私の中和(6)
家に帰り、私はすがるような思いでスマートフォンを手に取り、フリック入力でメッセージを書いていた。
『唯奈へ。
今更ごめんね。もう、私のこと嫌いになったかな。本当にごめんなさい。
私には唯奈が必要です。こっちで、人と新しく関係を作るのが苦痛です。みんな私を、正しく見てくれない、そんな気がします。辛くて怖いです。
昔の自分が、懐かしいです。私の生活に唯奈しかいなかったころが懐かしいです。
ほんとうは頼りたくなかったよ。唯奈には唯奈のお友達がいるって知ってるから。でも、私は唯奈から、いろんなものを貰った恩も忘れて、唯奈を頭から締め出そうとしました。そうしても、不思議と私の頭には唯奈の顔が思い浮かんでしまいました。
私のそばにいてくれないと、ダメになりそうです。わがままだよね。散々怒らせておいて、こういうの、ないと思う。
私、これからどうすればいいかな?
書いててまた悲しくなってきた。また唯奈を困らせてるね。ごめんね、もうやめるね。大丈夫、一人で頑張るよ』
かまってほしさ全開の文章だなと思い、打ち切るような形で文面を終わらせてしまった。それが逆に、かまってほしさにつながっている気もする。送るべきか迷っている間に、ついうっかりと送信ボタンを押してしまい、急激な緊張で胃がきゅっと痛くなった。
返信までの間に、怜美先輩からメッセージが届いた。九月末に行われる、新堂君の水泳記録会を見学しに行かないか、という誘いだった。私は迷った挙句、イエスと答える。怜美先輩は私に、家庭の事情を隠している。彼女が隠すのであれば、私は見てみないふりをするつもりだ。余計な詮索をすると、また自体が悪い方向に行く。それ以前に、私の精神がもたないだろう。
腕を見た。血が止まって固まり始め、表面から透明の液が分泌されてきていた。これは私が、今を生きている証ではある。怜美先輩を思って切った、という風にとらえればいいかもしれない。けれど、私のわがままで切っただけ。
――私、海に嫌われちゃったかな。
そわそわとして落ち着かない。私は何度もスマートフォンの通知を確認した。その間に夕日が差し込んで、夕食の支度ができたと母親が言った。後で食べる、と返事をする。
返信が来て、私は飛びつく勢いでスマートフォンを手に取った。
『澄香はバカだよ。
そんなに私に依存してくれて、嬉しくないわけがないよ。澄香が意地を張ってるって、ずっと、分かってたよ。そんなだから、澄香がいなくなっても私は悲しまないとか、思ってたんでしょ。私、悲しかったよ。泣いたもん。今すぐあって抱きしめたい。いっぱい安心させたい。
澄香は物語から、人の感情をたくさん知ることができたんだね。だから周りの人がどう考えるとか、その辺を考えてしまうんだね。で、澄香は基本後ろ向きだから(笑)、他の人の目が、自分を非難しているように見えてしまう。それは半分正解で、半分間違い。澄香の中では正しいし、そう言う人もいるかもしれない。同時に、そう考えない人も必ず、いるんだよ。
人間関係は経験で学ぶのが一番、非効率だけど身にはなるんだよ。もっと、ずうずうしくなってもいいんだよ。澄香ほど人間関係について考えてる人、そういないからね(笑)。もちろんすぐに変わらなくていいよ。これからのために、頑張ろ?
大丈夫、私はそばにいるから。多少変わっても、澄香の素敵なところ、根幹のところは、絶対に変わらないから。科学者になる夢、叶えてね。
そういえばそっちの文化祭、行ってみたいな。いいかな? クラスメイトと楽しく出しものを作り上げて、笑っている澄香を見られることを期待しています』
『涙でスマホの入力がうまくできません。唯奈のバカ。大好きだよ。
私とクラスメイトとは、ちょうど原始大気と地表の関係に似ているかもしれない。
海は現在、ほぼ中性。それは、どうやってできたか。四十三億年前の地球には酸性の雨が振り続けたの。その海は、地表の成分を徐々に溶かして中和していった。
私というよそ者が、酸性雨として降り注いでいるのかも。それを受け、地表たるクラスメイトとか、こっちで出会ったすべての人々の性質を少しずつ変えてるんだね。性質が違うからこそ、それは必然なんだって思った。関わりを持ちながら、お互いに変化していくんだ。
同時に私の中でも、相容れない二人がいると思う。それを私は、私の基準で見ていなかったよ。おびただしい数の、他人の目を意識して、私は環境という言葉でひとくくりにみんなのことを考えた。もっと図々しく生きるね。心の中でも、私は過去の自分と中和していかなきゃね。少しずつ混ざりあって、私は新しい自分になる。そう考えると、ほんの少しだけ期待できちゃう。
こっちで、頑張ります。背中を押してくれてありがとう。
いつか大好きな海に抱かれて、静かに溶け込めるように、私は私の中和滴定を始めようと思いました。いや、これはこっちの話だった。
今日は本当にありがとうね。もちろん歓迎します。文化祭、きっと来てね。私は裏方だけどね(笑)』
私は好きだった科学の本を買いに、書店に行くことにした。長袖のブラウスを着て。夕食はそのあとだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます