第3話




     3



 次の日、クルトンは約束通りリエットと合流した。


「おそいですわね、フォンデュ……」


 坑道前の開けた場所でリエットは首を傾げていた。

 長い髪は結わえてある。


 もうすぐ朝とは言えなくなる時刻だ。樹々を騒めかせる風の冷たさも弱まっている。リエットは武具の点検を済ませ、クルトンも自身の装備を確認した。


 ランプ油の残量、煙幕玉や医薬品、有毒ガス探知の鳥籠、そして匂い袋。

 準備は万端だ。昨日のうちに、すべて取り揃えておいた。


「変ですわ」


 リエットはそう眉をくねらせつつ、綺麗なあごに指を当てている。


「こういう集合の時には、フォンデュなら、一番早く来ているはずですのに」

「なにか事情があるのでしょう。先に坑道の様子見をしておきませんか?」


 クルトンが白々しくもそう言うと、リエットは少し迷った後に頷いた。


「そうですわね、クルトン。そうしましょう」


 そう言うなり、リエットは坑道の入口へと歩を進めた。

 クルトンも荷物を背負い、後に続く。


 行動の入り口をくぐると、内壁はしっとりとしていた。

 坑道は真横に長く広く、掘られているようだった。


 ところどころに上穴が開いていて、そこから陽光が差し込んでいた。光と闇が混在し、光に引き寄せられるように、上穴の下には植物などが花を咲かせている。


 坑道にしてはとても明るく、彩り豊かだった。


「ランプは必要ないみたいですね。貸してください、リエット様」


 先導するリエットの横に並び、クルトンは申し出た。


「私が持っておきます」

「ええ、お願いします、クルトン。片手が塞がらない分、ありがたいですわ」


 リエットを先頭に進んで行くと、すぐに不穏なものが見つかった。


(これは……やはりそうか)


 クルトンはそれを見て、確信を持った。

 坑道を支える柱が一本、真っ二つにへし折れている。返り討ちにあった猟師のものと思われる弓と矢が、付近に残骸となって転がっていた。岩の壁に抉られたような跡がある。


「……この壁の傷は、爪痕……? 岩をまるでバターのように……」


 野生生物だと思っていたリエットが、怪訝な顔をしていた。

 当然だ。どんな大きな熊でも、こんな真似は出来ない。


 クルトンは柱に挟まっていた剛毛と鱗を拾い上げ、リエットへと示した。


「リエット様、これを」

「これは……毛? それに、鱗?」


 リエットが眉間にしわを寄せて、これは何かとクルトンの目を見てくる。

 クルトンはリエットの目をまっすぐに見つめ返した。


「はい、リエット様。おそらく、普通の猛獣の類ではありません」

「クルトンは心当たりがあるのですね? この正体に」


 クルトンは頷いた。


 野生動物のものではない。それより一段上の存在。村の依頼書にあった情報は、それなりに正確だったようだ。通話呪符を使い、魔王国の密偵網から得た情報通り。


「見た目は熊に近いですが、おそらくフォリオタ……魔物です。精神を惑わしたり、毒や火を操る事はありませんが、その分、毛と鱗に覆われた強大な肉体を持っています。下手な小細工が通じる相手ではありません。とにかく、魔物の間合いに入るときはご注意を」


 ちゃんとした助言をクルトンは与えたが、リエットを利する事は無い。その程度の助言で何とかなるほど、あまっちょろい魔物ではないのだ。


 少し進むと、開けた場所に出た。

 採掘によってではなく、自然に出来た場所らしい。壁にツルハシやノミが使われた形跡がなく、つらら石が見えた。光の柱が、上穴から何本も伸びている。


 光の柱に寄り添うように、白い花が咲いていた。

 クルトンの持つ小籠の中の小鳥が、激しく鳴きはじめる。


 ガス漏れではない。ガス漏れなら小鳥は鳴く元気すらない。これは、凶悪な気配を感じ取って逃げようとしている時の、仲間の小鳥への警告の鳴き声だ。


(きたな……)


 クルトンがそう思うと、まず音が聞こえた。

 ずしりとした音だ。


 あまりに重く、それが足音だと認識するのに、少し時間がかかってしまう程だった。

 奥で巨大な岩が蠢いている。そう思わせたそれが、魔物フォリオタだった。クルトンが身構えてリエットに呼びかけるも、リエットはすでに剣を引き抜いていた。


 その刀身が洞穴の光を鋭く照り返している。

 リエットは剣を両手で構えていた。


「クルトン、下がって居てください」


 リエットの声は重い。


「あなたを庇う余裕は無いかもしれません」


 野盗相手の時とはリエットの目つきが違うと、クルトンは思った。


(さすが勇者……)


 魔物の実力を瞬時に見抜いたようだった。


 ――グオオオオオオオオオッ――――


 魔物が咆哮と共に四足歩行で突っ込んでくる。びりびりと空気が震えている。重い足音は一歩ごとに岩の塊でも落下しているのかと思う程だ。


 洞窟内部がぐらりと揺れる感覚がして、クルトンはごくりと息を呑んだ。


 リエットと魔物の戦意が、ばちりと交差したのだろう。

 リエットは身体にうっすらと光のベールを纏った。奇跡の力、そのオーラだ。おそらく肉体強化だろう。魔物の突進を薄皮一枚で避け、すれ違いざまに一太刀見舞った。


 金属がかち合うような音がする。

 魔物がリエットの一撃を爪で防いだのだ。


 四足歩行から二足歩行へと移り、魔物は起き上がって手を振り回した。上から下に向けて振り下ろされる両の腕は、普通の人間ならかすっただけで即死するだろう。


 リエットはそれを全て受け流し、間合いを見事に外していた。絶妙の間合いで魔物の一撃を剣で受けてしまうと、剣ごと身体が持っていかれると直感しているようだった。


 舞い散った白い花々が、光の柱を飾っていく。

 巨体と重音に反比例し、魔物の身のこなしは軽やかだった。リエットは徐々に壁際へと追いつめられて行き、魔物に対して反撃する事もままならない。


 とうとう間合いを外す事に失敗し、魔物の一撃を受け流せはしたものの、剣を弾き飛ばされてしまった。魔物はもう片方の手を振り上げ、無手のリエットに対処する術はない。


(よしっ――)


 勝負ありだと、クルトンは懐に手をやった。リエットを死なせるつもりはない。魔物フォリオタを誘導する術は、すでに用意してある。リエットが勇者の旅を続けることを断念する程度に傷を負うまで待ち、そこでリエットの助けに入る算段だった。


 だがその時、振り上げられていた魔物の片手を何かが貫いた。

 それは投槍だった。


 魔物が苦しげに悲鳴を上げ、槍を引き抜こうとしているが、なかなか引き抜けない。その投槍の穂は細長く、突き刺さった衝撃で折れ曲がっていたのだ。


「遅れてすまない、二人とも! 加勢する!」


 槍を投げたのは誰あろう、フォンデュだった。

 リエットと同じく軽装鎧を身に付け、堂々と槍を構えて戦線に加わる。


 ヒーローは遅れてくるものと言わんばかりの登場だ。


 フォンデュの雄姿は、クルトンですらかっこいいと思うほど。

 絶好のタイミングで駆けつけたフォンデュへと、剣を拾い上げたリエットは信頼に満ちた眼差しを向けたが、リエットの表情はすぐさま凍り付いた。


 遅れてきたヒーローの、遅れてきた理由がくっきりと刻まれていたのだ。光の柱がフォンデュの首元を照らし、よからぬものを目立たせている。


「ふぉ、フォンデュ……?」


 リエットは人差し指をぷるぷると震わせつつ、フォンデュを指差した。


「そ、その、首のマークは……なんですの……?」


 リエットにそう問われ、フォンデュはぽかんとしたのち、首元に手を当てた。


 フォンデュの首にはキスマークがあったのだ。

 フォンデュ自身も首は見えないながらも、手を当ててそのマークが一体何か、なぜリエットが声を震わせているのか気づき、脂汗を浮かばせている。


「へ? い、いや、これはっ。これは、そ、そそっ、その……」


 フォンデュはどもりながら、クルトンに助け船を求めるように目線を投げてくる。

 当然、クルトンは気まずげに目をそらした。もちろん、確信犯だった。


「クルトンっ、ねぇ? これは、これはそのっ――ふぎゃ!?」


 しどろもどろになったフォンデュは、フォリオタに叩き飛ばされて気絶した。

 ぐったりと壁際で伸びているフォンデュの元へと、クルトンは駆け付けた。


「撤退しましょう! リエットさま!」


 フォンデュを担ぎ上げ、クルトンはそう言った。

 辛うじて防戦していたリエットが退くのをみて、クルトンは煙幕玉を投げた。音と光がまきちり、魔物をひるませ、煙幕が壁を作って追撃を封じる。


 クルトンが特別に調合した、魔物フォリオタが苦手とする臭いを放つ煙幕だ。


 リエットを先頭に、クルトンは懸命に走った。

 クルトンは背後が気になって仕方なかったが、フォリオタの気配を感じつつも、振り返ることはなかった。遠くに出口が見え、リエットが指し示す。


「出口ですわ、クルトン、急いで!」


 クルトンは息を切らしながら、リエットに続いて坑道の入り口から飛び出した。


「はぁ、はぁ、はぁっ……な、なんとか逃げ切れたみたいですね」


 クルトンは坑道の入り口を見つめ、額の汗を拭いた。

 そうしてリエットの視線を見計らい、フォンデュを背中から下す。


 フォンデュの懐から偶然に滑り落ちた――かのように見せ、クルトンが名刺をぽとっと落とした。いかがわしいお店と一目でわかる名刺には、女性の名と刺激的なイラストがあった。

 フォンデュを介助しようと近づいたリエットの目が、釘付けになっている。


「こ、これは……クルトン!?」


 名刺を拾い上げたリエットが、手をわなわなと震わせている。


「事情を知っていますね? これはどういう事なのですっ」


 リエットに詰め寄られ、クルトンは両手を挙げて降参した。


「じ、実は昨夜、フォンデュ様が大変酔っぱらって。その、そういったお店を探して、連れて行けと……。と、止めたり、いさめたりはしたんですけど……」


 外面は心から気まずそうに、内心は微笑みながらクルトンはそう言った。

 密偵としての役目を遂行する、そのチャンスが今だった。


「……そんな……」


 リエットは愕然として、地面を見つめている。

 クルトンはさも申し訳ない顔をして、頭を下げた。


「……すいません、リエット様」

「ずっと、心を通じ合わせてきたと、そう思って。運命で結ばれた、唯一無二の出会いだと……結婚まで操を守ると、互いに、神に懸けて誓い合ったというのに……」


 呆然とするリエットの背後から、重い響きが聞こえてきた。


「リエット様、フォリオタです! 剣を取って!」


 クルトンはリエットに戦うように促した。

 迫る危機の音に、しかしリエットの反応は鈍い。


 坑道の入り口から、強大な魔物フォリオタがぬっと現れた。クルトンの身に付けていた匂い袋はこの魔物を引き寄せるためのものだ。クルトンの呼びかけにリエットは応戦せねばと、よろよろと剣を構えたが、もはやその姿に先ほどまでの覇気は無かった。


 奇跡の力は精神状態に強く左右される。心を砕かれれば、いかに強力な奇跡の使い手といえども、牙や爪を抜かれた野獣に等しい。


 勝負あったとクルトンは内心でほくそ笑んだ。

 すべて計画通りだった。


(愚かな小娘よ……結婚を誓い合った? 運命で結ばれた? 互いの心が通じ合う唯一無二の存在? 甘いな。十代の男など性欲の塊。手もつながせてくれない小娘より、下半身を満足させるセクシーなお姉さんに出会えば、簡単に転ぶもの……)


 旅立ったばかりの勇者に強敵をあてがい、さらには仲間を戦線離脱させ、ついでに強敵との戦いの最中に心をへし折るという、血も涙も無い三段構え。

 数段構えで策を張っていく。勇者とその仲間との不信をあおる。養成学校で教えられた、高名な密偵「勇者潰しのフォン・ド・ボー」の手口だ。


 ――グオオオアアアアアアアアッ――――


 フォリオタがリエットを睨みつけながら、吼えた。


 先程の坑道内での一戦で、リエットを完全に敵と認識しているようだった。リエットの眼前で立ち上がり、フォリオタは大きな腕を振り上げている。

 もはやリエットの運命は、風前の灯であった。


(勇者の卵風情にここまで非情に徹するのは心が痛むが……これは単独での初任務。なによりローレル様から頂いた役目である以上、手加減はしない。貴様には悪いが、万全を期させてもらったぞ、リエット。さあ、この魔物の前に、なすすべなく砕け散るが良い!!)


 クルトンの心の声の通り、成す術なく砕け散った。

 たったの一撃で。

 リエットに襲い掛かった魔物の方が、轟音に裂かれ、跡形も無く消し飛んだ。


「………………………………え? あ、あれ?」


 クルトンは困惑した。


 まぎれもなく、リエットの奇跡の力によるものだった。風を操ったのか、爆発を起こしたのか、念動系の奇跡か、それとも防御系の奇跡だったのか、その判別すらつかない。

 それほど鮮やかで一瞬の出来事であった。


 リエットの踏み込みが強すぎたのだろう。地面を穿つような足跡がある。


(き、奇跡の力は精神状態に強く作用される……はずじゃ……?)


 クルトンのその疑問への返答なのか、リエットが喉を鳴らして笑っていた。


「ね、寝取られたのですわね……将来を誓い合った婚約者を。無残にも、不様にも。こ、この貴族の生まれである高貴なるわたくしが、売女風情にっ……ふふふっ」

「!? っ!?!?!」


 意味が分からずクルトンは立ち尽くした。


 先ほどまでリエットの敗北を確信し、匂い袋をあさっての方向に投げて魔物の注意を引き、せめてリエットとフォンデュの命は助けよう。癒しの魔法の使い手である自分ならば、骨折の一つや二つは何とかなる。なにも命まで取らずとも、魔王討伐の旅の恐ろしさがリエットの口伝いに広まり、ソタナフマ側への良い宣伝になるだろう。

 などと、クルトンは考えていたのだ。


 それなのに……形勢が一瞬でひっくりかえってしまった。

 うつむけていた顔を上げ、リエットは自らの肩を抱きしめて身をよじっている。


「た、たまらないですわ……これが、寝取られ……魂を屈辱と憤怒に焼き焦がされ、爪先から髪の先までが嫌悪に犯しつくされ、やり場のない圧迫感に心をねじり潰されてゆくような、この感覚っっっ……なんという裏切り。あぁ良い、ですわ……すごく、良い……」


 熱いまなざしを虚空に向け、リエットは恍惚の表情で荒い呼吸をしている。

 口の端からヨダレまで垂らしていた。


「むふっ、むぐふふふっ……」


 精神的にダメージを負いすぎて、おかしくなった――という感じではない。

 心の底から喜んでいるらしい。


 なにはともあれ、リエットに関する情報が二つ増えた。


(…………えっ、なっ、ん? ちょ、んんっ!? こ、こここっ……この女勇者、滅茶苦茶だ。滅茶苦茶、強いっ。そして何より―――)

「これが正真正銘の寝取られ……ふふっ、うふふふっ」

(へっ、へへへ、変態だぁあああああああああああああああ!?)


 クルトン渾身の三段構えの策略は、リエットの変態性の前に砕け散った。


「ぐふっ、ひふふふっ、……ふふっ、ふっ……はぁ、はぁ……ふぅ……」


 ひとしきり興奮を噛み締めたらしいリエットは、そう言って息を整えた。

 口元を拭く冷静さくらいは取り戻したらしい。


 クルトンへとくるりと向き直ったリエットの表情は、いつもの淑やかな顔立ちだ。雅で高貴なたたずまい。つい先ほどまで、涎を垂らして笑っていたとは思えない。


(……女の人のこういうトコ、ほんと怖い……)

 自身も面従腹背の密偵のくせに、クルトンは真剣にそう思った。


「り、リエット? ……ああ、よかった、魔物は倒せたんだね。無事で本当によか――」


 目覚めたフォンデュが起き上がり、リエットに近寄ろうとした。

 リエットを気遣うような表情と声音だった。


 しかしリエットは剣の切っ先を向けて、フォンデュを制した。リエットの瞳は鋭い。味方や婚約者への眼差しではなく、敵に対するものであった。


「リエット様、落ち着いてください!」


 フォンデュを殺しかねない気配を感じ、クルトンが声を上げると、リエットは剣先を降ろして背を向けた。フォンデュとは目も合わせたくないと、鞘に剣を仕舞っている。

 木の葉を囁かせる風が、険悪な空気を緩めようとしてか、するすると通り抜けていく。心を落ち着かせる樹木の匂いも運んでくるが、役には立たない。


 強大な魔物を倒したと言うのに、達成感など一欠けらも無い雰囲気だった。信頼関係は一度崩れれば終わり。許しや贖罪は幸運の産物であって、原則ではない。

 おそらくフォンデュは旅路から外れる事になるだろう。


(いやいや、待てよ)


 クルトンはふと考えた。

 この下半身の緩いフォンデュを仲間に引き留めておけば、その内、また最悪の事態を引き起こせるのではないか? リエットのパーティーに災いの種となるはず……


 と、クルトンは一歩踏み出した。


「あの、リエット様。差し出がまし――」

「失せなさい、フォンデュ」


 フォンデュを庇おうかとクルトンは口を開きかけたが、リエットは優しさとだらしなさを履き違えるような女では無かった。


「めざわりです」


 リエットの口調は凍えている。


「そんな、リエット。違うんだ、話を聞いてくれ!」


 フォンデュは弁明しようとしたが、リエットはにべもない。


「クルトンから事情はすでに聴いています。一度寝取られてしまった男に、もう価値はありませんわ。次寝取られてしまったとしても、もう、あのような興奮は起こせない。なぜならあなたは、その興奮を感じさせるほどの信頼を、私に与える事ができないのですから。……あなたはもう人として、底が知れていますの。そんな男に興味はありませんわ」

「ち、違うんだ、リエット。許してくれ!」

「世の中には許される間違いと許されぬ間違いがあります。酒におぼれ不貞を犯し、大切な戦力でありながら魔物討伐に遅刻した。わたくしとクルトンの命すら脅かす行為です」


 リエットの口ぶりは淡々としていた。

 フォンデュはそんなリエットの足元へと、すがりつた。


「酔っていて……ほ、ほんの気の迷いだったんだよ!」

「失せなさい。もうあなたは、仲間でも、婚約者でもありません」


 言葉の冷たさはそれ以上弁明する事も、追いすがる事も許さない。地面にへたり込む元婚約者に背を向けたまま、リエットは静かに歩き出した。


 クルトンはリエットに追いつき何か声を掛けようとしたが、言葉が出なかった。

 ぐっと口元を引き結び、リエットは目をつむっていた。

 目の端から落ちそうになる雫を、賢明に堪えているようだった。


(口ではああ強がっても、やはり辛いか……)


 クルトンは自らの胸の痛みをこらえた。


 まだ二十歳にも満たぬ小娘なのだ。

 いかに世界の命運を背負い、神から奇跡の力を得た勇者候補とはいえ、旅立ったばかりで最も信頼のおける婚約者に裏切りを受ければ、当然だろう。


(任務とはいえ、俺はなんて残酷なこ――)

「くっ。でも同じ男を何度も寝取られるというのも、それはそれで良いプレイになるかもしれませんわね。お、惜しい事をしましたわ。……ああ、引き返してヨリを戻した方がいいかしら? いえいえ、リエット。もっと良くお考えなさい。目先の快楽にとらわれていては、より大きな幸せを逃しますわよ。お父様もそう言っていましたわ」


 リエットは何やら呟いていた。


 クルトンは痛めていた良心を横に置き、思い直した。

 間違いない。この女勇者は――


(…………筋金入りの、ド変態マゾ勇者だ………………)


 ドン引きしながらクルトンは確信した。


 こうして婚約者フォンデュは失意の内に故郷へ戻り、クルトンは女勇者リエットへ取り入る事に一応は成功し、魔王討伐への旅が始まる事となった。






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