The S.A.S.【7-2】

 午前八時。D戦闘中隊は、ここへ来る時と同じハーキュリーズに搭乗して、キング・ハリド空軍基地への復路に就いた。結局、作戦本部へ辿り着けなかった俺は明け方の埠頭にうずくまり、流す涙もなくすすり泣いた。デブリーフィングを抜け出したヴェストが担架を持ってきて、ダニエルと協力して車へ運んでくれた。本部へ到着すると、連隊の仲間が小隊長の不名誉な姿にざわめく。ヴェストの指示で人混みの真ん中に空間が設けられ、俺はナイロンの布を張った簡易ベッドに横たえられた。兄貴は見事な手際で、俺の左腕静脈に点滴を繋いだ。細いカテーテルを通じて、透明なパウチからブドウ糖輸液――電解質飲料みたいなものだ――と思しき液体が流入する。口から物を受け入れられないが故の、やむを得ない処置だ。これに加えてモルヒネが投与され、間もなく脳味噌に靄が掛かる心地を味わった。チョコレートさえ飲み込めない現状、手持ちで使える抗不安剤は、麻薬の姉妹品だけだった。

 数時間後、倉庫からハーキュリーズへと運び込まれた俺に、ヴェストが何本目かのモルヒネを投与した。後に聞けば、輸送機での俺は殆どラリパッパ状態で、うわごとにブリジットを呼んでいたらしい。自分の醜態は記憶に残っていないくせして、周りで繰り広げられる光景はしっかり憶えていた。滑走路を離陸したC-130の機内は、同一機体と思えないまでに様変わりしていた。見慣れた顔が、幾つも消えている。彼らと同じ数だけ、機体後部に黒色の袋が整列された。誰もが口を固くつぐみ、戦友の収まる遺体袋を見つめていた。

 ブリジットは輸送機に乗らず、親父夫妻と一緒のヘリで基地へ戻った。俺を彼女から物理的に隔離する為の、身内による手配だ。脳裏に、件のコンテナの光景が焼き付いている。目を瞑れば、暗闇に佇むブリジットの姿が目蓋の裏に蘇った。血の気なく凍り付いた面持ちの恋人を前に、俺は何の慰めも掛けられなかった。頼りない亭主の身を案じ、誰より深い傷を負ったに相違ないブリジット。その旦那は妻を支えもせず、自己嫌悪に潰れて単身逃げ出した。最低だ。

 霊柩車の飛行中はダニエルが傍らに付き従い、べとべとの俺の右手をずっと握っていた。このまま死んでも、そこだけは腐らずに保たれる気がした。彼に一時間のフライトを眠って過ごすよう奨められたが、目蓋を閉じるとフラッシュバックに寝首を掻かれそうだった。強迫観念が休息の権利を奪い、視界に満ちる現実は何処までも辛辣であった。殉死者の数は、十六に達していた。


 空軍基地の滑走路に、輸送機が接地する。車輪から伝わる衝撃が、臓器内の僅かな液体を容赦なく揺さ振る。胃液の逆流に耐えながら機体の制動を待ち、出血するまで歯を噛み締めた。機付長が後部ランプを下ろすや、点滴を繋がれたままストレッチャーに載せられ、ヴェストの舵でゆっくりと兵舎へ導かれる。満身創痍の仲間が、輸送機に横付けしたトラックの荷台へ死体袋を積む。

「今は見るな。また吐くぞ」

 クラプトン家一の色男・ヴェストの目の下に、くまが浮かんでいる。同胞の理不尽な犠牲と渦巻く疑念に、誰も眠れていないらしい。加えて、直属のボスである俺がこのざまだ。今日中にノイローゼで精神の不調を発症する者も出るだろう。D戦闘中隊は、俺の居場所は壊滅寸前だった。

 兵舎に搬送されてから、更に一時間が経った。開け放たれたままのシャッターから射し込む朝日に、隊員らの曇り切った顔が照らされる。空になった点滴のパウチとカテーテルをヴェストが取り除き、防水の絆創膏が前腕に貼られた。

「兄貴、ブリジットは何処だ……?」

「自分の身だけ案じていろ。彼女は無事だし、親父とニーナが付き添ってる。まだ会うな」

 その声に感情は籠もっておらず、他者を慮るだけの余裕がなかった。兄貴でさえこのダメージだ、他の連中は、満足な意思疎通さえも難しいだろう。

「ダニー、ヒルの身体を洗ってやれ」

 余力でそれだけ言い残すと、兄貴は自分のベッドに突っ伏した。ダニエルの助けでストレッチャーを下り、九十キロの体重を預けてシャワー施設へと向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る