某海祭(9)
慌てて教室に入ったときには、すでにホームルームが始まっていた。
「監督最大の保佐人、大遅刻ね」
浅田先生が私を茶化し、どっと笑いが広がった。美薗ちゃんと私は、目を合わせ、お互いこそばゆい気分でうつむいた。
先生が劇を絶賛したことが、みんなの気分を盛り上げていたようだった。クラスに達成感からくる清々しい雰囲気が満ちて、ホームルーム終わりのチャイムが鳴り、望海祭が終わった。私の心は、このムードに身をゆだねていいか疑念があったのだが。ゾーヤさんに会わなければ。気分にわだかまりが残るのは、すべてそのせいだ。
「唯奈ちゃん、すごく寂しそうだったよ」
唯奈からスマホにたくさんのメッセージが届いていることには気づいていたので、私はホームルーム終了と同時に彼女に返信していた。今、校門の外あたりで待っているらしい。
「澄香とあんまり一緒にいられなかったって、寂しそうにしていたよ」
唯奈の拗ねた顔を想像する。かわいかった。しかし劇のことで美薗ちゃんとも話をしたかったので、私は二人で東京に帰っていく唯奈を見送ろうと提案したけれど、彼女は首を振った。
「私、次の小説を書いてから帰ることにする。文芸部のパソコン、使えるし」
彼女の口調から、強い熱意を感じた。初めて公の場に出た彼女の作品は、大成功を収めた。そのことで彼女は自信をもって、勢いづいているのだろう。彼女を褒めたたえたかった。
「じゃあ少しだけ話していこう」
私の提案に彼女はうなずいた。
「うん。――今日はやり遂げたね。お疲れ様」
「みんなが頑張ってくれたおかげで、うまくいったね。もちろん澄香も」
「私は何もできなかったよ」
「背中を押してくれた」
「本番前にちょろっと話しただけじゃん。あんなの、誰にでもできるよ」
「澄香に言われたから、私はあそこで逃げ出さなかったんだよ。今日だけじゃない、私は毎日、本番が怖くて怖くて仕方なかったんだよ? 澄香がいなかったら私は、投げ出していたかもしれない」
「ありがとう……」
おかしい、なぜ私が感謝の言葉を述べているのだろう。そこで私ははっとして、自分は彼女を褒めたいのではないと気づく。このような話の展開を期待して、わざと卑屈になってみせた自分が恥ずかしくなる。
「ごめんね」
つい口に出してしまう。
「どうして」
「なんていうか、私すごく自分勝手なのかもしれないなって思って」
美薗ちゃんは眉をしかめる。
「どうしたのよ」
「美薗ちゃん私はね、このクラスの皆を、私の言いように解釈して、自分が気持ちいいように受け取ってたんだと思うんだ。みんながまとまっている。そう、私が感じる。それに私が、少しでも介入できたことに、自分で喜びを覚えているだけなんだよ」
「澄香がそう思うとしても、それは事実だよ。みんながまとまったのは、まぎれもない事実じゃん。それを、澄香が支えてくれた部分もあるし、もちろん私もそう思ってるよ」
「でも、でも私は、自分勝手に悦に入ってるんだよ。みんなが嬉しいことは、みんなで喜ばなきゃいけない。でも私は、その熱気を、まるで一人の世界でもてあそんでいるみたい」
手のひらに爪の痕ができていて、知らない間に握りこぶしを強く作っていたのだと気づく。
「あなたが純粋で、純粋すぎて眩しいくらいだよ」
私は彼女のもったいぶった口ぶりに焦らされた。けれど、ごく自然に、毎日の挨拶を交わすような調子で彼女は、
「みんななんていう生き物はいないよ?」
そう言って笑った。
「じゃあ、私行くね。唯奈ちゃんにもよろしく!」
美薗ちゃんは素早く支度を整えて教室を出ていった。クラスには、おおごとを成し遂げた余韻に浸りながら、名残惜しく、そのまま居残っている生徒がまだ十人ほど残っていた。私は美薗ちゃんの言葉の意味を考えた。理解はできるが、しばらくたってもピンとこなかった。自分勝手に生きろということなのだろうか。みんなそういう風に考えて、こうして劇を成功させたのだろうか。
私は今日を振り返る。劇を見回ったグループ。劇を完成させたクラスのみんな。人が集まったとき、その全体という雰囲気が産みだされる。それが個に影響をもたらす。そう考えていいのではないか。それを認めないことには社会は成り立たないはずだ。そう思い、私は私なりにその雰囲気をつかみ、それに尽くすよう努めてきた。そうすれば、仲間ができた。
今の私に、この問いの答えが出せそうもない。そう、私は唯奈を待たせているのだった。早く会いに行かなければ。
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