The S.A.S.【6-6】

 腕時計の針が、午前二時を回っていた。足下を銃のライトで照らして埠頭へ降りると、異様な光景を目の当たりにした。先に船を降りていたSASとは別に、我々と同じ砂漠戦闘服の集団が、貨物船へ大挙して向かってくる。その数、およそ五十人。それだけの人員が、今の今まで火力支援もせず、実働部隊に存在さえ知らされていなかった。誰も戦闘ベストを装備しておらず、手には英軍制式ライフルのSA80を携えている。我々同じ陸軍らしき団体は、船体中央のタラップから続々と貨物船へ乗り込む。我々と、入れ違いの形で。その被服に、部隊章は確認出来なかった。

「ヒルバートさん、やっぱりこれ変ですよ。だって……」

 愛弟子の言葉を黙殺し、平静を装って歩き続ける。貨物船から三百メーター離れたところで、怯えを露わにするダニーへ耳打ちした。

「今回の作戦に関する話は、クラプトンの血筋にだけ言え。絶対に他のやつらとの会話に出しちゃ駄目だ。いいな?」

 珍しく鬼気迫る上司を前に、ダニーはこくこくと首肯する。余計に不安を煽った罪滅ぼしに、そっと肩を抱いてやった。

「もしかすると、かなりやばい動きがあるのかもな」

 舎弟は無言で頷き、何もなかった様に元の歩調で着いてきた。大事な子分を惑わせる不穏分子の存在に、ふつふつと怒りが再燃し始めていた。


 大分先を歩く仲間の背中を追う最中、数時間中に得た情報と文字列が、頭の中を駆け巡っていた。ダンマーム港。貨物船。穀物。ブレナン空軍中将。パーシーとデイヴ。武器の密輸。大量破壊兵器……。にわかに視界から白と黒以外の色が抜け落ち、軽い目眩を覚えた。これを見逃してくれなかったダニエルが肩を貸し、不甲斐ない上司を立ち直らせた。

「身内だけで十人は死んだんだ。あんたも早く休まないと……」

 情けない返事に喉を震わせようとし、それに示し合わせたかの如く、携帯電話が振動した。空いている手で確認すると、ショーンの名前が液晶に浮かぶ。厭な予感がした。通話ボタンを押し込むと、ショーンは先と同じ声音であった。

「どうした、今から本部へ戻るんだが」

〈ああ、その、何だ。さっき言いかけた事なんだが……〉

 船倉に突入する直前のやつだ。

「悪いけど、帰ってからにしてくれ。頭がもうぐちゃぐちゃなんだ」

〈俺はまだ狙撃地点にいる。それに、ブリジットに関する用事だ〉

 恋人の名で、心臓の活動が急速に促進された。

「……無事なのか?まさか、流れ弾でも受けたんじゃ?」

 思わず声が裏返った。電話を握る手に脂汗が滲み、背筋が総毛立つ。

〈いや、彼女は元気だ。怪我もない。だから落ち着いて、今から言う場所に来てくれ〉

 ブリジットが五体満足と聞いて、安堵に胃の空気が鼻腔を抜けた。それだけでお花畑になっていた俺を余所に、ショーンが語を継ぐ。

〈そこから右手に、ガントリークレーンが見えるな?北に百五十メーター進め〉

「こっちが見えているのか?迎えに来てくれりゃあいいのに。夜中に狙撃手を見付けるのは骨が折れるぞ」

〈出来ればダニーも一緒に来い。余り時間は取りたくない。ライトは点けるな〉

 俺の不平に応じる素振りもなく、電話は切られた。公共機関の受付みたいだ。ダニエルに目で意見を求めたが、怪訝に肩をすくめるのみであった。


 月明かりの下、殆どダニエルに寄り掛かって指定された地点に到達すると、狙撃銃を抱えるショーンが物陰から顔を覗かせた。付近のコンテナのに、狙撃で使った折り畳みの梯子が立て掛けられている。立派に狙撃兵の職務を全うした弟は、混迷に淀んだ面持ちであった。

「それで、本部じゃ話せない話ってのは?」

 ショーンは逡巡すると、着いてくる様に手振りで促した。その背をダニエルを歩行器代わりに追い、今日だけで幾つ見たやも知れぬ、赤褐色のコンテナへと案内される。両開きの扉の下に、ねじくれた南京錠が転がっていた。

 ショーンは一言もなく、コンテナの扉を静かに開いた。光源のない内部に、かすかな人の気配が感じられた。ショーンの手の中で緑色のサイリュウムが音を立てて折れ曲がり、鉄の箱の中身がぼんやりと明かされる。――ブリジット。表情がいやに固く、左頬に泥こそ付着しているが、愛した少女は至って健康に見えた。

「ただいま……怪我はないか?辛かったろう、早く基地へ帰ろう」

 ダニエルの補助を離れて、彼女の許へと歩み寄る。一歩、二歩……。彼女をこんな目に遭わせた責任は、少なからず自分にある。まずは謝り、それから強く抱き締めてやろう。戦線後方でどうしていたか、気の済むまで聞いてやろう。

 三歩目に右足を蹴り出すと、爪先に柔らかい感触があった。ブリジットの傍らには、コーヒー豆の麻袋が積まれている。同じものだろうと当たりを付けて、足許を確かめた。――こんな未来は、想像し得た筈だった。どうしたって俺は、こうも脳天気でいられたのか。

 足下の異物を認識して、瞬間的に感情が抜け落ちた。死体だ。光を失った黒い瞳が曇る、中東の民の遺骸が二つ。双方が、AK47を握ったままの姿で転がっていた。

 親父に拾われるまで、俺はテロリストの操り人形として生きてきた。それが今更になって、糸の切れた人形なんて直喩を実体験している。膝から崩れてコンテナの内壁に身を預け、尻餅をついて座り込む。脳からの信号が、神経細胞を伝わらない。全身に力が入らず、瞬きも、眼球さえもが動かせなかった。

「ヒルバート様……」

 これは悪い冗談だ。幾ら何だって惨過ぎるじゃないか。目を覆いたくなる現実が、彼女との幸福に彩られた記憶を塗り潰してゆく。

 頬に付いた、黒い汚れ。あれが泥の跡なんかなものか。自作した爆弾が、初めて人を殺した時の嫌悪が去来する。自責、後悔、驕り……身を以てしても、贖い切れる過ちではない。

 自分が凶弾を喰らうのに、どうという事はない。だけど、彼女は軍人ですらない。二十歳を迎えて間もない、ただの女の子だ。偶然に俺と出逢い、物好きに俺を愛し受け入れてくれる、少し変わり種なだけの、大事な恋人だ。それを俺は――

「……これが、私の選んだ道です」

 ――俺はブリジットに、人殺しをさせてしまった。

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