The S.A.S.【10-2】

「速くやろうなんて考えるな!つっかえなければ問題ない!」

「パニクったらお陀仏なのは敵も同じだ!猛攻で戦意を挫け!」

「いいぞ、最高に人殺しの顔だ!」

 食事の時間とて、無駄には出来なかった。奇跡の脳内麻薬――アドレナリンが副腎髄質から爆発的に分泌されると、人体にどういった現象が起こりうるかを仔細に説いた。個人差はあるが、極度の緊張は集中力の低下・時間感覚の喪失・視野の狭窄・大小失禁など、戦闘におけるデメリットが続出する。過剰なカンフル剤の摂取は害悪でしかない。逆に、適量のアドレナリンは認知能力の上昇・運動機能の活性化をもたらす。天然の増強剤は肉体に多大なストレスを掛けるが、文明と引き替えに退化した生存本能を底上げしてくれる。金メダリストの常連でもなければ、ホルモン分泌を司る交感神経系の制御は叶わない。それでも、極限の状況下で心身に何が起こるかを事前に聞きかじれば、律動的な思考を放り出すリスクを減じられる。口惜しい事に、用兵において真に貴ばれる要項の数々は、士官学校の大事なカリキュラムを割くに値しないらしい。兵を導く将校がその兵の人心を知らずして、どうして勝利を確約出来ようか。どんぱちの最中で老兵がうんこを垂らしたって、恥ずかしい事ではない。生き延びれば、次は水洗トイレで用を足せる。死体は下着を洗濯する権利さえない。

「お前の敵は連隊の敵だ!仲間を殺させるな!」

「撃たれてもすぐには死なない!這ってでも逆襲しろ!」

「負傷したって、味方がすぐ助けに来る!……スタン、お前自分より小さい女に殺されたぞ!」

 午後からは暇そうにしていた小隊に声を掛け、ペイント弾を使用する模擬戦を行わせた。連中は疲労から渋ったが、需品科の兵站部で仕入れたビールをちらつかせると飛び付いてきた。

 この業界ではお馴染み〈シムニション〉の訓練用ペイント弾の威力は、実弾には遠く及ばない。とはいえ、実際に銃弾が全身をどつく感覚は知っておいた方がいい。いざ戦場で撃たれた時には、次の命中弾が襲い来る前に射線から身を隠す必要がある。この退避動作を反射で行える様になったら、そいつは大量の名誉負傷章を見せびらかすだけで老後を送れる。訓練が辛いだけ、実戦は容易になる。一時の痛みが、明日の我が身を救うのだ。

 ただ計算違いだったのが、訓練兵ブリジットのど根性である。クラプトン兵卒は無数の被弾に屈せず立ち上がり、全身真っ青になりながら照準器に敵を捉え続けた。そして時間は彼女に味方し、執拗な反撃に耐えかねた仮想敵の同僚らは遂に痛みに降伏した。ブリジットの人外じみた執念が、打たれ弱い獅子を下した瞬間だ。どうした特殊部隊!一部始終を観ていたニーナが敗北者を椅子に縛り付け、噴射するビールでのインク洗浄なる懲罰が行われる。受刑者の一人が、発泡麦汁で溺れる感覚によがっていた。英国は変態まみれだ、救いようがない。

 二日目を終える時点で、ブリジットはライフルマンならぬライフルメイドへ完成しつつあった。屋内の掃討手順と立ち位置を憶え、移動しながらの射撃も十分な練度に達した。彼女が強くなる分、俺の人の心がすり減った。仲間のいびきが響く兵舎のベッドで嗚咽を漏らすまいと枕を噛んだ。

 三日目は戦闘訓練も程々に、無線通信での規則や味方との意思疎通の教練に費やした。作戦地で孤立した際に備え、付近を航行する友軍機へ救援を要請する手順を教え、古い車を盗んでエンジンを無理くり掛ける蛮行も伝授した。もっとも、これはSAS加入のずっと前に仕込まれた技能であったが。

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