豌豆の日常

「ハロルド・ダングール王。本日もご機嫌麗しゅう」

 そう言って白髪交じりの黒髪をした男は、恭しく頭をさげた。

 今日の仕事は、この国から東に行った場所にある国の大臣のおもてなし。

「はは、そんなにかしこまらず。ハロルドでいいですよ」

 一度の玉座に上がってしまえばすっかり理想の王になっている。本心を隠し王に即位してからの4年間、一度も私以外の前でその仮面が剥がれたことはない。

「では、ハロルド王とお呼びさせていただきますね。」

 その言葉に王は軽い笑いを漏らす。誰でも馴染みやすい柔らかい顔だ。

 その裏に有り余る不安や恐怖を隠している事はこの国、いやこの世界で私以外の誰にもわからないだろう。

「それで、本日はどんなご用で?」

 社交辞令を済ませ、ようやく本題に入る。まあ、挨拶だけで終わるはずがないからね。

「本日は、我が国の王から贈り物を預かって参りました」

 脇に控えさせていた従者たちに、人一人が入れるほどの大きさを箱を持ってこさせる。中から物音が微かにするそれを王の前まで持ってくると、また恭しく鍵を開く。

「ハロルド王よ、ぜひ貴方様の手でお開け下さい」

 普通ならば、王自ら開けるなど言語道断だ。だが、仮にこいつが王の事を殺したとして利益が全くもってない。むしろ、返り討ちにあって祖国が滅びる事になるだけだ。

 しかし、一応止めねばなるまい。これも私の仕事のうちだ。

「王にそのようなことをさせるわけにはいきません。代わりに、私が」

 一歩進み、王よりも前に出る。

「いえいえ、やましい事などございません。どうか信じてください」

 ここで食い下がっては向こうの機嫌も悪くなる。それはなるべく避けたい。

 何と言っても相手は最高級の茶葉を輸出しているからだ。こんなつまらないことで、それがなくてはお茶会も味気ないものになってしまう。

「わかりました。私は王の近くで見ておきましょう」

 すっと箱の前から一歩退き、道を開ける。そうすると、王は玉座から立ち上がりゆっくりと歩き始める、ゆっくりと言っても、玉座からここまでは距離がそれほど離れていないのですぐに到着した。

 箱に手をかけ、私に視線をよこした後ぐっと一気に押し上げる。

 一秒、二秒。やけに緩やかに中身に手を伸ばしたが。

「これは……」

 熱い物にでも触れたかのように引っ込めるてしまった。

 体を傾けて中身を覗き見る。なるほど、そこにはなんとも愛くるしい子猫が鎮座している。

「我が王室で代々飼われてる猫にございます。友好の証にと我が王と王妃からの贈り物です」

 お気に召したでしょうか、とニヤリとしたいやらしい笑みを浮かべる。受け取ってもらうことを確信しているようだが、きっと受け取られることはないだろう。

「残念だが、この子猫はお返しします」

 王の言葉に大変驚いたのだろう、変な顔をしてぽかんとしてしまっている。

「ですが、ハロルド王は動物が大層、お好きだとか」

 諦めずに受け取ってもらおうとしているようだが、無駄なことだ。

「えぇ、大好きですよ」

「ならば、なぜ」

 その問いに柔らかい、見ようによっては泣きそうにも見える笑みと共に返す。

「だからこそ、です」

 腑に落ちない顔をした大臣だったが、あの表情を見たせいか、これ以上食い下がることはなかった。

「そうですか……。では、後ほど代わりに茶葉を贈らせて頂きます」

 そう言って、箱の鍵を元どおりに閉めてしまい、さっさと従者に運ばせた。

「それは、ありがたい」

 先ほどとは打って変わって、花が咲いたように可憐な笑顔で答える。それに大臣も、上部のみの笑顔で答えた。

「おっと、そろそろ時間のようですので私はここで……」

 金の懐中時計を取り出し、時間を見ながら大臣が言う。やっと終わったか。

「もう時間ですか、楽しい時間は早く過ぎ去るものですね」

「はっはっ、私も大変楽しませていただきました」

 大きく会釈をすると、隅の方で箱を持って待っていた従者を引き連れ、急ぎ足に扉から出て行く。

 それを完全に見送ると、部屋の中には私とハロルド王、それに数人のメイドしか居なくなり、一気に静けさが広がる。

「リアン、次の仕事は?」

 この国の王様は忙しい、何と言っても、本来なら他の者に任せていればいい仕事まで、自分がやらなくてはと思っているから。

「次は、公共事業などの予算の決定ですね」

「そうか、書類はどこに?」

「お部屋にご用意させて頂いています」

 相槌を一つ打ち、扉へと歩き出す。待機していたメイド達に一声、お疲れ様と声をかけることを忘れない。

 今までこれに何人が騙されてきただろうか。優しい王、みんなの憧れである王、強い王。そんな虚像をいったい幾つ積み上げただろうか。

 だが、本人はこの事を知らない。何気ない一言、仕草が、自分を更に追い詰めていくことを。

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