紅葉の頃①

篠田との連絡は途絶えていた。連絡をしないと決めてから暫くは、チビの成長や、美しい景色、美味しい食べ物、その時々を篠田に伝えたいと思った、篠田なら何と言うだろう?と考えずにはいられなかった。しかし、木々が色付き始める頃にはすっかり良い想い出になろうとしていた。叶わなかった片想いほど甘く切なく、いつ迄も美しくあるのかもしれない。そう思うと、想いを伝える事もなく終えられた恋は素敵な事のように思えた。篠田の嫌な部分など何一つなく、美沙の理想の人として記憶されるのだ。


美沙は冬の到来を前に一人暮らしをしようと考えていた。美沙が今の仕事を始めた頃に比べると会社の周りの再開発が進んだ為か、車の交通量が増え朝晩の渋滞は当たり前になっていた。その上、雪が降ると通勤に1時間半以上かかる事も稀ではない。何より雪道の運転は疲れる。チビが来たおかげで美沙がいなくても家の中は楽しそうだという事も一人暮らしをする決心の後押しをしてくれた。物件を探し始めるとなかなか楽しいもので、あれこれ夢も膨らんだりした。会社から車で15分程の場所に少々古いマンションではあるが2LDKの手頃な家賃の部屋を見つけた。2LDKと言っても、一部屋は3畳ほどの書斎か物置用の部屋だ。一人暮らしには一部屋あれば十分なのだが、10代の頃から趣味で続けていたネイルの為の部屋が一部屋欲しかったので、この3畳の部屋がちょうど良いと思った。とり敢えず必要な物だけを揃えて、11月の中頃には一応住める部屋になっていた。チビが少し寂しがってくれるかと思ったが、美沙がいてもいなくてもそれほど大きな問題ではないらしかった。祖母が出掛けるとあんなに必死に追いかけるのに…と美沙の方が寂しくなったほどだった。

休みの度に買い物に出掛け、食器だとかカーペットだとかを選ぶのも楽しかった。出費は思ったより嵩んでしまったが、自分好みの物に囲まれて過ごすのは幸せなことなのだと知った。手動のコーヒーミルも買ってみた、カリカリと豆を挽く度に立ち上る良い香りが部屋中に漂う。そう言えば実家にも昔あったのに…豆を挽くのが面倒になってやめたのかもしれない。学生の時の一人暮らしとは全く別の新しさに触れる日々だった。ネイルの為の部屋にも机と椅子、飾り棚や吊り棚を配置すると素敵な空間になった。


そんな日々を送っていた美沙に突然、篠田からの着信があった。LINEでもメールでもなく、電話がかかって来たのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る