夏の終わり①

恋の始まりはいつだって楽しい。夏の日差しを受けた木々でなくても、目に映る全てが美沙にはキラキラして見えた。篠田は子猫を拾った二日後には東京に帰ってしまったが、あの日から毎日のように連絡を取り合っている。特別な内容ではなく子猫についてや、日常の些細な出来事についてなのだが。あの時の子猫は『チビ』と名付けられ、結局は美沙の家ですくすくと成長しながらお姫様のような扱いを受けている。貰い手が見つかる頃には、祖母が手離したくないと言い始めたのだ。昼間、1人で家にいるから今更チビが居なくなると寂しいと祖母は言った。祖母だけではなく、両親も美沙も同じ思いだったのだが。

篠田の行政書士という仕事がどんなものなのかはよく知らなかったが、書類を書くための資料集めやら何やらで日々忙しいそうだ。美沙といえば、それまでと変わらない単調な生活を送っていたが、篠田という人間を知れば知るほど惹かれていた。

 8月も終わろうとする頃、篠田のLINEのアイコンが変わった。その写真は美沙の心臓を比喩ではなく凍りつかせた。そこには海に向かう篠田と小さい男の子の後ろ姿があったのだ。美沙の頭の中で様々な事が駆け巡り、繋がりして、その写真の意味するところを導き出しては、否定し、混乱した。仕事の合間に携帯を見つめて余程酷い顔をしていたのだろう。隣で経理をしている加藤さんが心配そうに

「美沙ちゃん、大丈夫??顔色悪いわよ」

と声をかけた。美沙はなんとか笑顔を作り

「大丈夫です。ちょっとクーラーで冷えたのかも」

 そう答えると、携帯を引き出しに入れた。

「確かに、効きすぎてるわね。温度あげましょう」

そう言いながら席を立った。美沙の心臓だけが違う時を刻んでいるような気がした、頭は空っぽになったようにシンとしている。全ての音が遠くに聞こえて、美沙だけ何処かに取り残されたように思えた。それでも理性はいつも通り働くように命じている。

いつも通り。

切り替えなさい。

仕事が終わるまで。

美沙はそっと深呼吸をして、目の前の伝票に意識を集中させた。

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