第2話 ノジスミレ
「今日は高校の同窓会があるから、夕飯は大丈夫だからね」
隣に住む5つ年下の幼馴染みに声をかける。朝が弱い彼はいつもなら生返事をする――はずなのだが。
「それって、どうしても行かなきゃダメなの?」
「え?」
珍しくフレーズで答えてきた。無意識だったのだろう。彼は我に返るとすぐに笑顔をつくり、
「いや、何でもないよ。いってらっしゃい、気を付けて」
私を安心させるように手を振ってくれた。
「ええ、行ってきます」
私も手を振り返すと、通い慣れた道を歩き始めた。
さっきのは一体何だったのかしら。ただの幼馴染みとしての心配? それとも…
そこまで考えて首を振る。そして先ほどまで一緒にいた男の顔を思い浮かべた。
まさか、12年も経って戻ってくるなんて。かつて私の胸ぐらいしかなかった背は、こちらが見上げるほど高くなっており、あどけなかった顔立ちも今では精悍なものになっていた。
あの頃は姉のように慕ってくれるのが嬉しくて、お姉さん然とした態度をとっていた。虫だって本当は苦手なのに、彼の前では情けないところを見せたくなくて、平気な振りして退治していた。友達からの誘いを断ってまで、彼と遊ぶことを選んできた。学校では孤立して教室の隅っこで読書するしかなくても、彼のヒーローでいられれば、「すごい!」と手を叩いて喜んでもらえればただただよかった。
それなのに。
彼は唐突に私の前からいなくなった。母さんたちは前から知っていたのかもしれない。だけど、私は彼が別れの挨拶に来て、初めて彼に会える最後の日だと知った。
彼は口を真一文字に結んだまま、右手にギュッと握っていたものを私に差し出した。ノジスミレの花。淡青色をした小ぶりの花は、押し花にして今でも手帳に挟んでいる。
ずっと握られていたせいですっかりしなしなになってしまった茎を手に、私はイヤイヤと首を振った。「いや、いや。行かないで! お願いだからずっとここにいて!」私は初めて彼の前で涙した。あとにも先にもあの一回だけ。彼は、困ったような顔をして私を見ていたけど、やがて挨拶まわりを済ませた彼のお母さんに手を引かれ、この街を出て行った。
あれから12年。
彼が帰ってくると聞いた時、私にはどんなに時を経ても彼が彼だと分かる絶対の自信があった。それだけ彼のことを想っていた。
果たして私はすぐに彼だと気付いた。女の勘は鋭いもので、彼を目にとめた途端に全神経がそう告げていた。と同時に、彼の方でもすぐに私を思い出してくれるものと思った。が、少女マンガのような展開にはならず、目の前にいる私を見て目を白黒させるだけだった。ちょっとガッカリだ。
それでも彼は一年以上もこうして私のために夕飯を作ってくれたり、少し痴呆が入ってしまった母さんの話し相手をしてくれている。勿論、私だって家事全般一通りこなせるし、やろうと思えば母の面倒を見れるぐらいの距離のところに転職することだってできる。それをやろうとしないのは、ひとえに彼に傍にいてほしい、というそれだけの思いからだった。私のエゴが彼を縛り付けているのは間違いない。
彼にとってはやっぱり迷惑だろうか。高校二年生といえば、部活に励んだり、同年代の友だちと遊びたい年頃だろう。私も親に反抗して友だちの家を泊まり歩いた、そんな記憶がある。
彼の気持ちが何処にあるのか分からない。それが最近頭の中を占めている最大の要因であることは分かっている。そのことが仕事の方にも少なからず影響していた。
『自分の私情を仕事に持ち込まないでくれないか』
そう専務の小辻さんにも注意されたばかりだ。悩んでも悩んでも同じところに還ってくる。
五つ年下の高校生は今も昔も変わらず私の心を振り回す。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます