The S.A.S.【3-2】
一旦は置いた荷物を拾い上げ、正面シャッター脇のドアから戸外へ出る。時刻は正午を過ぎたばかりで、地面の反射光が眼球を刺す。イギリスでは拝めない洗濯日和だ。ブルーシートを兵舎前に広げ、その上に遠征で使ったベルゲンや裏返した寝袋、ごてごてとポーチの着いた戦闘ベストを脱いで並べる。野郎の汗を四六時中吸ったナイロンは、誇張ではなく臭っていた。近くの蛇口にホースを取り付け、装備の汗と砂を洗い流す。どうせまたすぐに汚れてしまうのだが、路地裏のゴミみたいな臭気を撒いていたら、風下の敵に気取られる危険がある。それに、遠征の最初の数日くらいは、臭わない寝具で息を止めずに休みたい。
装備を何度かひっくり返し、隅々までずぶ濡れにする。兵舎の玄関は南向きだ。一時間もすれば、こいつらは魚の干物みたいになるだろう。最後にほつれがないか検めて、再び兵舎に戻った。
自分のベッド脇に空の木箱を置き、その上でC8カービンを分解する。C8は、〈コルト・カナダ〉が先発のC7ライフルを短縮した銃だ。米軍制式のM16が原型で、五・五六×四五ミリの弾薬を使用する。誕生より五十年の歳月を経て尚も寵愛を受ける逸品ではあるが、第三世界での戦闘には向かない。確かに、高い命中精度と脅威の軽量は秀逸だ。リュングマン方式と呼ばれる発射機構は部品点数が少なく、新兵でも容易に整備出来る。だが、特殊部隊の荒っぽい用途に適しているとは言い難い。
何を隠そうこのリュングマン方式、堅実性に重きを置く軍用銃に導入されながら、汚れにめっぽう弱いのだ。第二次大戦まで主流であった、大都市部での戦闘であれば問題はない。であるが、昨今の歩兵が直面する第三世界は密林と泥濘、砂礫に覆われた風土である。特に砂漠では、部品が大小の砂粒を噛んで動作が滞り、カタログ上の性能は望めない。昨晩の襲撃でもスタンが動作不良に見舞われ、RAFの到着までずっとぶつくさ言っていた。「愛が足りないんだ」と冷笑してやったが、この遠征で俺も三度ほど動作不良に見舞われている。その都度、弾倉を外し、可動部をがちゃがちゃやるのだ。イラクやアフガニスタンとに派遣された同胞には、優先的に最新装備である〈ヘッケラー&コッホ〉のHK416カービンが支給されていた。個人的に好みの見てくれではないが、D中隊の玩具より頼もしいのは間違いない。うちの予算もアメリカくらい潤沢なら……と夢想したところで、かぶりを振って泣き言を霧散した。ううっ、貧乏が憎い。
分解したC8に製造番号とメーカーの刻印はなく、茶色で「14」の番号が振られている。ソルベント(銃の洗浄溶剤。猛毒)で銅や鉛の残渣を浮かせ、水を張ったバケツですすぐ。表面を磨いて水気を切ったら、銃の心臓部たるボルトに、大量のドライオイルを吹き付ける。米軍のお偉方は「ボルトは常にウェットな状態に保て」と仰せになるが、これは誤りだ。通常のオイルを塗布すると、べたべたのボルトに砂が付着して、まともに動かなくなる。砂漠でなくとも、寒冷地ではオイルが凍結する恐れがある。だからこそ、我々はドライタイプのオイルを塗ったくる。それでも、動作不良が生じるのが現実だが。
砂の一粒に至るまで洗い落とし、組み直した銃を見下ろすと、感嘆に吐息が漏れた。三種の茶色で施した迷彩塗装が、過酷な労働環境で剥げている。諸所で地金が顔を覗かせ、絶妙な機微を醸す。うふ、格好いいじゃないか。
しばし仕事仲間の機能美を堪能して木箱を片付け、ベッド下から個人の荷物を収めたコンテナを引き出す。銃の次は、自分の番だ。ダイヤル錠を解除すると、中には着替えと二足目のブーツ、娯楽品やお気に入りのウィスキー等が収められている。清潔な下着と洗面用具、今着ているのと同じ戦闘スモックを取り上げ、最寄りのシャワー施設へと向かった。
連隊の仲間がうろうろする敷地を小走りに歩み、時に軽やかなスキップまで交えてシャワー施設……という名目の改造トレーラーへ接近する。砂埃にまみれた車輌の傍らには、年代物の〈日立〉の洗濯機が四台並び、「お楽しみ中」の車みたいに揺れている。空いている洗濯槽に汚れた衣類を突っ込み、無臭の洗剤と柔軟剤を投入する。周りに誰もいないのを確認してから、そっと全裸になって、下着も放り込む。文字のかき消えた起動スイッチを押し込むと、魔物の雄叫びを上げて回り出す。ジェローム辺りに今の姿が見付かると後が面倒なので、タオルで前を隠して足早にトレーラーへ駆け込んだ。
脱衣所などと気の利いたバッファーもないトレーラーは、隣のシャワーとの間仕切りさえなく、男共のすえた臭いが充満していた。ほの暗い照明の中に第一六小隊の仲間が数人いたが、互いの調子を問うくらいで、歓談はなかった。他人に紳士的でいるには、自身に余裕がなければならない。だからこそ、日々の衛生は重要だ。文化的な集団生活の円満には、相互の懐の大きさが問われる。かりかりしているやつと話すなら、そいつが落ち着くのを待つ辛抱強さが試される。
粗末なシャワーのバルブを捻ると、壁のヘッドから三十度台の液体が弱々しく降り注ぐ。二週間振りの貴重な水だ、存分に使わせて戴こう。水が身体を伝い、汚濁が排水溝へ殺到する。どんなに身体を擦っても、流れる水が一向に透き通らない。ブーツを脱いだ途端に酸っぱい臭いが立ち昇り、思わず涙が滲む。引っ張り出したインソール(中敷き)に石鹸を擦り付け、必至で汗と雑菌を揉み出す。ウレタンの板は激務に潰れ、駆逐戦車よろしくぺたんこになっていた。兵站係に申請して、新品を貰わねばなるまい。兵士の足には、恋人のおっぱいと同等の緩衝材が必要だ。
全身の石鹸を何度も流し、何とか毛穴が息を吹き返すと、全身が擦り傷だらけなのに気付いた。他のやつもそうだが、顔と腕に美味しそうな焼き目が付いている。来世はステーキ肉にでもなろうかと妄想したが、すぐに考えを改めた。連隊での勤務より趣ある暮らしはない。それに、今生が一番いいに決まってる。
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