フユが来る前に

砂塔悠希

第1話 フユが来る前に


 気温が徐々に下がってくると、人々は窓を閉ざし家を補強してフユの到来に備え始める。食料を買い込み、暖房装置の最終点検と燃料の補給を済ませると、冬ごもりをはじめる。そして、フユが通り過ぎるまでの3ケ月間、家から一歩も出ずに過ごす。

「アンディ、もう準備は済んだの?」

 ペギーと遊んでいる弟に声をかけながら、ジュリアはドサッと買い物袋をテーブルの上に置いた。

「そんなのもうとっくに終わってるよ、僕の分はね」

 振り向きもせず猫をからかいながらアンディが答えた。

「だったら少しは手伝ったらどうなの」

 ジュリアは保存食と、フユが来るまでの間の生鮮食料を区分けしながらいった。

「わかったよ」

 くるくるとカールした赤毛をめんどくさそうに掻き上げながら、そばかすだらけの頬をふくらませてアンディは、テーブルの上の保存食を乱暴に箱に詰めはじめた。

 例年なら、フユがやって来るまであと3週間はある。それ程慌てる必要もないが冬ごもりを始めるにはある程度心の準備が必要になる。いよいよとなるとどうしてもやり残したことがあるようで、気になって仕方なくなるのだ。

「ごめんなさいね、ジェフ。留守番なんかさせて。まだ仕度が済んでないもんだから…」

 ジュリアがすまなさそう言いながらに隣に座った。

「いや、大変なのはどこの家でも同じだからね。うちでもお袋が大騒ぎで仕度しているよ」

 ジェフは少し微笑ってジュリアの金髪ブロンドを撫でた。

「ジェフはもう仕度を済ませたの?」

 ジュリアの母がオーブンから焼きたてのケーキを取り出しながら聞く。

「ママ、ジェフはいいのよ。今年は監視艇に載るんだから」

 三人の間に一瞬重い沈黙が流れた。

「そう、監視艇に…。それで、いつから?」

「……来週、出立です」

 ジェフは答えながら窓の外に目をやった。とてもまともにジュリアの顔を見ることなどできない。ジュリアもジェフのそばを離れて母を手伝いにいった。

 フユが近づくと毎年数名の男が選ばれて監視艇に乗り、フユの動きを監視し、情報を各家庭に伝える。フユは生き物のように自由勝手に動き回り、人々が苦労して築いてきたものをメチャメチャに破壊していく。まるで文明を憎んでいるかのように。だから人々はフユが帰るまで安全なシェルターの中に閉じ籠り身を隠す。フユの激鱗に触れるのを恐れて。監視艇は中空に浮かびすべてを見守る。ゆえに危険を伴う。フユを追って街を離れた昨年の監視艇はとうとう戻ってこなかった。

 木枯しが裸になった樹に吹きつけ、枝を弄んでいる。ゴミ缶の蓋が街へと伸びる舗装道路を転がっていく。まるでフユという名の運命に弄ばれる自分達われわれのようだ。

 ぼんやりと暗い曇り空を見上げながらジェフは、この空がフユで覆われてしまったような気がした。

「ケーキが焼けたわ。ジェフもこっちいらっしゃい」

 ジュリアの母が声をかけたときだった。ジェフは一ト月も早いフユの到来を曇り空の向こうに見出だした。

「!」

 ジュリアは先刻の気まずさを忘れたかのように楽しげに母親に話しかけている。地下室から戻ったアンディはペギーを追いかけソファの下を覗き込んでいる。

「ジュリー、おばさん、フユだっ!」

 ジェフはそう言って、手近にいたアンディを抱えると地下室への扉へと駆け寄った。

 後から二人が地下室へ入るのを見届けて扉を閉ざす。地下道を奥深くまで走り続け、漸くシェルターに辿り着くとその場にへたりこんだ。

 まもなくグズグズという震動があり、続いて風の唸り、ドオンという落下音、そして静寂……

「苦しいよ、ジェフ」

 アンディの声に我に返る。ジュリアもジュリアの母も無事にシェルターに辿り着いている。

 ほっと一息ついて、TVをつける。全員が身を寄せ会うようにTVの前に集まった。近所の地方局は砂嵐ばかりで、漸く世界ネット局の一つを捜し当てる。こちらの映りもそうはよくないが、なんとか見ることがてきる。中継局がフユにやられてしまったからであろう、どうやらムーンベースからの軍放送のようだ。軍服のニュースキャスターが臨時ニュースをがなり立てている。

「―――フユの被害が各地で出ている模様。皆さん、シェルターからは決して出ないで下さい。また、まだフユの到来していない地域の方も直ぐにシェルターにはいり冬ごもりを始めて下さい―――」

 ニュースキャスターの後ろには防寒着に身を包み普段と変わらぬ様子のままの人々がストップモーションになって映っている。あるものは腕時計を見ながら急ぎ足で、あるものは子供と散歩しながら、少し微笑んでその瞳を子供に向けている。粉雪が舞っている。一瞬にして彫像と化した人々のあいだを。

 そして、街の真ん中には白い煙を吐きだし、周囲一帯を霜や氷で埋め尽くしている、巨大な氷柱つららが刺さっていた。

 ジェフは身震いして傍らに座っているジュリアの肩を抱いた。

「ペギーを置いてきちゃったよ」

 TVから目を話さずに膝を抱えてアンディが呟いた。

 可哀相なペギーはソファの下で震えながらフユを迎えた。我々はネット局のアンテナにすべてを託し命を長らえている。しかし、どうやってフユが去るのを知ることができるのかは誰も知らない。一瞬にして命を奪われるのと、情報もなく怯えながら生き長らえるのとどちらが幸せなのだろう。

 やがて世界が氷柱たまごの寒気に包まれると、フユの子供が誕生する。ただ三月の命を破壊だけに費やすために。いや、それとも、フユは捨てられているのかもしれない。この世界で断末魔の叫びを上げているのかも。


 フユは毎年やってくる。一度として欠かすこと無く。そして、だれもフユの行方を知るものはいない。

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