The S.A.S.【6-4】
最大の案件は解決していないが、ブリジットの後送は幾ばくかの復調をもたらした。味方も敵の不意打ちから持ち直した様で、後方から四門の車載機銃が敵の攻勢を削っている。貨物船へ飛びゆく無数の曳光弾が、濃藍の空を引き裂く。制圧射撃は助かるが、敵戦力の実情が不明な現実に変わりはない。差し当たっては、迅速な上甲板の制圧が先立つ目標となる。
「水分を補給しろ。しばらくは休めない」
「あのどんぱちの真っ只中に行くってのか?」
小隊長の正気を疑うダニエルが、目を白黒させた。とうにスイッチを切り替えていたジェロームは落ち着き払い、無言でレスピレーターを装面する。
「現実逃避するのは勝手だが、冷静に考えろ。敵の反応から、連隊の奇襲が事前に察知されていたのは確実だ。だのに損害を顧みず、あの空軍中将は俺らに特攻を仰せだ」
「……臭うよな?」
ジェロームのレスピレーターのレンズが、ぎらりと輝く。三十年も女々しい性質を続けていると、否応なく女の勘というのが身に付く。そこに加えて、ジェロームが野生由来の蟲の報せでお墨付きをくれた。一度は冷め切った肉体に、アドレナリンの第二波が火を灯した。
「エコー・ワンより全部署へ告ぐ。ブリーフィングの内容は忘れろ。動ける者は、片っ端から貨物船に殴り込め」
PTTスイッチから手を離し、携帯電話で親父を呼び出す。
「おい親父、作戦指揮のトップにくそ将校が置かれた理由は後で問い詰めるとして、一つだけ教えてくれ」
顔こそ見えないが、電話口で苦悶する息遣いが悟られた。
「……この状況は想定内か?」
重い沈黙の後に、クラプトン少佐は言葉をひねり出した。
〈全く以て想定外だ。貨物船に戦闘員がいたとしても、十人にも満たないというのがお上の弁だった。対空ミサイルまで積んでいるとは、誰も思い至らなかったんだ〉
「それだけ聞ければ十分だよ、ありがとう」
十中八九、この作戦の不手際を理由に、親父は何らかの責任をなすり付けられる。その理不尽が分かり切っているからこそ、今の親父に不要な謝罪の暇を与えてはならない。携帯電話を仕舞い、士気の落ちている舎弟の脇を掴む。
「立てよ兄弟。一番槍の使命を果たすぞ」
気落ちするダニーのヘルメットに、映像記録用のカメラを取り付ける。託された任務がある以上、こいつはもう逃げられない。
「シエラ・ワン、船上の様子は?」
〈甲板からの攻撃は収まってきた。だが、ブリッジ(艦橋)付近で動きがある……。やつら、港に降りて後方部隊を攻撃するつもりだ。俺だけじゃ手に負えない、狙撃に応援を寄越してくれ〉
シエラ・ツーのマシューが戦闘不能に陥った今や、偵察の重荷全てがショーンに課せられていた。
「了解。ゴルフ・チームは狙撃手を一人手配、接近する敵の排除に当たれ」
〈アルファよりエコー・ワンへ。本作戦において、貴殿に小隊レベル以上の権限は付与されていない。各部署への増援は、こちらで編成が終わり次第――〉
「え、何ですって?すみません、通信状況が!」
見え透いた演技で、全体無線の周波数を切り替える。ジェロームが窮地に似つかわしからぬ、にやけた面を向ける。
「士官失格だねえ」
「お前の兄ちゃんだからな」
話の通じないお上が作戦を牛耳るのはしょっちゅうだが、さりとて戦況を目視しているのは現場の兵士である。大概の文句には付き合ってやるものの、刻一刻と変わる戦場では、無益な議論に割く一秒が惜しい。兵士は観覧席の将軍より、現場の指揮官の選択を重んじる。使えない堅物と不毛に殴り合う必要はない。その為に、我々は緊急の周波数を設定していた。後で大目玉を喰らうのは必至だが、体裁に構っていられる状況ではない。
十数秒もすると、盟約に従って連隊の兵士が新しい通信チャンネルに入ってくる。
〈ゴルフより全部署へ。狙撃要員を二名配置した。座標の開示が出来ない為、同士討ちに留意せよ〉
〈ゴルフ、支援に感謝する〉
お上を通信から締め出す判断が功を奏し、ショーンは生き長らえた。この程度の小細工が通じる道理はないが、我々の通信担当もやり手だ。手練手管で時間稼ぎを行い、ブレナンを我々から遠ざけてくれるだろう。各部署の態勢が整う頃合いを見計らい、潜入班へ連絡を飛ばす。
「オクトパス、被害状況を報告しろ。オクトパス?」
応答はなかった。現実的に考えて、捕虜に取られたとは考え難い。怨敵の見えざる手に、御し難い怒りがこみ上げる。
SAMの脅威から、観測ヘリによる低空偵察は失われた。戦闘の主導権は変わらず、正体不明の敵勢力が有している。この不利を打破するには、第一に船上へ吶喊して上部構造を制圧、ブリッジの無力化が不可欠だ。頭数の減少による戦力の弱化は、少数部隊による機動で補う他にない。
「こちらエコー・ワン。船尾のタラップより、上甲板へ突入する。掩護してくれ」
各部署からの応答を確認すると、ジェロームが背中にたすき掛けした殺戮兵器を構えた。
「尖兵は任せな」
その手に握る〈ベネリ〉を前に、反論は無意味であった。
先頭からジェローム、俺、腹を据えざるを得なかったダニーと並ぶ縦列
を作り、〈ダイソン〉の小型掃除機に似た機材を取り上げる。
「ちくしょう、さっさと帰るぞ……俺は帰るんだからな」
半ばやけくそのダニーをなだめ、ジェロームの肩越しにダイソンもどき――〈ダネル〉のMGL-140グレネードランチャー(擲弾筒)を構えた。目標までの距離を小型の測距儀で設定し、船尾のタラップへ六発の擲弾を投射する。直径四十ミリの円筒が緩やかな放物線を描き、船上のコンテナにぶつかって弾ける。射出した弾頭は、殺傷目的の榴弾ではない。暴徒鎮圧に使用される、CS(催涙)ガス弾だ。上甲板から粘膜を苛む霧が立ちこめ、アラビア語の罵声が上がった。
「エコー・ワンより全部署へ。船上に催涙ガスを展開した。これより突入する」
〈エコー・ワン、了解。ゴルフ・ツーが船首側を担当する。船尾を攻略せよ〉
聞き慣れた女性――シェスカ・エヴァンズが、我々の通信網に戻ってきた。どうにかして作戦本部を抜け出し、余っている衛生通信機を調達したのだろう。
俺の合図を待たずして、切り込み役のジェロームが駆け出す。ダニエルと俺がそれに続き、貨物船との五十メーターを詰める。錆び付いたタラップの階段に到達すると、船首側でもCSガス弾の炸裂が立て続けに起きた。ゴルフ・ツーの、ブリッジ攻略に先立っての制圧射撃だ。タラップの段を幾つも飛ばして跳ね上がり、エコー・ワンは白煙の充満する敵陣へ踏み込んだ。
上甲板に上がるや、袖口や裾から侵入するCSガスが皮膚を焼く。銃に装着したライトを頼りに、濡れた船上を音なく移動する。まず取り掛かるのは、狙撃手の死角に潜む敵の排除だ。前方のコンテナの陰から、化学物質に咳き込む男がふらりと現れる。片手には自動小銃。そいつは海中へ逃れようと、船縁の手摺りにを手探りしていた。男の手が手摺りに触れたところに、ジェロームのベネリが火を噴く。至近距離でショットガンの挨拶を浴びた頭から、毛糸の帽子が海へと落ちる。追撃を掛けて、生死を確かめるまでもない。文字通り、男は頭部の上半分をもぎ取られていた。うちの四男坊の精確な射撃に、痛みを覚える暇もなかっただろう。くそ野郎が、一人死んだ。
たった一発を皮切りに、敵の優勢に綻びが生じた。ガスに巻かれて嘔吐する敵を、ジェロームが片っ端から処理する。甲高い発砲音とオレンジの煌めきがほとばしり、ならず者の側頭部がべこりと抉れる。オイルで濡れた甲板が、別の赤い粘りを帯びる。頭蓋の骨片が足下に散らばり、あらゆる構造物にピンクの脳がへばり付いていた。六発目の散弾が発射される。ショットガンの弾切れでジェロームが最後尾に移動し、俺が交代で先頭に立つ。ガスが薄まった船上を照らす光芒の先、赤黒い染みの付着したコンテナの陰に、何かが転がっている。銃口を向けて近付くと、不快に目許が引きつった。舟艇小隊から選別された、オクトパスの二人だ。ドライスーツに包まれた骸は冷え切っており、土気色の唇を伝う血が固まっている。脇に放られたMP7に、発砲の形跡は見られなかった。
「こちらエコー・ワン。船尾でオクトパスを発見した。二人とも死んでる」
作戦本部は淡々と、潜入班の死亡を復唱した。背後のダニエルにか感情の揺らぎが窺えた。だが、作戦行動に差し障りのあるレベルではない。どの道、これ以上の欠員を許容する余地はない。後で遺体を回収する為、目印に黄色のサイリュウムを残して、戦友の脇を抜けた。
船首側のブリッジからも、ショットガンの怒号が響く。ひと度崩れた形勢は、容易くは戻らない。それに、連隊は敵に情けを手向けない。ショットガンへ再装填するジェロームを背後に、船内と甲板を隔てる水密扉のハンドルに手を掛けた。分厚い丸窓の奥の廊下では、薄暗い裸電球が転々と灯る。廊下の左右には、船員の個室が規則的に設けられている。ジェロームの装填完了が告げられ、俺は水密扉のハンドルを捻った。
「エコー・ワン、貨物船内部へ進入した」
事後報告を簡潔に済ませ、個室を一つずつ調べていく。人員が三人に限られている為に、作業速度は芳しくはなかった。装備も限られている故、個室一つひとつにフラッシュバンを使ってもいられない。安全を確保した部屋には、目印として緑のサイリュウムを床に残す。六つの個室全てに敵はいなかったが、これが幸と映るほど、楽観出来る状況ではない。
個室の並ぶ廊下の奥に下り階段があり、ショットガンを構えるジェロームを再び先頭に、ライトを消してそろりと船の深部へ進む。上方では尚も銃声が轟くが、下層は不気味なまでに静まり返っている。不衛生な臭いの籠もった階段先はほの暗く、老朽化した壁から青緑の塗料が剥げていた。
配線が剥き出しの通路を抜き足に、入り組んだ船室を確保する。船員の気配は窺えず、トイレやキッチンまで調べるも、敵の姿はなかった。我々三人が訝しみ始めた頃に、ゴルフ・ツーがブリッジ、船の上部構造を制圧した報告が為された。彼らが接触・射殺した敵は十二人で、エコー・ワンが射殺した数と合わせると、二十弱となる。貨物船の規模からして、乗員がそれで全部だとしても納得はいく。反して、それ以上としても何ら不思議はない。事実、ジェロームは先天的な導きから、更なる敵の存在を確信している。ここまで用意周到に我々に泡を食わせ、あまつさえヘリまで墜とした連中が、これで終わりとは考え難い。それに、上層部欲する積荷の目録も見付かっていない。
全体へ状況を中継しつつ、下へ下へと潜ってゆく。ゴミや衣服が散乱する船内は、正しく迷路に等しかった。本来あってしかるべき見取図が事前に用意されていれば、要らぬ苦労だ。労して船倉へ繋がる水密扉を我々は発見し、ゴルフ・ツーがその反対側の扉へ到達するのを待つ。CSガスや汗を吸った肌着が、不快な感触を生んでいる。股間の汗の蒸散に苦心していると、ヘッドセットのスピーカーをショーンが震わせた。
〈ヒルバート、その……〉
秘匿性を破って名指ししてきた弟は、煮え切らない口振りであった。
〈……いや、やっぱり気にしないでくれ〉
わざわざ呼び出しておきながら無理難題仰せだがあるが、今はそれどころではない。ショーンの通信からきっかり十秒後、ゴルフ・ツーが船倉への突入準備を完了した報せが寄越される。通信越しに、隊員の怒りが頂点を迎えるのが察せられた。
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