The S.A.S.【3-1】


【3】


 ハンドルを握ってから一時間が経過した。赤道付近では憎悪の対象でしかない太陽が、その頂に位置する。我々の車列は未舗装の砂の海から、文明の手が入った道路へと上陸した。一キロ前方に、アラビア半島では異彩を放つ、直方体の建造物群が整然とそびえる。その玄関口には、星条旗と国連旗が微風にはためく。この高壁から一歩も出ず、果たしてお上はこの国の何を知っているのだろう。

 米兵による三重の検問を通過し、壁の内側、広大な敷地を徐行する。米兵が屋外でグリルで肉を焼いたり、バスケットボールに興じるのを横目に、幾つものカーブを経て奥まった区画へ進入する。後続のランドローバーから、遠慮ない欠伸やお喋りが発せられる。「家に帰るまでが作戦」ではあるが、十四日も神経を張っていた彼らを戒めるのは無粋だ。視界から次第に米兵の姿が消え、閑散とした区画を進んでいると、またしても検問が現れる。だが、我々の帰還に慌てて煙草を踏み消した兵士は、米軍の所属ではない。警備要員の職務怠慢に目を瞑って手続きを済ませると、後ろの車輌で歓声が上がる。休暇の到来だ。鉄筋コンクリートのガレージへ乗り入れてエンジンを切ると、前方のエンジンから「ばふっ」と熱っぽい咳が漏れる。車輌整備を受け持つダニーが、隣で物憂げに唸った。この愛弟子は本国に残した恋人の代わりに、このランドローバーを相当に可愛がっているのだ。連隊の他の車輌と見比べても、うちの攻撃車輌は群を抜いて手が入っている。

 降車して滞った血流を促し、疲労の排出に背筋を伸ばして喘ぐ。――キング・ハリド軍事都市。アラビア半島北東に横たわる、地面から決して動かない米空母の名だ。毎日長大な滑走路から航空機が離陸し、城塞めいた格納庫で整備員が戦闘機を磨いている。綺麗な八角形の敷地は六万人以上を収容可能で、北側に将兵の居住区、南側に娯楽・商業施設が完備されている。我々は北側の、寂れた兵舎を間借りしていた。湾岸戦争の時と比べれば、基地のインフラも随分と進化したものだ。今日では、太ったネズミもそんなには出ない。

 連隊長――SASのトップ――のオフィスで簡易なデブリーフィング(帰還報告)を済ませ、カマボコ兵舎の自分のベッドへ向かうと、留守番の連中がすれ違い様に声を掛けてくる。現時点でこの国に派遣されているSASは、我々のD戦闘中隊、そして付随する第二六四通信中隊と情報部署の一部だ。残りはパキスタンやイラク、特にカダフィ追放で目下てんやわんやのリビアに分散している。英陸軍精鋭の殆どが、この中東で身を焦がされている。本国では、テロに備えて最低限の人数が居残りを喰らっている。それでも、慢性的な人員不足から、組織運営は円滑と程遠い。選抜訓練(SAS流のどぎつい入団試験)の基準を下げるべきとの意見もあるが、現場の猛反対で議論は平行線である。そりゃあそうだ、こっちは命が掛かってる。

 寄宿先の兵舎は、最後に見た時と何ら変わっていなかった。パイプ組の粗末な二段ベッドが壁際に列を成し、リノリウムの床は所々でタイルが割れている。凝り固まった首を鳴らしつつ、自分に割り当てられた寝床へベルゲン(フレーム入りの大きな雑嚢)を放り、中身を全て取り出す。本来は倉庫として設計された兵舎に窓はなく、高い天井で今にも息絶えそうな空調が呻いている。帰投して真っ先にシャワーを浴びた連中が各々のベッドに腰掛け、寝そべって娯楽に興じる。俺のベッドの対面では、補給物資の木箱をテーブルに、カードの席が設けられていた。どうやら既にうちの末弟がやらかしたらしく、大損に金色の頭を抱えている。愚かな涙目が、物言いたげにこちらを向く。砂漠の外れに捨ててくるべきだったか?

 俺のベッドの上段には、アラビア語の教科書がメモ用紙を栞に残されていた。メモを開くと、静流の如き筆記体で「お帰りなさいませ」と記されている。が、肝心の持ち主が見当たらない。年甲斐もなく、一抹の寂しさが胸を吹き抜けた。

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