私の中和(1)
「あれ、思っていた感じと違う……澄香、とってもおしゃれ」
「そうかな、結構適当だよ?」
白のトップスに、水色のスカートとスニーカー、その上におとなし目のグレーのジャケットを羽織っただけ。少し寝坊をしたのもあり、急ごしらえのコーデだったのだが、美薗ちゃんに褒められて嬉しかった。
「東京の人はセンスが違うねえ」
「あはは、ありがとう? でも美薗ちゃんもそのワンピース、すごく似合うよ。すごく女の子っぽい」
「ありがと! そんな風に言われたこと初めて!」
自分にあった着こなしができることが、一番大事だ、とは唯奈に教わったことだ。美薗ちゃんは自分の特徴を良く知っている。一見学校ではおとなしそうな雰囲気を纏っているけれど、中身は朗らかで、明るい。はっちゃけたところもある。
「東京の服屋さん、行ってみたいな」
「大きな休みに行ってみようよ。東京の友達も紹介するし……冬休みとかに」
昔は服に無頓着だった。着ていくところがないからだったが、唯奈と出かけるたびに、服装のダサい自分が嫌になった。恥を忍んで、唯奈に指南を受けた記憶がある。
そんなことを思い出して、また暗い気分になった。唯奈とは絶賛喧嘩中である。私が唯奈に教わらなかったら、きっと一生ファッションに疎かっただろう。頼りたくないのに、頼っている。この服だって、唯奈と一緒に選んで買ったものだ。
私は首を振って彼女のことを頭から締め出した。学校が始まって二週間目の休日。初めて美薗ちゃんとお出かけするんだから、楽しまないと。
「いこっか。ホームセンター行きは、こっちだよ」
駅前の広場に立つ時計塔は午前十一時を示していた。ホームセンターは市街地から少し離れたところにあるそうで、私たちは駅から出ているバスに乗り込んだ。ICカードを用意したのだが、なんと対応していなかった。バスの整理券を取ったのは人生で初めてだ。
今日の私たちの目的は、文化祭の学園劇に使うセットの材料を買い集めることだった。
S高校では毎年、十月中旬に文化祭が行われている。私たちのクラスは、高い倍率を勝ち取って学園劇を催す許可が出されたのだ。夏休みからずっと、演者は練習をしているようだった。
「脚本、読んだよ。すごく面白かった! 『学校には、三種類の人間がいる。日の当たる道を歩む人々、それを羨みながら影の世界でひっそりと過ごす人々、それに、人気などまるで興味のない雑草みたいなはな垂れ族――』」
「あー! あーー! 恥ずかしいからやめてぇ!」
「覚えちゃった」
「澄香は劇に出ないから覚えなくていいの!」
学園劇だが、脚本は既存のものを使用するのではなく、目の前にいる人物、美薗ちゃんが書いたものなのだった。文芸部所属ということで白羽の矢が立ったそうで、それによく応えた面白い本だと思った。『雑草族』といわれる人たちの、思い切りのいいボケに何度かくすりとさせられた。キャスト名も、雑草A、雑草Bという風で、学生劇の常識を逆手に取ったギャグが施されている。シリアスは避けてコメディ路線に踏み切ったのがいいと思う。変にシリアスを混ぜても、演者の能力が足りない。うちのクラスには、雑草族の名がふさわしいお調子者たちがたくさんいるので、キャスティングもばっちりだ。
実はクラスの人たちをモチーフにキャラクターを作った、とは、美薗ちゃんからこっそりと聞いたことだった。当人は自分たちを題材にされているのだと気づいていない様子で、それがまた面白かった。
バスに揺られていた。美薗ちゃんが三十分ぐらい時間かかるよ、と私にいい、待ち合わせ時間にやや遅れてきた私に、寝ててもいいよ、起こしてあげる、と優しい言葉をもらって胸が温かくなった。暖かい日差しが窓から注いで、うとうとしてしまう。私の思考は、バスに揺すぶり起こされるように、昔の懐かしい日々へと向かった。そうしてそこにとどまっていた。
小学校のころ、ずっと本を読んでいた。小説に興味はなく、図書室で借りていたのは、身近な日用品などの製造過程の本や、動物の生態図鑑といったものばかりだった。小さいころから人に興味がなく、物のほうに愛着を沸かせていたのだと思う。小学校六年間ずっと同じペンケースを使っていたし、ランドセルは週一回自らきれいに磨いていた。運動をするのも嫌いだった。運動神経が悪いわけではなさそうなのだが、スポーツは人と関わってするものだから、嫌になった。
中学に入り、学校から必ずなにか部活動に入れといわれて文芸部に入った。読書会と称した読み合わせ活動で、そのころ私が好んで読んでいた子供向けの科学雑誌を紹介したけれど、読んでくれた人は一人もいなかった。そのときみんなが読んでいた漫画とか小説に、少し手を出してみた。私には、難しかった。唯一少しだけ、ファンタジー映画が好きになれた。描かれているのが、この世界ではないから。だから好きなのは、人間同士の描写ではなく世界観の美しさや、映像の綺麗さだった。
周囲の女の子みんなが、あの主人公がかっこいいとか、こんなヒロインにあこがれると、活き活きとして語っているのを、私は物質の化学式を覚えながらじっと見ていた。
私の胸の中は、空っぽなのではないか。そういう考えにとらわれた。何か人の心を司る部分が足りないのではないか、ひとたびそう思うと止まらなくなった。私は胸のうちを満たすものを渇望した。誰も、私に与えてくれなかった。
「アスク・アンド・イット・シャル・ビー・ギブン・ユー」
「はっ!?」
私の懐古は、彼女の片言の英語に酔ってかき消された。
「聖書の一節。求めよ、さらば与えられん」
美薗ちゃんは時々こう、なぜか私の心境をズバリ当ててくるので、彼女の口から英語が飛びだすとどきりとする。
「澄香は、たまに昔に戻ってるから、こうして引き戻してあげないと」
「ごめんね、なんか、最近すごく幸せで、昔あったことが嘘みたいで」
「分かるよ」
私の働きかけに、みんなは手に余るほど応えてくれる。それだけで、涙が出そうになる。
転校初日に覚えたずれを、みんなに合わせることはたやすかった。新堂くんをすごい人だと素直に思うことは簡単だったし、怜美先輩は才色兼備の麗人だと称えるのは当たり前だ。多少は無理もある。けれど私がみんなに譲歩して、みんなが私の特徴を捉えて納得してもらうことは、とても大きいと思えた。
小学校からずっとここまで、のどから手が出るほど欲しかった学園生活を、私はいま手に入れている。
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