第3話 劣等感? それとも……?

「ねえ、あの三番、カッコよくない?」

 クラスマッチ当日。私の前方では、私と同じ緑色のラインが入ったジャージを着た女子が騒ぎ合っていた。

「また点数入れたよ! 誰だろ、知ってる?」

「確かはやとって人だよ。バスケ部の」

 隼という単語に思わず反応してしまう。女子の目線の先では、隼が今日何本目かのシュートを決め、チームメイトとハイタッチしていた。

 中学では、勉強も運動もそこそこだった。顔もよく見たら整っているけど、控えめな性格のせいで目立つこともなかったのに。今目の前にいる隼は、みんなの注目の的だった。

「隼、大活躍だね」

 朱里紗ありさが耳打ちしてくる。「そうだね」あたしは曖昧に笑う。

 朱里紗がじっと見てくるのに気付かないふりして、背がすっかり高くなった幼馴染の姿を目で追った。


 隼のクラスは、体格差の大きい三年生相手に奮戦し、僅差で決勝進出をもぎ取った。

 あたしはすっくと立ち上がって朱里紗に云った。

「声かけてくる」

 周りはみんな、驚いたようにあたしを見上げたけど、朱里紗だけは優しく笑って「分かった。行っておいで」と安心感のある声で背中を押してくれた。

「え、なになに、隼のとこ行くの」

菜子なこはやっと自覚したわけ?」

「いやいや。あの感じじゃまだだよ」

 後ろでそんな話をしているけど、あたしの耳には全く入ってこない。

 隼はすぐに見つかった。小さい頃から隼のことは一瞬で見つけられる。もう特技といってもいいくらい。

 女子の輪の中心にいた隼は、困ったように、でも少し嬉しそうに笑っていた。

と、隼がこちらに気づき、視線が絡み合った。

 隼はうっすら唇の端を上げて、片手をあげて手を振ってくる。あたしも返事をするかのように手を上げた、とその時。

 あたしを押しのけるようにして、誰かが割り込んできた。目の前に広がるふわふわと波打つ栗色の髪。

 この前隼と話していた女の子だ。

 彼女はあっという間に隼との距離を縮めてしまう。細い両の腕を隼の左腕に絡め、小首をかしげるようにしながら隼を上目遣いに見つめた。何か冗談でも云い合っているのか、二人の楽しげな笑い声が重なり合う。

 もう隼の目にはあたしは映っていない。

 ざらざらした何かがあたしの中で積もっていく。ずっと同じ場所にいたはずの隼が、あたしより先に大人の階段を上っていることが悔しい? それとも他の感情?

 あたしは笑い合っている二人から目を背けるようにして、元来た道を辿った。

 淋しそうにあたしの後ろ姿を見送る目には気づかぬままに。


 戻ってきたときには、うちのクラスの試合が始まっていた。周りは応援に夢中であたしには一切気づかない。あたしはそっと後ろの方を歩いて朱里紗のそばに行くと、何も云わずに抱きついた。

「え! なに、菜子? どうしたの?」

 朱里紗はぎょっとしたようにこちらを見たけど、すぐに出て行った時とはあたしの様子が違っていることに気づく。ジャージの上を脱いであたしの顔が隠れるようにかぶせると、「ちょっと外出るね」と近くにいたクラスメートに声をかけ、あたしの肩を抱くようにして体育館から出た。

 あたしを人気のない渡り廊下に連れてくるといったんその場を離れ、でもすぐにコンポタージュ二本を手にして帰ってきた。プルタブを開け、あたしに一本手渡すと、少し段差になったところに座るよう促した。

 外はしんとしていた。でも時々体育館内からわっと歓声が聞こえてくる。

 朱里紗は何も云わずに缶を傾けていた。あたしが話したくなるまでただ隣にいてくれる。コンポタージュがあたしの手のひらと同じ温度になった頃、あたしはやっと口を開いた。

「ねえ朱里紗。あたしは綾乃あやのちゃんのこと、嫌いなのかな……」

「綾乃って九条くじょう綾乃?」

 朱里紗はぽかんとしてあたしの方を見た。その顔にはでかでかと「隼の話じゃないの?」と書いてある。あたしはほんの少しだけ笑って頷いた。

「綾乃ちゃんってふわふわしてて性格も明るくて、ほんとうにかわいいじゃん。男女問わずみんなに優しいし。なのにさっき隼と話している綾乃ちゃんを見てもやっとしちゃって……」

「それは綾乃を嫌いなんじゃなくって……」

 朱里紗は何かを云いかけたけど、思い直したかのように軌道修正する。

「菜子、こればっかりは私には教えてあげることはできない。いっぱい考えていっぱい悩みなさい。どんな答えが出ても、私は菜子が決めたことを応援するから」

 あたしの不満げな視線を大人びた笑顔でかわして、あたしをそっと抱きしめる。胸いっぱいに広がる柑橘系の香り。

 冬の日。朱里紗の意味深な言葉とともに、お似合いすぎる男女の姿がいつまでも脳裏にちらついている。

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