The S.A.S.【6-3】

 業火の熱波が押し寄せるコンテナの陰で、俺達は完全に足止めを喰っていた。空の支援は、無人偵察機を除いて撤退した。低空の見張りがいなくなった為に、敵の銃火が息を吹き返す。やつらは我々を全滅させるつもりだ。

〈アルファより全部署へ。負傷した隊員を回収、即刻撤退せよ〉

 作戦本部の指令はもっともだが、如何せん俺達エコー・ワンは現在地に釘付けにされていた。貨物船との距離は五十メーターと離れておらず、墜落したヘリが明かりとなって、こちらの動きはだだ漏れだ。対して敵は定点カメラの如く構えて、孤立した我々を高所から撃ち下ろすだけでいい。圧倒的優位を握られていた。車輌の撃破と同時に、エコー・ワンの存在がやつらの認識から外れた点だけが、唯一の救いであった。

「ダニー、車は使えそうか?」

 救命の義務に駆られるブリジットをなだめすかす舎弟は、黒い目を伏せた。

「車体にもでかいのを貰ってます。まともに走らないでしょう」

 この弾幕の中、死体を連れて遮蔽のない埠頭を走るのは自殺行為だ。おまけに重機関銃から身を守るとなれば、歩兵戦闘車並の装甲が必要となる。空からの脱出は断たれている。籠城戦をやるには兵力が足りないし、こちらは爆発物を一発食らうだけで全滅する。そこへ持ってきて銃こそ持っているが、非戦闘員であるブリジットまで抱えている。一触即発の危機的状況だ。

「こちらエコー・ワン、貨物船の付近で身動きが取れない。新しい車輛を手配してくれ」

 燃え盛るヘリの墜落地点に、ダニエルが発煙手榴弾を投げやる。数秒後に白煙が灰色の缶から噴出し始めると、赤光を覆い隠す煙幕が展開された。

「死傷者も含めて五人を運べる車輛を――」

〈全部署へ次ぐ。撤退は許可出来ない。繰り返す、撤退は中止だ〉

 声は女声――ショーンの恋人たる、シェスカ・エヴァンズのものではなかった。毒蛇のように冷たく、人の気を感じさせぬ物言いの男声。記憶が確かであれば、ブリーフィングの時のRAF将官、ブレナンの口から出た音であった。そんな馬鹿な命令があるか。

「お言葉ですが、現時点で四名の死傷と、ヘリ一機の墜落が認められています。潜入班を即刻回収、速やかに戦闘区域を離脱するべきです」

 煙幕の粉塵に咳込みつつ、現場のあずかり知らぬところで指揮権限を強奪したブレナンに無線越しで詰め寄る。

〈観測ヘリが撤退の際に、敵の重機関銃の無力化を確認した。狙撃と車載機銃の掩護の下、貨物船を制圧せよ。撤退は認めない。貨物船の敵対勢力を無力化せよ。尚、NBC兵器の存在が考慮される以上、ロメオによる空爆は不可能だ〉

 一方的に無線を切断されると、にわかに全通信網が静まった。隊員毎に脳の巧拙はあるが、誰もが一つの答えに絶望した。この作戦の操舵輪は、とうに失われている。

 アドレナリンが鎮火し、代わって底なしの疲労が血管へ押し寄せた。視界が不明瞭にぼやけ、視野も狭まった感がある。偵察機からの支援はなく、潜入班の脱出後に貨物船にロケットを撃ち込むプランBもない。敵の武装の程度も不明。分かっているのは、少なくとも卓越した特殊部隊を消し炭にするだけの装備と気勢が、やっこさんにはある事だけだ。「楽な仕事」は、歩兵大隊をぶつけるべき局勢を呈している。傍らには、武器ばかりがでかいお荷物が一つ。ブリジットは、カービンを胸に抱いて唇を結んでいる。熟考の猶予は残されていなかった。

「……エコー・ワンより全部署へ。貨物船への突入を試みる」

 ダニエルが目を剥いて振り向いた。普段は従順な猟犬が、合理を違えた上司へ反抗の意を示している。

「エコー・ツー、そちらのレンジローバーは動けるか?」

〈被弾はしていないが、どうする気だ?〉

 野蛮の裏に潜めた、ジェロームの知性的な物言いが返ってくる。海風で、先の煙幕が散りかけていた。

「墜落現場にスモークを焚いている。俺達のレンジローバーは、重機関銃に撃破されて動けない。『通訳』を回収して、後方へ離脱させてくれ」

 通信を繋いだまま、追加の発煙手榴弾を転がす。パーシーとデイヴの戦闘ベストから装備を抜き取り、ダニエルと分配する。装備を適切な場所に収め終える頃には、濃密な煙幕が再生していた。

「それから、こちらの分隊に応援を寄越してくれ。貨物船への突入に、二人では心許ない」

〈了解、三十秒待て〉

 ジェロームとの通信を終えると、今度はショーンへ向けて確認を取る。

「エコー・ワンよりシエラ・ワンへ。状況は?」

〈シエラ・ワン、あと十秒で第二狙撃地点へ到達する〉

 それでは意味がない。

「駄目だ。ブリーフィングで決めた場所は忘れろ。以後、狙撃地点の座標を口外するな」

 生煮えの事前計画とはいえ、奇襲がこうも裏目に出る偶然は考え難い。情報が漏洩している蓋然性の否定材料もない。それに、これ以上監視の眼を潰されるのは避けたい。

〈シエラ・ワン、別の位置に着いた。狙撃支援を開始する〉

 ショーンの通信とタイミングを一に、コンテナの合間を縫ってジェローム隊のレンジローバーが駆け付けた。コンテナに擦って塗装の剥げた後部座席から、ジェローム本人が飛び降りる。入れ替わりにブリジットの背中を押すと、衛生兵は強かに首を振った。

「状況が変わったんだ、大人しく避難しろ!」

 逼迫した現状を目の当たりにして尚、ブリジットは嫌々を止めない。ジェロームの分隊から、退避の催促が叫ばれる。レンジローバーのフロントガラスを、小銃弾が連打した。彼女がこの場に留まっている限り、俺は動きが取れない。上から制圧の命が出ている以上、取り得る選択肢は一つだった。演算装置が限界を訴える身で、俺は恋人の肩を掴んだ。潤んだ瞳に何を秘めているのか、理性が失せて獣に移行しつつある脳では、理解に至れなかった。

「よく聞け、ブリジット。連隊はあのくそ船を黙らせなきゃならない。現場の指揮を執るやつが必要なんだ。お前を連れていく訳にも、ここに残してもいけない。……分かってくれるね?」

 何かにつけて主人を優先させてきたブリジットが、双眸に大粒の涙を溜めていた。整った下唇が、無念に噛み締められていた。

「……心配するな、ちゃあんと帰るから。お前は後方で、やばくなってる負傷者を助けてくれ。お前にしか託せない仕事だ」

「早くしてくれ!」

 跳弾で屋根に火花を散らすレンジローバーから、オスカー・ライトの悲痛な要求が叫ばれる。今一度ブリジットの小さな背中を押すと、後ろ髪を引かれながらも、恋人は車輌に乗り込んでくれた。――それでいい。文句は任務の後で、幾らでも聞いてやる。

 戦線後方から五十口径の支援を受けて、ブリジットを護送するレンジローバーは走り去った。可能であればパーシーとデイヴの遺体も載せたかったが、敵の火勢をがそれを許す筈もなかった。二人の骸をそっと地面に横たえ、蒼白な目蓋を下ろしてやる。僅かに残した道徳心が、それを機になりを潜めた。やつらを壊滅させるには、ヒトではいられない。

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