The S.A.S.【2-2】

 潰れた助手席の座面を通じて、砂の海の感触が尻を走る。この二週間、我々SAS第一六航空小隊は、アラビア半島に巣くうテロ組織の撃滅に砂漠を駆け回っていた。昨晩の襲撃を含めて計三箇所の敵拠点を攻撃したが、報告に足る収穫はジャラールが初であった。我々の以前にも他のSAS戦闘中隊が敵幹部の拿捕に臨んでいたが、情報部の怠慢だろうか、何れも労に見合わぬ結果に終わった。昨今、中央アジアやアフリカに蔓延るイスラム系過激派組織は、末端の兵士を排除したところですぐ三倍に増殖する。まるでネズミかゴキブリで、きりがない。

 英国女王もとい政府は、地球上のテロ組織殲滅を標榜している訳ではない。だのに、我々はこうして日夜砂漠を東奔西走し、ジハーディストと銃火を交えている。この理由の説明には、まっこと複雑かつ柔軟な思考が要される。

 時は遡って今年の五月。パキスタン国内にて、かのアルカイダ首領ウサマ・ビンラディンは、米海軍特殊部隊の銃弾に倒れた。9.11より実に十年を費やしてアメリカは面子を取りし、国民は歓喜に湧いた。しかし、『国家最大の敵』の排除がアメリカに新たな課題を強いた事実を、平穏を疑わぬ民はつゆ知らなかった。少なくとも、二一世紀初頭に一度破られているのに。

 米海軍のアザラシ――『シール』の辞書通りの意味だ――がビンラディンを殺害した事で、イスラム世界が如何に変じたか。結論を述べれば、ホワイトハウスは他民族やっとで保っていた均衡を、分別ある首脳陣があえて触れなかった楔を、浅い目論みで破壊したのだ。指導者を排除した後、アメリカを宗主に集約する予定であったムスリムは、有史以来最大の敵意をエセ英雄へ向けた。イラクに圧政を敷いたフセインと同様、ビンラディンは存在こそ厄介であれ、問題児をカリスマで惹き付けていた実力に疑いはない。簡単に言えば、ビンラディンは血気盛んな部下が、余計な喧嘩を余所へ吹っ掛けない様に監督していたのである。そのブレーキやらヒューズの役目は、もういない。

 ビンラディン亡き現在、手綱の切れたアルカイダ系テロリストは統制を失った。かつて上位組織の懲罰を恐れていたごろつきが、上司の死を端に方々へ戦火を撒いた。テロリストがテロリスト相手にメンチを切り、コーラン(クルアーン。イスラム教の聖典)に明文のない思想が無限に増長した。平和を盲目に愛する市民は、神託を歪めた政治犯に傾倒した。エゴ・イスラムの煮えた油は、今この瞬間も不毛の地を拡大している。衛星写真に、銃砲の煙が写らぬ日はない。これこそが無法地帯、神の虚像を楯に人類が生み出した第三世界である。

 下らぬうんちくが過ぎたが、ここでようやくSASの遠征理由へ繋がる。フセイン麾下(きか)のバース党政権崩壊を契機に、周辺の独裁国家で反乱の気勢が爆燃した。中東全土に紛争の火が回り、根本の原因であるに世界の警察を名乗るアメリカは、治安維持部隊の投入を余儀なくされた。イギリスも表面上の盟友に賛同しない訳にもいかず、現地民の目を避けて小規模の特殊部隊を派遣した。アメちゃんと違ってなけなしの予算で頑張る我が軍は、本件に最小限の出費で対応したかった。そう、したかったのだ!イラク発の火種は広域に飛散したが、その着弾地点にはサウジアラビアも含まれていた。英国の石油輸入先であるサウード家の不経済は、我々にとっても好ましくない。おまけにすぐ南には、イギリスの中東支部と呼んで差し支えないUAE(アラブ首長国連邦)が控えている。ここにクーデターが感染するのはまずい。非常に、まずい。断腸の思いで英政府は大飯食らいの陸海空合同軍を編成、広大な砂漠で勃発する小競り合いの鎮圧と手製爆弾の除去、並びに現地民の保護と、イギリスの国益保守という大任を負わせたのである。……これ、無理じゃない?


 つまらない情報整理で疲弊したおつむを労るのに、溶けて包装にくっ付いた飴玉を口に含む。今後も偽ジハーディストはNATOを悩ませるだろうが、現場組が頭を捻る事柄ではない。書類仕事はお偉方に任せるのがよかろう。

 乾いた眼にぬるい点眼液を垂らし、幾度かしばたたく。張り詰めた視神経が、穏やかに弛緩する。間抜けな欠伸を一つかいて、イスラム社会にまつわるペーパーバックを開いた。黄ばんだ紙が反射する、朝の陽光が眼球に容赦ない。地面の起伏で時折身体が浮くのを感じながら、ウズベキスタンの情勢に視線を這わせる。本来であれば、真っ昼間から我々の様な小規模部隊が、遮蔽のない地域を走るべきではない。かてて加えて指揮官がのんびりと読書に耽るなど減俸ものだが、その心配は杞憂である。確かに、数年前まで特殊部隊の移動は夜間に行われるのが常だったし、今もそうだ。だが、現代の技術発展は著しい。単に基地に帰るという秘匿性の薄い業務であれば、こうして日中に車輌で移動し、大した警戒を配らなくとも済む様になった。ひとえに、UAVのお陰で。

 UAVは無人機と銘打っておきながら人間の管理下で運用され、精鋭の斥候さえ持ち得ぬ空の眼を備える。4Kテレビの画質は約束出来ないが、UAVの操作者が映像を監視している限り、我々は神に匹敵する視力を持てる。凄い!そういう訳で、ダニエルに代わって運転を受け持つまで、俺は物知らずがこぞって叩く、神秘的かつ極めて世俗的なイスラムの海に身を委ねた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る