カマキリ

摂津守

カマキリ

 ある夏の終わり、私は一匹のカマキリに出会った。自宅マンションの生け垣に彼はいた。


 彼は体長七センチほどのチョウセンカマキリだ。多分、オス。緑の体に茶色が差した羽。色合いがとても気品に満ちている。


 私は彼の目の前にそっと掌を近づけた。彼は逃げなかった。自らの体の前で、畳んだ鎌状の両手を重ね、じっと私の掌を見つめていた。私は彼の腹へと掌を潜り込ませた。すると彼は私から逃げず、私の掌に堂々と乗り込んできた。古来から勇気のある虫と言われてきたカマキリだが、彼もまたそのいわれに偽りなかった。


 その日から、私とカマキリは友達になった。

 また何日か後にそこを通りかかった時も彼はやっぱりそこにいた。生け垣の緑と同化し、気品に満ちた佇まいをしていた。


 私が、以前と同じように手を近づけると、彼は驚いたように身を翻した。私は逃すまいと彼の首根っこを軽くつまみ、彼を持ち上げた。彼は両手の鎌でひどく抵抗した。その仕草はまるで、私が昔飼っていたネコのようだった。かつての飼いネコもまた、首根っこをつままれるのがいやでたまらないらしく、つまむと前足から爪を出して私の手を攻撃したものだ。顔を両手で洗ったり、自分の手をペロペロ舐めたり、こちらをジッと見つめてくるところもカマキリとネコはよく似ている。


 つまみ上げて掌に乗せると、途端におとなしくなる。


 私は掌に乗せたカマキリを眺めたり、そっと息を吹きかけたりした。カマキリというのは風を受けると、上下左右に体を揺らす習性があるのだ。葉っぱに擬態しているらしい。その動きはコメディチックで可愛らしい。


 それから何度か、彼と顔を合わせた。会ううたび私は彼に挨拶をした。挨拶のたびに彼は、私をジッと見つめるのだった。


 夏の暑さを引きずる九月が過ぎ、涼しい風の吹く秋が来た。もう十月だ。十月になっても彼はそこにいて、私はいつものように手を差し出した。すると、珍しく彼は不機嫌だったのか、鎌で私の指を掴んだ。ちょっぴり痛かったが、血が出たり腫れ上がったりするほどのことでもない。ご機嫌斜めということで、その日はそそくさと退散した。


 翌日、急に気温が下った。前日は二十度半ばあったのに、その日は十度台しかなかった。朝布団から出て寒さを痛感すると同時に、ふと彼のことが頭をよぎった。


 彼は大丈夫だろうか? この寒さにやられてないだろうか?


 カマキリという生き物は寒さに弱い。元より、一年は生きられない生き物なのだ。死は逃れられない運命、全ての生物に与えられた普遍の平等性。


 その日は午後から雨が降り、いっそう寒さが厳しくなった。


 翌日、彼に会いに行ってみた。もうほとんど日課になっていた。まだ彼はいた。心なしか寒そうだ。服を着ている私でさえ、少し肌寒く感じるのだから、生まれたままの姿でいる彼が寒がるのも無理はない。


 私は彼の背をそっと撫でた。彼はみじろぎせず、無反応だった。きっと寒さのせいだろう。もう彼の季節は終わろうとしているのだ。


 週末は台風がやってきた。強い雨風が吹き荒れた。気温も一気に冷え込んだ。私は彼が心配になった。私は買い出しのついでに生け垣に寄って、彼を見に行った。彼はいた。全身を雨に濡らしながら、そこにいた。威風堂々とした有様は、台風などでは決して失われなかった。私は安心して、その場を離れた。


 翌日、台風は去った。


 彼に会いに生け垣に行った。が、彼はいなかった。五分位探してみたが、どうしても見つからなかった。これまでも、毎度彼がいるわけでもなかったからそれほど気にはしなかった。


 その日から続けて三日、生け垣に立ち寄った。彼はいなかった。冷たい風が吹いていた。少し早い木枯らしだ。風に私は悟った。きっと、彼はもういないのだ。もう十月は終わる。冷たい風が新しい季節の到来を告げていた。木枯らしが彼を連れ去ってしまった。それは私にとって、ちょっぴり寂しい秋の終わり。冬の予感を告げていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

カマキリ 摂津守 @settsunokami

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ