豌豆の王様
翠玉
豌豆の慟哭
通りかかる民に尋ねれば、皆一様にこう返す。
「王様はいいお人だ」「あんな素晴らしい王は今までいなかった」
差異はあれども、口を揃えて王を褒め讃える。
それまでに我が国の王とは素晴らしき人なのだ。私以外にとっては、だが。
そんな考え事をしながら本のページをめくる。もう、何度読んだのか忘れてしまうほどに読み込んだ一冊。
そこまでお気に入りか、と聞かれたらそうではないと言える。必要だから読んでいるだけの話だ。
さて、もうそろそろいい時間だ。紅茶と菓子の準備をしなくては。
今日はアッサムのミルクティーにしよう。菓子は、ミルクティーの濃厚さに負けないようチーズケーキ、最近美味しいと評判の逸品だ。
あらかじめカップを温めておき、お茶会の主役が訪れるのを静かに待つ。
足音がする。子供が甘えたくて、褒められたくて親の元へ向かうような、そんな慌ただしい音だ。
その音はこの部屋の前で一度止まり、それからノックもせずにおずおずと扉を開ける。
扉を開けた人物が視線を彷徨わせ、椅子に座る私の姿を見つけると怯えた顔から一転、安心したようなふにゃりとしまりのない表情になった。
「あぁ!リアン!」
パタパタと、肩にかけたマントをずり下げながら寄ってくる姿は子犬にそっくりである。
「これは王様。ご機嫌麗しゅう?」
そんな格式ばった言葉を発すると、突然顔を強張らせ、震える唇で言葉を紡ぐ。
「やめてくれ、そんな、君だけは……」
今にも泣き出しそうな顔で、私の顔を覗き込んできた。視線を軽く下げると、マントを強く掴みすぎて白くなってしまった指先が見える。あぁ、この人は何て、可愛らしいんだろうか。
「ははっ、冗談さハリー。私が君にそんな態度をとるわけないだろう?」
そう言って誤魔化すと、ハリーは服の袖で目元を軽く拭き取り、真正面の椅子にゆったりと座る。
服でこすっては駄目だよ。腫れてしまうじゃないか。
「もう!ああいう冗談は心臓に悪いからやめてくれよ!」
がっくりとうなだれて、文句を垂れる。それにごめんごめんと、適当に謝りながら紅茶を入れていく。
アッサムの芳醇な香りがカップの中から広がる。そこによく冷やした牛乳を注いでミルクティーの完成だ。ちなみに私はミルクを後から入れる派である。
私がミルクティーをいれる間、そわそわとチーズケーキの乗った皿を見つめては逸らすハリー。
「どうぞ」
ミルクティーを出した後、ハリーの分のケーキを大きめに切り分け、可憐な青いの描かれた皿の上に乗せてやりハリーの前に出す。
「わぁ、とっても美味しそうだねリアン!」
私が席に着くまで待っている姿がいじらしくて、つい笑ってしまう。
「あぁ、召し上がれ」
そう勧めてあげると、フォークでケーキの先を控えめに切り取り刺さったケーキをくるくると眺めた後、ようやく口に含んだ。ターコイズブルーの瞳が零れ落ちそうなほど見開き、頬に手を当てて破顔する。
「美味しい!とっても美味しいよリアン!」
「そうかい、それは良かった」
君のために用意したんだから当たり前だ。もし、美味しくなかったらあの店は今頃、潰れていただろう。
「私も食べようかな」
キラキラとした瞳でケーキを食べているハリーを横目に、自分の前に小さめに切ったものを一口食べてみる。
たしかに、人気というだけあってまったりとした濃い味わいで美味だ。
「そういえば、今日、花壇の花がやっと咲いたんだよ」
「きっと綺麗な花なんでしょうね」
「うん!それはもうとっても、リアンも後から見てみてよ」
他愛ない日常のあれこれを話しながらお茶会は進んでいく。日は落ちて、あたりをオレンジ色が染める。
「そろそろ片付けますか」
音を立てずに席を立つと、ハリーもその後に続いて慌てて立ちあがる。
「僕も手伝うよ」
カップを僕が、お皿をハリーがそれぞれ持ち流し台まで持っていく。水の張った器の中に吸い込まれるように入っていく食器を眺めた後、ハリーを連れて元来た部屋へと戻る。
それから、二人で小さな子どもみたいにベットの上に肩を寄せて座りながら話す。
「今日は何があったんだい?」
穏やかに怯えさせないように言葉を選んでいく。君はいつも、自分から言ってくれないから僕が聞いてやる。
大きな瞳がある一点を見つめたまま静止する。
「みんなが、みんなが僕を見るんだ。だから、失敗しないようにって、頑張ってるのに、なのに失敗しちゃう。そうしたら笑うんだ。かっこ悪いって、ダメな奴だって」
ガタガタと暖かい部屋のはずなのに、震えるハリーにそっとブランケットを掛けてあげた。
「大丈夫だよ」
正面から抱きしめて背中に腕を回し、ゆっくりとしたリズムで叩く。それだけで震えていた体は少しおさまり、その代わり涙がポロポロとこぼれて行く。
「安心して、私にはわかってるからね。ハリーが頑張ってること」
ハリーの両手が私の背中に回される。強く、縋るように締め付けられる。
可哀想な王様、周りの期待に応えようと自分を殺し続ける。そんな恐ろしい痛みに耐えることなんて、一人じゃできなくて私にすがる。
「うん、うん」
涙声で律儀にも返事を返してくれる。
「疲れただろう、少しお休み」
抱きしめたままベットに寝っ転がる。その後で腕を解きベットに腰をかけた体制に戻る。名残惜しそうに離れた腕を優しくひと撫でする。その際、ブランケットの上に毛布をもう一枚ふわりとかけた。
「今日の話はどうします?」
日課の寝物語だ。まぁ、大方予想はついているが聞くだけ聞いてみる。
「えっと、騎士の話がいいな」
そうくると思って、用意していた本をサイドテーブルから取り、栞を挟んでいたページを開く。
「では、始めようか」
昔々の話、とある国に高潔な魂を持った王がいた。その王は滅びかけた国を救い、国土を狙う侵略者をなぎ払い、まさに騎士と呼ぶにふさわしいお人だった。戦場にて一度の負けもなく、勝ち続けた。しかし、そんな王様もある日、同盟国の裏切りにあい、命の危機に晒されてしまう。だが、負けることはなかった。臣下と共に最期まで、たとえ一人になったとしても諦めず、ようやく首謀者との一騎打ちを果たすこととなる。その際に受けた傷が致命傷となり、命を落としてしまう。絶望の中、生き残った騎士の一人が王の遺体を見つける。その遺体を女神がいるという湖に連れて行き、その中へ共に入る。女神はここで傷を癒せばいいと言った。だから王はきっと生き返る、そう信じて永い永い眠りにつく。
「おしまい」
寝息の聞こえるベットでこの物語を読み終える。どこにでもある、子供だましのおとぎ話を飽きずに何度も読み続けられるのも、ハリーへの思いあってこそだ。
君が必要とするなら私はくだらないおとぎ話でも読み続けよう。何度でも秘密のお茶会も開こう。
だから、今はお休み。私だけの王様。
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