The S.A.S.【2-1】


【2】


 砂塵が縁取る地平線の向こうで、雲ひとつない空が白み始めていた。感動的な情景には違いないが、それを題材に小っ恥ずかしいポエムを排泄する趣味はない。そんなものが囁けるのは、最愛の異性に迫られた時くらいである。そもそも周りがこうも五月蝿くては、物思いに沈むのも容易ではない。

 ――時は遡って二時間前。現地語で読んで字の如く「砂礫が広がる」ネフド砂漠のど真ん中で、ハミド・イブン=ハーディ・ジャラールを捕らえた我々はアルカイダのキャンプを占拠し、英国空軍の応援を待っていた。ジャラールは我らがクラプトン家末弟・ジェロームからぼこぼこに痛め付けられ、顔面がジャガイモの如く変形していた。鼻も拳骨で粉砕骨折を起こし、鼻の穴には止血の脱脂綿が詰められた。我々の機密保全と精神衛生を考慮して、やつの顔には分厚い麻袋が被せられた。先の襲撃に気付いた時こそ脱走を試みた当人だが、今となっては密かに窒息死しているのではと危惧するまでに大人しい。

 ジャラールの拿捕後、我々は数人を立哨に命じ、テロリストの死体を一箇所に集積してから、敵キャンプの捜査に取り掛かった。武器もそうだが、主要な回収目標は文書や携帯電話、帳簿や暗号が記録された端末等である。区画毎に分担して汚いテントをガサ入れしていると、東の空から鋼鉄の怪鳥がでかい翼を羽ばたかせた。

 テントを出ると、澄み渡った空の彼方に鳥の正体を認められた。RAF(英国空軍)の認識標を吹き付けた二機のMH-47チヌークが、その前後に護衛のWAH-64アパッチ・ロングボウ攻撃ヘリ二機を伴い、未だ陽光なき砂漠で彼らなりのヘビーメタルをがなっていた。〈ルミノクス〉の腕時計に視線を落とせば、時刻はまだ五時を少し過ぎたばかりだ。どうやら今回の事後処理を担当する部隊は気力に満ち満ちているのか、でなければ発狂するほど暇らしい。三十ミリの機関砲に誤って吹っ飛ばされない様に、胸に着けた敵味方識別のストロボを頭上で振った。分厚い風防(キャノピー)越しには分からなかったが、アパッチの操縦手が手を振り返した気がした。

 沈みゆく月の残光の中、キャンプ中央に輸送ヘリの編隊が着陸した。高価な航空資産と働き蟻の防衛に、アパッチが上空を旋回する。砂嵐を生む輸送ヘリの後部ランプ(傾斜板)から、機付長の指示でフル装備の兵士が飛び降りる。周辺は我々が事前に掌握していたものの、彼らは標準作戦手順に則って防御陣を展開し、腹這いになって全方位へ警戒を投げた。上層部の取り決めた段取りを終えると、腹の砂をはたき落とし、ようやくで我々と軽い挨拶を交わした。装備や部隊章を見るに陸軍の工兵隊らしいが、どうも青い世代が目立つ。中には高校を卒業直後に入営し、初めての敵地に挙動不審な兵士も見受けられる。チヌークから合計約四十名の陸軍兵士が産み落とされたが、三十路に達していそうな者は二割に満たない。そのくせ、支給されている銃は使い古された個体ばかりだ。可哀想に、彼らの多くは若くして、このくそ壷で純真な感受性と可能性を殺されるだろう。

 経験浅い兵士達はSAS――我々は単に『連隊』と呼ぶ――から作業を引き継ぎ、使いかけの鉛筆から汚れた衣服に至るまで輸送ヘリへ積み込んだ。蝿のたかるゴミ袋の搬入を敢行した若者は空軍兵士の叱りを受けていたが、経験からして右も左も分からないのだろう。とはいえ、愛機を汚される空軍としてはたまったものではないが。

 連隊はランドローバーの許で休息を摂ったが、俺は小隊長として空軍の御仁と今後の取り決めを話さねばならない。機体前後に二つのローター(回転翼)を持つチヌークへ向けて歩いていると、幼い顔立ちの陸軍兵士らがこちらを目に耳打ちし合っている。彼らがホモかは知る気もないが、話題の内容は予想が付く。大方、俺の所属がSASかSBS(特殊舟艇部隊。英海兵隊に所属)かで討議しているのだ。通常、英陸軍の兵士は制式小銃であるSA80(L85A2)を装備するが、我々は〈コルト・カナダ〉C8カービンをマイナーチェンジしたものを支給される。また、通常部隊は官給品たる銃に迷彩を施す事は許されないが、我々は作戦地域に応じて自由に銃を塗装出来る。指定外の装身具も業務に支障がなければ大概は黙認されるし、新たに開発された装備品も優先的に配備される。まあ、新装備に関しては我々を人柱に試験運用している節が濃厚だが。

 羨望だか嫉妬の視線をいなし、せわしなく荷の積み込みが行われるヘリに近付くと、どうやら目的の人物を見付けた。チヌークのランプ脇で書類にペンを走らせる機付長は、色あせたフライトスーツに身を包み、陸軍兵士への指示に四方へペン先を向けていた。

「失礼します、少佐殿。陸軍のクラプトン少尉です。この様な辺境まで御足労戴き、恐縮です」

 地元・ヘリフォードの街では、絶対に払わない敬意を以て敬礼を作る。同じ陸軍ならともかく、相手は面識のない空軍の飛行機乗り様だ。下手な態度は取れない。裕に三十年は軍籍に身を置くと見える空軍将校は、変色したクリップボードから視線を上げ、真っ直ぐに下級の士官を見据えた。

「それが我々の仕事だよ、クラプトン少尉」

 バークレイと名乗る少佐は〈メカニクス・ウェア〉の右手を差し出し、それを握り返す。長らく大荷物と戯れた、力強い手だ。白髪の少佐はクリップボードをこちらへ向けて見せ、自己が負う任務の要旨を語る。

「我々は『ズールー』なる男と押収品を積み次第、アパッチのエスコートで帰還する命を受けている。テロリスト狩りで消耗しているところ申し訳ないが、この積み荷に君達は含まれていない」

「承知しております。我々は自力で帰投しますので、お構いなく。それよりも、我々の同胞の無事に感謝致します」

 すぐ傍を、麻袋を被るジャラールが二人の兵士に引きずられていった。一番大事な荷物の引き渡しが、滞りなく済んだ。少佐は僅かに眉根の緊張を解き、クリップボードにペン先を着けた。

「死体の中に、HVT(高価値目標)は含まれていたかね?」

「いいえ、事前に確認したズールー以外には。そちらも運ばれますか?」

 少佐は静かにかぶりを振り、自分の搭乗するチヌークを見やる。

「見ての通り、我々のヘリに余分な死体を積む余裕はない。鹵獲した武器と証拠品を突っ込むだけで精一杯だ。敵の死体は、この場で処理しておきたいが……」

 老紳士は言い淀み、逡巡の後に伏し目で語を継いだ。

「……我々が運んできた兵士は若過ぎる。敵とはいえ、その身に多大な心的外傷を被るだろう。正規の手順も踏まず、こんな申し出を告げるのは虫が良過ぎるのだが……」

 老紳士が目下にかしこまって、余計な汚名を浴びるべきではない。大空を支配する輝かしい戦歴に傷が付いては、陸軍としても忍びない。少佐が語を紡ぐ前に、俺は少しくだけた口調で応じた。

「承知しました。あれは我々で何とかしますので、ご心配なく」

 少佐殿は弱り目で頷き、何か必要な物があるか尋ねてきた。その問いに頬を掻いていると、例の白いポリタンクを運ぶ童顔の兵士を視界に捉えた。――あれは使える。

「では、あのポリタンクを戴きます。良い燃料になりますので」

 中身の想像が付いたのだろう。少佐は疑いもせず、兵卒が持つポリタンクを譲ってくれた。彼としても、爆薬の原料を自分の機に積みたくはないだろう。こちらから軽く別れを済ませると、少佐は敬礼と共に職務へ戻った。

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