The S.A.S.【6-5】

 船倉と通路を隔てる水密扉に窓はなく、内部の構造は窺えない。鉄扉を挟んだ向こうで敵が待ち伏せを仕掛ける確率は、ほぼ一二〇パーセント。俺がテロリスト側でも、ここで頭数を削る判断を下す。水密扉のハンドルに手を掛け、ドアの軋むロックを解除する。あと少し腕に力を入れれば、鉄扉がヒンジに従って外開きになる。

「エコー・ワンよりゴルフ・ツーへ。合図で扉を開ける。フラッシュバンを惜しむな。三……二……」

 レスピレーターの内側を、粘ついた呼気が満たした。

「一……開け!」

 叫びつつ、左脚を軸に鋼鉄の扉をドア枠から引き剥がす。全力で引っ張った扉の先に、雑多な船荷を積んだ船倉が視界を満たす。左右の壁を金網足場が走り、船倉を横切って渡された一本が、壁の二本を結んでいる。俯瞰するとHの形を描く足場は腰丈の手摺りがあるだけで、足を踏み外せば、五メーター下の床に叩き付けられる。対角線を結んだ先に、俺と同じく水密扉を引くゴルフ・ツーが確認出来た。

 ドア枠に隙間が生じるや、ダニエルが手にしたフラッシュバンを放り込み、ジェロームが船倉へ躍り込む。間髪入れずにダニエルも武器を構え直し、大音響に乗じてドア枠をくぐった。二人に続いて船倉へ押し入り、踏面の狭い階段を駆け下りる彼らの掩護に銃口を巡らせる。ゴルフ・ツーが開いた扉の真下で、フラッシュバンに網膜と鼓膜を殴られた敵が身悶えている。照準器に敵の胸部を捉え、引き鉄を引き絞る。が、突然足下から火の手が上がり、狙いを外した銃弾は標的の額に風穴を空けた。発火の原因は、突入時のフラッシュバンにあった。マグネシウムの燃焼が床の油に引火して、俺の足下でボヤが生じていた。まだ階段の途中にいたダニーが尻を焼かれ、素っ頓狂な悲鳴を発する。難燃性の被服でなければ、大火傷を負っていた。

 上方から敵の位置を報せる為、俺は足場から降りずにジェロームとダニーの支援に当たった。炸薬と炎で白黒の煙が渦巻き、有毒の気体が船倉を満たす。戦闘狂と化したジェロームが狼狽するテロリストを冷徹に屠り、ライトを明滅させながらブリッジ方面へ突き進む。フラッシュバンが空間を打ち震わせ、巨大な密室を混沌の支配下に置いた。爆風で照明が割れ、揺らめく炎が隊員の黒い影を内壁に投影する。叫び喘いでいるのは、犯罪者だけだ。これが、スペシャル・エア・サービスにちょっかいを掛けた愚者の末路である。

 フラッシュバンの直接被害を免れた敵がコンテナの陰から自動小銃を突き出すも、特殊部隊が放つ小銃弾に、続々と顎を撃ち砕かれる。軽量な五・五六ミリ弾とはいえ、たかが数十メーターで狙点がずれては困る。俺が射出した二発の弾丸は、狂いなく敵の顎関節とこめかみを撃ち抜いた。小口径高速弾に倒れた敵へジェロームとダニエルが止めを刺し、高低差で地の利を得た我々は、行く先に塞がる敵を着実に仕留めていった。

 閉所での強襲が実現し、足場からの情景は狐狩りの如く映った。狩猟との相違があるとすれば、娯楽性が復讐の憤怒にすげ替えられている点だ。我々の仲間は、敵の処刑を粛々と遂行している。表面上は、職務に徹している様にも取れる。されど、ベテランの隊員は知っている。同胞の死後、彼らの胸の内で行き場を失った憤懣は、仲間との傷の舐め合いでしか昇華しない。我々が恐れるのは、凶弾による自らの死ではない。身内の犠牲が心苦しいからこそ激情の手綱を握り締め、彼らの敵を排除するのだ。

 サプレッサー着きの銃身から音速を超える弾頭が飛翔し、不安定なジャイロ運動を帯びた飛翔体が敵を殺傷する。皮下組織は勿論、砕けた肋骨さえもが対象の筋細胞・臓器を抉る。断片化(フラグメンテーション)によって著しく破砕した弾頭は、その一つひとつがガラス片の様に体組織を切り刻む。心臓や肺が損傷すれば、酸素を含む血液が脳まで到達しなくなる。諸説あるが、人間は体内の三十パーセントの血液を失うと、俗に言うショック死の危機に陥る。大量失血は即時に恒常性へ深刻に影響し、見当識障害で夢現の境も知れぬまま脳死する。吸血鬼殺しの手法は、現代の人間にも通用するのだ。

 兵力が底をついたのか、船体中央に近付くにつれて、敵の攻撃が目に見えて衰えてきた。残党は戦術的な機動を捨てて一つに固まり、我々を寄せ付けまいと闇雲に連射を放つ。弾幕を張るにしても、効果範囲を見誤っている。遂に船体中央でゴルフ・ツーの面々と合流する頃には、敵は僅かに四人が残るばかりであった。残敵は一様に浅黒い肌の中東、或いは中央アジアの生まれで、その内の一人は絶えず嗚咽を漏らし、大便失禁を催していた。他に残敵がいないか見渡し、俺も船倉へ下りる。

「エコー・ワンより全部署へ。一旦、攻撃を控えろ。この騒ぎのあらましを知る為に、捕虜を取りたい」

 一秒と要さず、シェスカは拿捕の権限を考える間もなく寄越してくれた。捕虜に取るなら、情報を持っていそうなやつを選びたい。遮蔽物越しに、各々の人相を窺うと、グレーの作業帽を被った男が最も有望であった。AK-74を極端に短縮した『クリンコフ』を持ち、落ちくぼんだ皺だらけの目許には他の三人にない、確固たる抵抗の意志が残っている。訓練された立ち回りと頻繁な指示を見る限り、そいつが現時点で最も指導者に近い立場だ。

 こちらの視線に気付いた暫定指導者が、クリンコフで掃射を仕掛けてきた。遮蔽にしたコンテナを小口径弾が叩き、弾片がそこかしこに散る。PTTスイッチを握り込み、敵の拿捕に備えて呼吸を整えた。

「総員、敵は残り四人だ。一人だけ、作業帽でクリンコフを装備したやつがいる。そいつは殺すな」

〈了解。フラッシュバンの残りは?〉

 ゴルフ・ツーの指揮を務める、舟艇小隊の隊長が尋ねた。

「俺が一個持っているだけだ」

〈こっちはゼロ。タイミングは任せる〉

 舟艇小隊からのゴーサインが出た。胸のポーチに収めた最後のフラッシュバンを握り、安全ピンを抜き捨てる。全身の筋肉を集中させ、予定された動作をイメージする。自分の中で全てが整う感触を掴み、無線のスイッチを押し込む。

「投擲する」

 紙屑を放る要領で、目くらましが手から離れる。空中で安全レバーが弾け飛び、本体が敵の潜むコンテナの裏へ落下する。一弾指の間の後に、暴力的な白光がテロリストを呑み込む。ゴルフ・ツーから二人の舟艇隊員が敵へ接近し、数発の弾丸を差し向ける。ダニエルが遮蔽から大きく身を乗り出し、壁に張り付いた敵へ速射を食らわせる。着弾の度に首を揺さ振った男は、血の帯を壁に引いてくずおれた。

「ボス、今だ!」

 ダニエルの合図で床を蹴り、標的との距離を一気に詰める。数メーターを駆けた勢いをそのまま拳に乗せ、耳孔から血を流す男の顎を殴打する。男が反射的に引き鉄を絞る前に、銃を持つ腕を捻り上げて射線を反らす。クリンコフがすぐ目の前で火を噴き、戦闘服越しに発射ガスが髪を焼いた。残弾を撃ち尽くしたタイミングで股間を蹴り上げると、テロリストは激痛に身を折った。下がった頭に膝で回し蹴りを打ち込み、怯んだ隙に腰の捻りでクリンコフをもぎ取る。複数箇所への連撃に喘ぐ男への追撃に、バットに見立てた床尾を振り抜く。木製の床尾が男の左肩をいい角度で直撃すると、肉の奥から骨の砕ける音が漏れた。うつぶせに倒れた両腕をねじり上げ、樹脂製の手錠を二重に掛ける。一本は手首、もう一本は肘の辺りをぎりぎりまで締め上げる。折れた肩を無理くり引っ張ったせいで、男は落涙ながらに英語で罵倒してきた。F爆弾の連呼ではなく、まっとうな教育を受けた人間と思しき言い回しであった。――大当たりだ。

 船倉の制圧が本部へ通達されると、上層にいた仲間が押し寄せて安全確保を行い、死体全てに宵越しの鉛弾を喰らわせた。多様な姿で横たわる死体の数を計上すると、船倉だけで実に十三の骸が作られていた。甲板とブリッジの人数を合わせると、親父の得ていた情報とは食い違いも甚だしい。

 死体の中に重要人物はおらず、アジア系、中東系、アフリカ系と人種が混在していた。船倉の敵が装備していた火器は何れもAKファミリーで、破片手榴弾がポケットから出てきた者もいた。遮蔽物が充実していながら使ってこなかった点を考えるに、積み荷の誘爆を恐れたのやも知れない。ともすれば、大量破壊兵器の存在も真実味を増す。フラッシュバンで誘爆が起きなかったのは、不幸中の幸いであった。


 フラッシュバンで生じた火を消火し、連隊の面々はレスピレーターを脱ぎ去った。ペットボトルの水を息継ぎなしに飲み干すと、人心地がついた。戦闘が終わり、アドレナリン分解後の抗い難い疲労が肩にのしかかる。船室を走査して殺し忘れがないか再確認し、ゴルフ・ツーと我々エコー・ワンは積み荷の調査に取り掛かった。こういう時こそ、ジェローム君は役に立つ。末弟が「これ!」と、玩具店に来た子供みたいに、数あるコンテナから一つを指差す。それを合図に、我々はボルトカッターやハリガンツール(消防用の多目的破壊器具)を振りかざす。扉の隙間にハリガンツールの刃が食い込み、ボルトカッターで南京錠が破壊され、缶詰よろしくコンテナがこじ開けられる。開扉と共に、埃と古い木材の臭いが漂う。中身を照らすと、親しみ深い深緑色の鉄の箱と、長い直方体の木箱が多数積まれていた。傍らで、ジェロームが鼻高々に胸を張る。はいはい凄いよ、わんこちゃん。木箱の中身を検分すると、予想通りにRPG-7(ソ連製対戦車擲弾発射機)の弾頭と、その発射筒が詰め込まれていた。成る程、誘爆が怖い訳だ。一同が次のコンテナへとガサ入れに取りかかったタイミングで、作戦本部が無線を寄越した。

〈全隊、至急帰投せよ。繰り返す。D戦闘中隊は即刻、作戦本部へ帰投せよ〉

 何者かに言わされた感のあるシェスカの伝令が切れると、仲間同士で顔を見合わせる光景が広がった。「どういう訳だ」「積み荷の調査はどうなる」「うちの兵站部門が引き継ぐのかも」「どうでもいい。早く仲間を弔おう」様々な疑念と憶測が飛び交い、皆が当惑を示していた。ダニエルは唇を噛んで得心のいかぬ面持ちであったし、実は兄弟でずば抜けて高いIQを誇るジェロームが、悩み過ぎて締まりある美男子の顔になっている。よくない流れだ。どうにか表面上は平静を装い、手を打ち鳴らして仲間に傾注させる。

「お局様がそう仰るんだ、四の五の言わずに戻れい」

 各自、思うところはあるだろう。しかし小隊長が帰ると言うのだから、思案を巡らせるのは別の部署に任せればいい。そうやって関心の方向を反らしてやる事で部隊は作業を中止し、敵の死体と危険物を捨て置いて足早にデッキ側の階段を上がった。連行される捕虜が何か言いたげだったが、口を粘着テープで封じているので、うんこをひり出す声にしか聞こえなかった。

 仲間の背中を見送り、自分も本部へと歩もうとした折であった。最後まで付き従って残ったダニーが、消え入りそうな声で呼び止めてきた。

「ヒルバートさんは、その……今回の件について、何も聞いてないんですよね……」

 根が真面目なダニエル・パーソンズ伍長は、お気楽突撃馬鹿が納得する命令を、考えるだけ無駄というを道理を鵜呑みに出来なかった。そういう感情にほだされやすい部分が可愛いやつだが、若い内から懊悩しがちなのは心配である。

「……敵が二十人以上いるとか、SAMを装備していると知っていたら、端っから歩兵大隊をぶつけろと、お上に掛け合っていたさ。この作戦は、最初から潜入調査なんか予定しちゃいなかった。うちの親父もあずかり知らない、連隊の外で誰かが手ぐすねを引いている……。奥底では、誰もがそう思っている筈だ。不安なのは、お前だけじゃない」

 舎弟の肩をぽんと叩き、今度こそ帰路へ就く。数秒遅れて、ダニエルが後を着いてきた。


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