたちは去って行った。

 見物人たちも、うなだれながら散っていく。


 何事もないようで良かったと、クルトンが胸をなでおろしたその時だった。


 からんと音がする。ほっとした拍子に力が抜けたのだろう。棒きれを手放してへたり込んだ幼女を、すっと近づいたリエットが優しく介抱した。

 やっと恐怖を思い出したように、幼女の身体はふるふると震えていた。


「大丈夫ですか? クルトン、彼女の擦り傷を治してあげられますか?」

「はい、リエット様」


 クルトンはすぐさま手をかざし、癒しの魔法で幼女の傷を癒やした。

 その幼女にクルトンは見覚えがあった。

 似顔絵を書いてあげた、あの女の子だ。


 リエットが幼女へと、首を傾げて問いかけている。


「どうして、このような危ない真似をしたのです?」

「魔王の船がいなくなったら、じぃじのイタイイタイもなおるって言ってた。お医者さんがそういってたんだもん。はやくしないと、じいじがぁ……教会の人はゆーしゃさまが来てなんとかしてくれるって、でもぜんぜん来ないんだもん……」


 五つにも満たぬ幼い女の子は、そう言って目を潤ませた。

 こうして港が封鎖されれば、入って来る薬も限られてくるだろう。持病を抱える者には切実な、時には命にかかわる事でもあるのだ。


「だから、あなたが勇者の代わりに、戦おうとしたのですね?」

「…………」


 リエットが優しく微笑みかけると、幼女はぐっと頷いた。


「決まりましたわね、クルトン」


 リエットは髪紐を取り出し、自らの髪をきゅっと束ねた。

 あの魔王艦隊と戦うつもりになったらしい。


「義を見てせざるは勇無きなり。勇無くしては勇者にあらず。小さな勇者さんがこうして先陣を切ったのですから、奇跡を宿した勇者の一人として、見過ごせませんわ」

「この地の者たちが望まぬなら火種は燃え上がらせない、のでは? リエット様?」

「あら、クルトン。この小さい勇者さんも、列記としたこの街の住人ですわよ」

「……はい。リエット様」


 クルトンは微笑みながら頷いた。

 リエットは片膝をつき、幼女へと手を差し伸べて抱き起こしている。


「さぁ、小さな勇者さん、目をおふきなさい。哀しみと涙ではなく、幸せと笑顔が似合ってこそ、淑女というもの。泣いてばかりでは、立派なメス豚になれませんわよ」

(年端もいかない子供になんて言葉をさらっと吹き込むんだこのメス豚は……)


 クルトンの頬は引きつった。

 だが、幼女の反応は違う。


「はい……リエットさまぁ」


 ずずっと鼻水をすすり、幼女はぐっと涙をこらえていた。


(ま、まあ、結果は上々、と言った所か)


 クルトンはそう思った。


 艦隊には陸戦部隊がいるはずだ。その陸戦部隊の指揮官は魔王軍の佐官クラス。魔法の使い手で、一騎当千の力を持つ。必ずやリエットを粉砕してくれるだろう。

 クルトンにとっては喜ばしい事だが、その反面、心苦しくもある。


 幼女に「隠れててね」と指示し、クルトンはリエットの後を追った。


 港に接舷していた魔王軍艦船の一つに、リエットは変わらぬ足取りで乗り込んでいく。食事の前に少し体を動かしてお腹を空かせておきましょうか、という具合だ。水や食料などを船内に運び込んでいた兵士たちは、リエットを制止する事すらできなかった。


「話し合いに来ましたわ」

「話し合い?」

「とても大切な用件なのです。艦隊指揮官にお取次ぎ願えますかしら?」


 リエットは単刀直入、近くにいた兵士の一人へと話しかけた。

 兵士が怪訝な顔をして、リエットの顔をまじまじと見ている。


「取次って、お嬢さん。いったい、どういった用件だ?」

「いますぐこの湾内から艦隊ごと出ておいきなさい。そうすれば、そちら側の船は無傷で返してさしあげましょう。当然、兵士たちも船員も傷つくことはありません、と」


 リエットがそう言うと、船上はしんとした。


 兵士たちがぽかんとしたのも束の間、すぐさま船全体が笑い声に包まれた。

 屈強な漢どもで溢れる船上に、可憐な乙女がたった一人。剣一本に軽装鎧のいで立ちで、どう見ても弱そうな従者を一人引き連れるのみ。さらには、喧嘩を売るに等しい文言をしごく穏やかな声音で告げたのだから、たまらない。


 どんなピエロよりも滑稽だった。


「なんだなんだぁ!? こいつは傑作の旅芸人らしいぞ!」

「はははっ、久方ぶりに面白ぇ、おもしれぇな!」


 手を叩いてそう囃し立てる兵士たちの中から、一際大柄で乱暴そうな兵士が進み出た。そしてリエットの前に立ち、ぎろりとした目で見下ろした、


「おい、お嬢ちゃん、はったおすぞ! 痛ぇ目みねぇ内に、とっとと帰ぇりごがっ!?」


 乱暴にリエットの肩へと手を掛けたその兵士が、言葉を途切れさせて虚空を舞った。船の外へと姿を消し、どぼんっと大きな水の音がする。ばしゃばしゃと水面を叩く音と、助けを呼ぶ声が聞こえてきた。嘲り笑っていた兵士たちが押し黙る。


 その顔色が一斉に変わっていた。

 剣呑な空気のど真ん中で、リエットは涼しい顔で肩を払っている。


「まったく、なっていませんわね。ただ大声で威嚇するだけなら、獣の方がずっと上手にできますわ。聞く者の心を格調高く抉っていくような言葉は扱えませんの? 殿方が淑女をただ腕力で扱おうなどと……教養の浅さを露呈してしまいますわよ」


 どこまでも穏やかなリエットのその声音は、張り詰めた空気の中では、まぎれもない挑発して作用する。沸騰せんばかりに、兵士たちがいきり立ってリエットを取り囲んだ。


「この女っ!!」「油断するな、なかなかやるぞ!」「構わねぇ、たたんじめぇ!」

「あらあら、この船には教養の足らない殿方が多いようですわね」


 リエットは帯剣ベルトを外し、鞘付きのまま剣を構えた。


 屈強な兵士たちが次々と素手で襲い掛かるも、まるで相手にならない。打ち据えられ、叩き飛ばされ、足を引っかけられ、次々と船外へ放り出されて水飛沫をあげていた。


 クルトンは驚嘆した。

 リエットの身のこなしは流れるようだ。後ろに目がついて居なければ出来ない動きを繰り返している。奇跡の力だろう。屈強な男を容易く投げ飛ばしていた。


 大乱闘の中心から一歩も動かず、リエットはかすり傷一つ負っていない。

 樽の合間に隠れ、クルトンは乱闘の余波をやり過ごさねばならなかった。


「――下がれ! お前たちの手に負える相手ではない!」


 一喝が船上に轟いた。つい先ほどまで荒々しく肩を怒らせていた兵士たちは、その一喝に大人しく従っている。クルトンが見ると、船尾に巨漢の軍服姿が現れていた。


「中佐殿!」「みんな、中佐がいらっしゃったぞ!」「よし、海に落ちた連中を助けるぞ」


 リエットの処分を、兵士たちは巨漢に委ねたらしい。

 兵士たちが素早くリエットから離れていく。


 間違いない、とクルトンは思った。口髭の巨漢は、魔王軍の佐官軍人だ。泰然と腕を組み、佐官軍人はリエットを見下ろしている。

 クルトンが見る限り、かなりの猛者のようだ。


 魔王軍の中でも、左官クラスの軍人はその実力が突出している。たった一人で戦局すら変えかねない、と言わしめるほどの魔法の使い手たちなのだ。


 イノシシに似た巨漢はぐいっと一歩前に踏み出し、厚い胸板を大きく反らした。


「貴様がソタナフマのインチキ教会がみとめたという、勇者だな? ありがたく思うがいい。『極寒の焼き豚』と恐れられる、魔王国南方面艦隊第160陸戦連隊第一大隊隊長、このイベリコが直々に出向いてやったのだからな……」


 イベリコ中佐の名乗りは自身に満ち溢れていた。


(イベリコ?)


 その名を聞いて、クルトンはぴんときた。


(イベリコという名前、それに、あの洒落た髭と、口から大きく飛び出した牙、猪人族特有の巨体と大きな鼻、そして『極寒の焼き豚』の異名を持つと言えば――)


 怖い奥さんに尻に敷かれ、昼食代や散髪代もロクにだしてもらえず、奥さんは日々高級料理店でランチ、月に最低一回は主婦仲間で温泉旅行。少ないお小遣いから部下の飲み代を工面するため昼食を抜きにし、体重が激減。それを不憫に思った部下の女性が手作り弁当を差し入れし、それがきっかけでぐんぐんと急接近。とうとう酒の勢いも手伝って肉体関係をもち、それが奥さんにバレて絶賛離婚裁判中の――


(あの、イベリコ様かっ!)


 クルトンは思い至り、気付いた。


〈そうか、泥沼離婚裁判でのフラストレーションを全てこの戦いにぶつける気だな? これはリエットといえど、ひとたまりも無いはず……)


 リエット撃破への期待は高まり、クルトンはぐっと手を握った。



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