望海祭(5)
私たちを代表して、演者たちが深々と頭を下げる。拍手が向けられていた。体育館の広さの中で、その音はさほど響かなかったかもしれない。そんなことを冷静に判断できるほど、私は冷静ではいられなかった。私は人生で初めて褒めたたえられたような顔をする美薗ちゃんと抱き合った。
「ありがとう、ありがとう」
「美薗ちゃん、私は何もしてないよ」
「でも、ありがとう」
笑いながらも涙をこらえられない、といった調子で、彼女は私の肩に寄りついていた。非常に愛らしくて、私はもう一度腕に力を込めた。
「久世君、かっこよかった。ホントによかったよ」
美薗ちゃんが無意識なのか分からないが、久世君に声を掛ける。彼は照れくさそうに頭を掻き、
「待ってるから」
と言う。美薗ちゃんは雰囲気に流されてしまわないだろうか。などと考えていた。
拍手が終わり、温かな高揚感の中で、美薗ちゃんが演者のみんなにねぎらいの言葉をかけた。一人ひとりに、丁寧に話していく。
「午後も頑張ろう」
緊張の色が抜け、自然と笑っている美薗ちゃんに、女の私も見とれてしまう。何かを成し遂げた人の、堂々たる顔つきの美しさに、男女の隔てはないと思った。私はどんな顔をしているんだろう。安堵とやさしさを、表面いっぱいに称える海のようであればいいと思った。ふと気になって、舞台裏から海の方向を見てみる。校舎に隠れて見えないが、そこに確かに感じるそれを、私は好きだ。屋上から、すぐにでも海にお礼を言いたい。こんなに素敵な、拍手をくれる人たち、劇を作り上げたみんな、そして私を、包み込んでくれていた海に感謝したくなった。観客が満足げに帰っていく――海のあるほうへ。母親も、すっかりこの町になじんだ。怜美先輩と唯奈は、翔太君を連れて、にぎやかに話し合いながら体育館を出ていく――。
演者たちもいったん解散となり、昼食を取りに飲食ブースへと向かう人の列ができた。くつろいだ様子。緊張した面持ちの久世君、それに少し遅れて、美薗ちゃん。
やがて体育館に私一人残される。少なくとも唯奈あたりが私を呼びに来るまでの間は、ひとりの気分に浸っていたかった。私はもう、独りでも寂しくない。
人の流れに逆らう人影が、ひとつ。美しい妖精のような唯奈が、体育館に入って来たのだと思った。
違った。
私の目にその白人女性が映る。写真で一度、見たことのある顔。一生見たくはなく、私たちの前に現れて欲しくない姿。私はしかし、とっさに思い至る。
お目当ての人物が見当たらない様子で、体育館を出ようとしていたその女性に声を掛ける。
「山本怜美先輩を探していますか」
女性が私のほうを向き、近寄ってくる。上背があるうえに黙り込んでいるせいで、威圧感があった。私はひるむ心を抑えて、
「私は怜美先輩の後輩です、先輩のことをよく知っています」
彼女は無表情に少しだけ好奇の色を織り交ぜたようだった。
この人と話をしたいと思って声を掛けた。それは、怜美先輩はじめ山本家族の呪縛を解き放つことにつなるからだ。彼女もそれを望んでここに来たのだとも思う。しかし、非常に迷惑な話だとも思う。
「怜美先輩には、今日会いにくることを伝えてありますか」
無言で首を振る。
「ご両親には」
「内緒です」
ようやく口を開いた彼女は、抑揚のない日本語を使った。まるで長い間この言葉を忘れていたかのようだった。年齢は四十ほどのはずだが、その言葉から、どことなく若さを感じた。少女のようなあどけなささえある。もしや彼女がロシアからはるばるやって来たのかもしれないと思うと、今日の無礼な来校に憤っていた気をそがれた。それでも、
「あなたには怜美先輩に、会ってほしくありません」
「あなた、お名前は」
彼女は尋ねて、
「私はゾーヤ。かつて山本ゾーヤだった者です」
「……松野澄香です」
ゾーヤさんはしばらく、何かを考えるように宙に視線を漂わせていたが、
「澄香さんには関係のないことです――あなたは怜美の居場所を教えてくれそうにないから、自分で探します」
そう言い放ち、また私に背を向ける。そこで唯奈が体育館に入ってきて、
「澄香、遅いよ! 早く遊びに行こうよ、翔太君、待ってるよ」
そう言った。私を呼びに来たのが怜美先輩でなくて、本当によかった。一度体育館の外に出て、
「ごめんね、ちょっとこの人と話があって――それと、私がこの女の人と話をしていること、誰にも言わないで」
彼女の耳元で、私はささやくように言った。
「変なの――あ、怜美先輩が急遽店番に戻っていったよ。お客さんがさばききれないからって」
「わかった」
私は胸をなでおろす。ゾーヤさんをそちらに行かせないようにすれば、彼女との接触を避けることができる。
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